SSブログ

ガルパンはほんとうに軍国主義アニメなのか。 [ガールズ&パンツァー関係]

やっぱり避けられない話だろうなあということで、
自分の立ち位置と考え方をここに明記しておきます。


ガルパンはほんとうに軍国主義アニメなのか。

よく「ガルパン」は軍国主義だとか右傾化の権化みたいに、
いろいろと言われている。

自分はガルパンについての正直な感想は、
以前劇場版の雑感の終わり近くに書いたことがすべて。

今一度それをここに記しておきたいと思います。

----------------------------------------------------------

「ガルパンにでてくる戦車はいつも楽しそう。

というふうにみえてしまう。
人によっては人殺しの道具や兵器にしかみえないかもしれないけど、
時代と環境と使用目的が違えばこうも変わるのかというくらいで、
戦車そのものが活き活きと愉しそうに動いているようにみえる。

これは作り手の愛情というものがあらわれているのだろうけど、
自分たちがプラモ等で戦車や戦艦、戦闘機やお城などをつくるときと同じ気持ちが、
この作品の中にあることもひとつの要因だろう。

この作品の思いの丈、
それは登場人物たちの思いの丈もあるだろうけど、
かつての自分たちのプラモなどをつくってる時の思いの丈、
子供時代の夢の現実化というものもあるだろう。

ガルパンはそういう意味で夢のつまった、
大人が本気でつくった夢のおもちゃ箱のような作品なのかもしれません。

だからこれだけ愛され親しまれ大事にされているのかも。」

-------------------------------------------------------


極端に言ってしまうと、
ガルパンは戦車と戦争を切り離して、
それこそSLやクラシックカーと同じような感覚で扱った、
殺人兵器とは無縁の戦車ものをつくろうとしたというのが、
最大のポイントだと思う。


じつは第7話でちょっとそれを匂わせたところがある。

それは「戦車道が1920年代からある」という台詞。

戦車が登場したのは第一次世界大戦の頃。

ということは戦車道は戦車が出現してから、
しばらくしてできたということだ。

これはようするに弓道、剣道、
さらには馬術あたりと同じ感覚で、
戦車を戦いだけでなく、
競技や心身を鍛える一貫としても活用しようという、
そういう意識が戦車の歴史においても、
第一次大戦が終わり平時になったこともあり、
それを機会にかなり早い時期から行われていたという、
そういう古武道的設定を組み込むことで、
戦車から兵器の色合いを薄くしようとしたという、
そういう考えが制作サイドからみてとれる。

ようするに戦争とかそういうものから、
いかに戦車を解放するかという、
この作品はその一点にひじょうにこだわったということ。


おそらくこの感覚は、
プラモ大好きという時期を、
一度でも通った人ならわかるだろう。


戦車、戦艦、戦闘機、
それにお城が好きな人にとって、
それらがどういう目的でつくられ、
どういう歴史をもっていたかを知らないわけはない。

だけどそれらのプラモをつくったり、
またそれらの復元されたものをみるときの気持ちに、
それらを肯定し美化する意識をもって観る人って、
はたしてどれだけいるだろう。


むしろそれはそれこれはこれで、
それらとは切り離してそれらを観、
そして楽しむといった人の方がほとんどではないだろうか。

もちろんリアルでそれらに乗り、
戦争を経験した人にはそうはいかないだろうけど、
戦後生まれた今の人たちは、
おそらくそういう人たちがほとんどだろう。

「戦車はカッコいい、だけど戦争は違う」

という住み分けが今はできているといっていいだろう。

これを平和ボケと嘲笑するのは勝手だけど、
じゃあプラモデルで戦闘機や戦車を作る子供たちも、
皆平和ボケの産物なのかというとどうだろう。


そうなると戦争映画を楽しむのも平和ボケだし、
戦争というくくりでいけば、
「スターウォーズ」をみて熱狂したり、
ベイダーのコスプレをしている人たちも
平和ボケという無茶なことになりはしないだろうか。


ただしこの作品と自衛隊との関係は、
些かデリケートな部分があるのは確かだろう。


自分が初めて大洗に行ったのは、
ガルパンの全話が放送されてからしばらくした後だったが、
そのとき水戸駅の鹿島臨海鉄道への連絡路の途中に、
自衛隊の募集みたいなものが貼ってあったのを覚えている。


正直ちょっとこれには気持ちが曇ってしまった。

自分は自衛隊は軍隊だとおもっている。

ただし

「世界で一番命を奪うことよりも命を守り続けることを誇りとした軍隊」
もしくは
「人の生命財産を守ることに特化した軍隊」

というかんじだ。

(ただし軍隊は国体護持が目的であり、国民の生命財産は二の次と考えた場合、自衛隊はそもそも軍隊ではないという考え方も成り立つけど、ここの部分はちょっと自分でも矛盾した考えをもっているので今は保留)

311をはじめとして、
自衛隊の果たした過去の災害等に対しての活動、
それらを無視する人などいないだろうし、
そのときの感謝を忘れる人などいるはずがない。


だがそれにもかかわらず、
なんかこの貼り紙は、
ガルパンの先にあげたそれに、
なんとなく暗い影をおとすようにみえてしかたなかった。


もっともこのようなものはこのときだけで、
その後は大洗に戦車が来て展示されるとか、
そういう方向に自衛隊とガルパンの関係は、
途中にキットやプラモ、
さらには大洗を挟み込んでの関係となっていった。


