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「クライバーン国際ピアノコンクール」における風評への? [クラシック百物語]

ウィキペディアのヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールの項に、
以下の一文がある。

「LP録音はコンテスタントの質を保証せず、生で聞くのが一番とされていた当時、優勝者には、第一回当初から優勝賞金2万ドルの他に、コンサート契約が多数含まれていた。クライバーン国際が最も契約の数が多い、ということで話題を集めていた。そのため優勝者は優勝後に多数のコンサートを続けていくうちに消耗させられて演奏家として大成しない、とまで言われた。その唯一の例外はラドゥ・ルプーで、彼は優勝後にコンサートを全てキャンセルして再び勉強のためモスクワに戻った。近年、この膨大なコンサートは以前に比べて数を減らされてはいるが、依然として優勝後3年間のツアー契約がついている。現在は、CD録音やiTunesで高音質のプレイをいつでも聞くことができるようになったことに伴い、「契約は流行らなくなった(キム・デジン)、という話である。

中村紘子は「『優勝賞品』とした与えられたおびただしい数のコンサートを一年以上にもわたって続けされられていくうちに、かえって消耗し切って燃えかすのようになってしまうのでしょうか。」と論じていた。」


一見説得力があるけど、
じつはかなり変てこな文だ。


というのも簡単に言ってしまえば、
自分の知らないピアニスト=潰れた=実力無し、
みたいな書き方にみえるからだ。


自分は恥ずかしながらピアノはかなり疎いが、
それでもこのコンクールの過去の優勝者の半分は知っているし、
実力も高く評価している。


それを思うとルプー以外知らないって、
どんな初心者目線で話が進んでいるんだろうと、
正直この時点でもうこの文のそれが?だ。


それに知らないから実力無しだったら、
指揮者のエリシュカが未だ来日せずで、
ティントナーも亡くなるまで録音をナクソスに遺さなかったら、
彼らは実力の無い指揮者ということになってしまうのだろうか。

知られることの無いと、実力の無いとは完全に別物だ。

単純に、

自分が知らない→無名→実力が無いor潰れた

という図式を勝手に思い込みで確立しないでもらいたい。

あまりにも不誠実なこれは発言です。




まっ、ようするに自分が知らなかっただけの話でしょ、ということです。

別に知らなきゃ知らないでいいんです。
人間何でも知ってるわけないですから。


自分を粧うためにこういう言い方をしているのかもしれませんが、
それのために風評まがいの上のそれはいかがなものでしょう。


なんか311以降の茨城の農作物と魚介類への風評被害のそれを、
なんとなく思い出させられてしまいました。


だいたいこれ書いた人は、
あのコンクールの優勝ピアニスト全員の演奏を聴いたことあるんでしょうか?
もうそこからして怪しいんですけど。

正直もう少し精査してこういうことは書いてほしいです。


あとこういうことはここだけでなく、
いくつか音楽を生業にしている人のそれでもたまにみかけます。

音楽で飯食ってる人は特にこういう部分は厳しくやってほしいものです。

自分が精査できないと、
このまえの佐村河内事件で、
保身のために有り得ない発言をしたような人が、
またぞろ出てくるかもしれません。


ぜひこのあたりしっかり心してほしいものです。



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