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「ビハインド・ザ・コーヴ〜捕鯨問題の謎に迫る〜」を観て [映画]

今年(2016)初めに公開されていたが見逃してしまったものの、
横浜で上映されていたので急遽観に行く。

index_img_flyier_01_pc.png
http://behindthecove.com/
(公式サイト)


この映画は一般に言われているような
「ザ・コーヴ」へのアンサームービーではない。

なぜ日本がこのようなことをされているかという、
根深い部分への言及がメインとなっている。

実際監督の話によるとこの映画の製作動機は、
2014年の国際司法裁判所における、
日本の捕鯨に関する判決が発端というもので、
シーシェパードや「ザ・コーヴ」とのかかわりは、
太地町でのシーシェパードの非常識な撮影のため、
監督がカチンときたことによるものだという。

このためシーシェパードに対しては、
その実態をそのまま描くことに終始している趣が強く、
ことさら非道に描こうとか、
観ている方にカタルシスを与えるような、
そういうあざとい演出はされていない。


ただそれがために、
そういうことをしなくてもこれだけ酷いのかということが伝わるため、
シーシェパードの狡猾さ痣とさというものが、
ひじょうに分かり易く表現されることに結果なっている。


あとシーシェパードは、
ひじょうに見せ方というか演出が巧妙で、
嘘や目くらましも平気で使うという姿勢がここでも描かれている。

もともと嘘も百回つけば本当になるみたいな集団なのだろう。


人の金で好きなことやって温泉入って飯食って、
それで記念撮影やって、
あることない事垂れ流していくのだから、
こんなお気楽ではた迷惑な集団はそんなに無いだろう。


そんなこともこの映画では描かれている。


ただこの映画。

「ザ・コーヴ」のようにあざとい演出をしてない分、
見やすさとかいうものはあまりない。

http://orch.blog.so-net.ne.jp/2010-07-06
※(「ザ・コーヴ」」の感想。)

いくつもの事実や発言が素材のままならんでいる所が多く、
些か噛み砕きにくい感触があるのも確かだが、
その分ドキュメンタリー的な要素と雰囲気はこちらの方が強い。


もっともそれは日本人側からみてのそれであって、
この映画は日本というより、
日本以外の国に対して発信することを目的としているため、
他の国ではこういう方が見易く、
理解もとっかかりもしやすいのかもしれません。


映画そのものは途中からシーシェパード云々ではなく、
この映画をつくる動機となった海外への言及、
そして根本的な疑問へと話は続いていく。

ただこのあたり、
些か話が大きくなりすぎたため、
やや散漫になった印象がある。

もっとも「ザ・コーヴ」などは、
この作品などよりはるかに後半散漫なので、
言いたいことを多少粗くともとにかくガンガン提示し、
いきつくとこまでいってしまおうというやり方の方が、
日本以外では説得力があるのかも。


ところでこの映画の終盤のテーマのひとつに、

「よい生き物」「よくない生き物」を決めるものは?

というものがある。


この「生き物」を「宗教」に変えれば、
その問題の難しさと、
第三者が自分の立場だけで軽々しく立ち入れるものではないことは、
じつに明白といえるだろう。

食文化の歴史というのはけっこう難しい。

しかも同じ国でも地域により差がでてくるので、
ひじょうにデリケートなものがある。


この映画の終盤は、
この部分にも焦点をあてているが、
如何せん他国の日本に対するこの問題の根底にあるものが、
あまりにも大きなものとしてこの映画のもうひとつの軸にあるため、
ちょっとこちらの部分の印象が弱くなってる気がしないでもないけど、
シンプルな疑問としてこれを提示したことは素晴らしいと思った。


映画としては決してみやすいものではないし、
観てる人を楽しませてくれるものでもない。


また正直言うと、
たしかにいろいろと提示することはいいことだけど、
やはりちょっと最後他国の日本バッシング云々という部分、
やや強引で資料の薄さみたいものを感じてしまい、
むしろもうひとつの「よい」と「よくない」に、
もう少しこだわってもよかったような気がした。


監督としては踏み込んだ内容にしたかったのだろうけど、
あえて踏み込まず、
「提示」という形でとどめておくことによって、
観ている人に印象として残すという手もあった気がするけど、
このあたりはもうその人その人の考え方の範疇だろう。


さてここからは映画ではなくちょっと私感を。


◎私感その一

自分はこの太地町のことでケネディ駐日大使が、
日本に対して否定的な発言をしたとき、
以下のようなことを書いている。
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2014-01-22

この時感じたことと同じことを、
八木監督も感じていたようだ。

あたりまえなんだけど、
こういうときの沈黙は金でも美徳でもなんでもない。

被疑者の黙秘と同じような印象をもたれると思っていいと思う。

だが今回の映画を観ていると、
それができないような重い存在というものも感じられたし、
シーシェパードの姑息で狡猾なやり方を経験すると、
それもまたやりにくいというのはとても理解できる。