当然今回の劇場版のパンフにも、
自衛隊に関するものは皆無だった。


平和な時代だからこそ、
戦争ボケしてない感覚で保てる距離感というものがある。

もちろんこの距離感を、
ひとつの作為と解釈できないこともないが、
それを作為と言い切れる素材もまた見当たらないのも確かだろう。


戦車や戦艦の機能美や造形美に惹かれるということは、
戦争や軍隊を賛美する感覚とはまったく違う。

また作品に軍歌や、
それに準ずる曲がかなり頻繁に出てきている。

それをまた軍国主義と決めつける人もいるようだが、
パチンコ屋で軍艦マーチを鼻歌で歌いながらやったら、
その人は軍国主義だなどという馬鹿な言い分などあるはずがない。

同じことだ。


ガルパンをつくる人も、
そして観る人もみんなそういう、
かつて子どもの時に経験した、
プラモをつくるときのワクワク感、
そして綺麗ごとだけで終わってほしい戦車や戦艦への想いという、
そういう思いの丈と「ありえない夢」をこの作品に託した人たちがいて、
ガルパンはその人たちにより、
ひとつの理想を具現化した作品であるというのが自分の結論だ。

もちろんそれは綺麗ごとと言われればそれまでだが、
アニメくらいそういう綺麗ごとを押し通しても今はいい時代だろう。

だいたい実弾使って全員笑って終了とか、
眼鏡が割れて「何々?おわったの?」とか、
ほとんどギャグでしょう。

撃たれた戦車が腹出してひっくり返って白旗なんて、
ほとんど吉本なんば花月の世界です。

この段階でガルパンがどういうものかって、
ふつうは分かると思うんですけど…。


たださっきもちょっと言ったけど、
それを取り巻く人たちの思惑によっては、
そういうものが曇らされる可能性もあるし、
ガルパンの戦車も戦争や軍国主義と、
不本意な形で繋がれてしまうかもしれない。


もちろんそれはこの作品を愛した誰の本意でもないし、
せっかく戦争から切り離して打ち立てた戦車像を、
すべて水泡に帰するような蛮行であることは言うまでもない。

ここの部分だけはぜひおかしなことをしてほしくないものです。


最後に。

この作品を観たとき、
心からワクワクできる国は、
少なくとも平和だからこそこれが楽しめるのであり、
そうはみえず何が何でも軍国主義と結びつける国は、
平和でもないし戦争ボケしている国といっていいのかもしれない。


そういう意味でガルパンは、
その国や人たちを映し出すことのできる、
とても大きな鏡といえるのかもしれない。


自分はこの作品を楽しめる国にいて、
ほんとうによかったと思う次第。

それだけはぜひ声を大にして言いたい。


以上です。


ただ…

ガルパンではないのですが、
一部に

「こういうのはちょっとどうなんだろう」

と、

軍国主義とまではいかないけれど、
少し感覚的にそういう意味で、
些かいただけないという作品があるのは確か。


そういう作品と一緒にされて、
論じられるとちょっと嫌だなあとじつは最近危惧しています。

自分の考えすぎならいいのですが…。


あと下手に他の国の歴史に、
フィクションとはいえ踏み込むのはどうなのかなあと、
ちょっと自分とは異なる感覚の作品にも、
正直何とも言えないものを感じています。

これもデリケートな話なので、
下手にいろいろと言えない自分の勉強不足が情けないです。





ロシアのネットでみかけたもの。
ファンには国境も政治的なめんどくさいものも関係ないんでけどねえ。

0_9cbed_c92123f4_orig.jpg


それと劇場版の中で、

まほがいきなり作戦名で
「ニュルンベルクのマイスタージンガー」作戦
と言いだした。

ここで何故この曲がいきなり出てきたか、
製作者の意図は不明だが、
この曲が大戦中ナチスの国威高揚に使用されたことは有名だ。

だがこの曲自体は19世紀半ばに作曲された曲で、
曲そのものに罪はない。

もし製作者が上での自分の考えと似たものをもって、
ここにこの曲を出してきたとしたら、
それはそれでとても意味深なものではないだろうか。


もっともここまでくるとそれは考え過ぎかもしれませんが。
nice!(3)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アニメ

nice! 3

コメント 2

阿伊沢萬

自分の主義主張というのはだいたいが自分自身の自由な発想と考えから生まれてきたものなのに、それに縛られて物事すべて決めつけてしまうというのは本末転倒ですし、比較的シンプルな物事を見落としてしまう危険性も感じてしまいます。物事を考えるときはできるだけ風通しと見透しを心がけたいものです。これは自省も込めてですが…。

banpeiyuさま、剛力ラブさま、nice! ありがとうございます。
by 阿伊沢萬 (2016-01-28 20:19) 

阿伊沢萬

最近久しぶりににみましたけど、やっぱりこれどこをどうみても軍国云々なんて出す方が無理。飾りと本質の見分けができないのか、それとも単なる言いがかりなのか、ほんと不思議でしかたないです。

ハムサブローさまnice! ありがとうございました。
(誤字がありましたので書き直し再投稿しました)

by 阿伊沢萬 (2016-02-21 06:49) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0