このためちょっと考えてしまったけど、
それでもやはり沈黙はよくないというのが自分の結論。


荒っぽいことをしろとは言わないけど、
他国に対してもっと積極的にうってでないというのはやはりダメ。

話の分かりそうな人に直接手紙やメールをうってもいいし、
著名な外国人に打診したっていいだろう。


太地の人たちの辛抱強さに胡坐かいたりつけこんでいる人が、
けっこうこの映画に描かれているだけに、
余計そう思われてしかたなかった。


◎私感その二

イルカやクジラが可哀想だから太地が悪い。
そんな意見もあるという。

だがもしこのイルカがあんこうだったとしよう。

そうなるとシーシェパードが大洗まで来て、
「あんこうの吊るし切り」を残酷だからやめろとか、
「あんこう鍋」を即刻やめろとか、
そういってくるのだろうか。

ケネディ大使があんこうが可哀想だからと意見するのだろうか。


もし今そんなことを言いだしたら、
大洗だけでなく茨城県はもちろん、
万単位のガルパンファンを巻き込んでの大騒動になるだろう。


そう考えるとこの捕鯨問題、
いろんな意味でほんと酷いというか無責任な話ですよ。


しかしなんであんな映画がアカデミー賞とっちゃうかなあ…。


それとシーシェパードって自分達が徳川綱吉にでもなったつもりなんでしょうか。

傲慢ですよ、まったく。


あと反捕鯨って「かわいそう」なのか「絶滅回避」なのか、
ちょっとそのあたりの姿勢がブレてるようにみえるというか、
自分の都合のいい方の理由に、
そのときそのときで行ったり来たりしてるといいますか…、

まあいろんな団体があるようので、
中には真面目にこういうことを考えている所もあるかもしれません。


◎私感その三

じつは自分は鯨の竜田揚げを給食で食した世代なのですが、
正直あんまりおいしくいただいた記憶が無い。

というか鯨は硬いという印象があって、
正直食用としてはぜんぜん好みでもなんでもない。

だからそういう立場からいうと、
本来自分みたいな人間は、
むしろシーシェパードに立ち位置が近いはずなのですが、
あの「ザ・コーヴ」の酷い内容をみて、

「ちょっとこれは駄目だろう」

と思った次第。


それとちょっと念押ししたいけど、

「くじら」「海豚」は可哀想だから食べるのをやめて!

という気持ちはじつは分からないでもない。

自分などは魚の生け作りは慣れとして大丈夫だけど、
さすがに犬の生け作りは生理的に無理。


それと同じことと言われれば、
それはそれで気持ちとしてはじつに受け入れやすいものがある。


だけど、
じゃあそれをそこに住んでいない自分たちが、
それに対してどうこう強制的にやろうとするのは、
やはりそれはちょっと違うだろうし傲慢という感じがする。


しかもそのために手段を択ばないとなると、
それはもうさすがに違うだろうという気がしてしまう。

やはりそこにいる人たちの歴史と文化を尊重してからでないと、
自分達の意見を言うべきではないのではないかという気がする。

そうでないとその瞬間に、
それらすべての環境保護団体は、
現地の人たちを上から目線で指図することを目的とした傲慢な人たちというふうに、
現地からも、
またその現地のある国の多数からもみられてしかたないと思う。

さらにそこに作り事や嘘がちりばめられたら、
信頼も対話も当然成立するはずがない。


そのことからぶっちゃけていうと、
こういう状況が続くことを目的としている、
こういうゴタゴタが延々と続くことが、
シーシェパードや他の環境保護団体の一部の、
じつは最大の目的なんじゃなかろうかと、
自分なんかは疑念を抱いているのです。


まあもうそう思わせちゃったらほんとは最後なんですけどね。


それにしても日本は食事をするとき「いただきます」という。
キリスト教徒などは食事するとき神様にお祈りを捧げるという。

どちらも大切な命をいただくことによって生かしてもらっているという、
深い感謝の念がそこにはある。


このように洋の東西を問わず、
じつは命をいただくということに関しては、
同じ価値観をもっているはずの両者が、
なぜここのところではいがみあわねばならないのか。


今度はこのあたりのことを軸とした、
そんな映画も自分はみてみたいと思った次第です。


ただしこれは「全否定」か「全肯定」かということに発展する可能性もあり、
それが行き過ぎると、
相手を論破した瞬間に自分自身の存在が全否定されるという、
そういう危険性もはらんでいる可能性がある。

そのあたりをはたしてどう描くのか。

自分が生きている間にみることは無理かもしれませんが…。


〆です。
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阿伊沢萬

この問題、とてもシンプルなだけに根深いものがあります。それだけに上から目線の「俺様」的態度のシーシェパードのそれは言語道断なのですが、それに対してあまりにも上に行けば行くほど及び腰というのがなんともです。映画としてはちょっと無理のあるつくりかもしれませんが、「ザ・コーヴ」と合わせてみると、かなり興味深いものをみなさんお感じになると思います。もう少し話題になってほしい映画です。

banpeiyu様、mangahara様、nandenkanden様、dougakunen様、shingeki様、モグラたたき様、宝生富貴様、mentaiko様、コミックン様、nice! ありがとうございました。
by 阿伊沢萬 (2016-06-04 02:05) 

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