マゼールの思い出 [クラシック百物語]
マゼールが亡くなった。
自分が初めて彼の実演を聴いたのは、
1974年5月30日のNHKホールにおけるクリーヴランドとの来日公演だった。
この公演はこの年の一番人気の公演ではなかったものの、
かなり注目された公演のひとつとなっていました。
というのも、
クリーヴンドがこの四年前にジョージ・セルと来日、
ある意味空前にして絶後ともいえるような凄まじい演奏をしていったことが、
まだ多くの音楽ファンに強いインパクトを与えていたこと。
そしてそのスーパーオーケストラを、
当時、世界屈指の才人であり鬼才とまでいわれていた、
44歳の飛ぶ鳥を落とすほどの勢いをもっていたマゼールが指揮をすること。
しかもマゼールがこれほどの高性能オケを指揮して日本公演することは、
過去一度もなかったことがあった。
マゼールは1963年にベルリン・ドイツオペラと初来日。
その後同オペラと1966年、1970年と来日し、
ベルリンオペラとの来日時に日本オケに客演するなどした後、
1973年にベルリン放送響と来日、
そして翌年のこのクリーヴランドとの来日を果たしている。
これをみるとかなり当時としては頻繁に来日してくれていた指揮者であり、
録音量も半端ではなく、
しかもその多くが話題盤となっており、
さらには指揮したオケもベルリンフィルやウィーンフィルという、
超一流どこがメインとなっているため、
次はマゼールの時代になるだろうという雰囲気すら当時はあった。
もっともマゼールに対する日本での評価は賛否が微妙に分かれており、
特に年配の方からは決して好意的とは思えない評価もされていた。
この公演はそんな中で行われたものだった。
自分が聴いたのは、
ベートーヴェン/交響曲第4番
--休憩--
ベルリオーズ/幻想交響曲
ラヴェル/ラ・ヴァルス(アンコール)
というもので、その演奏の凄さはとてつもないものがあった。
「幻想」の最後などNHKホールが鳴るわ鳴るわの大音響、
しかも音の濁りやアンサンブルの乱れなども無く、
マゼールの緩急自在の劇的ベルリオーズが大輪の華を咲かせた、
まさに稀有の超名演だった。
これはのちにCBSに録音した「幻想」や、
1978年に神奈川県民でフランス管を指揮した「幻想」より遥かに…
というより常軌を超えた完成された狂気ともいえるほどの究極的「幻想」だった。
そしてこの日からしばらく自分にとってマゼールは崇拝の対象となり、
当時録音された多くの演奏を次から次へと貪るように聴きつぶしていった。
だがマゼールはその後そのときのような爆発力が影を潜め、
良くも悪くも「大人の音楽」をする指揮者となっていった。
そんなマゼールを当時まだ若かった自分は、
次第に崇拝からも興味の対象からも外していくことになった。
ただ疎遠になっというわけではなく、
その録音はよく耳にしたし、
ピッツバーグ、バイエルン放送、ニューヨークフィル、そしてN響と。
その来日公演も何度か聴きに行った。
そしてそこにはかつて感じ取ることのできなかった、
マゼール風の味わいのある音楽を堪能することもできた。
80歳をすぎてもマゼールは活躍し続けた。
大晦日から元旦のベートーヴェン徹夜コンサートを指揮したり、
ミュンヘンフィルの指揮者を引き受けたり、
キャッスルトン音楽祭での活動等…
あげていったらきりがないほどの活躍ぶりだった。
ムーティの代役でシカゴとの海外ツアーを引き受けたり、
今年のボストン響との来日公演にも指揮者として来日の予定だった。
しかもボストンとは「幻想」をやる。
自分としてはマゼールのこれをぜひとも聴きたかったが、
マゼールが突如アクシデントを理由に来日を取りやめた。
そしてその後マゼールは諸公演をキャンセル、
夏のPMFも出演をキャンセルした。
年齢的にちょっと嫌な感じがしたが、
それでもあのマゼールならまだ大丈夫と思っていた。
だが…。
結局マゼールは亡くなり、
またひとりかけがえのない指揮者を世界は失ってしまった。
そして亡くなって今更ながら、
自分の手元にじつに多くのマゼールの音盤があることがわかった。
今になってマゼールの音楽が
自分の彼に対するスタンスが年年歳歳変わっていったにもかかわらず、
深く自分の音楽感に根を下ろしていたことが分かった。
それが何であったのかはもう実演で確かめることはできない。
マゼールの来日がごく日常的だった時代は終わってしまった。
そしてマゼールは自分の「思い出」の中に去っていってしまた…、
…はずなのだがじつはあまりそんな実感がない。
というのも彼の遺した音盤の録音が良く、
しかもその演奏が時代にとらわれず常に新しさを感じさせているからだ。
このため自分にとってマゼールは亡くなったというより、
来日することができなくなった指揮者という感じが今はしている。
なんというか感傷的になれない…、
しかも音盤を聴けば聴くほどなんか妙にリフレッシュされてしまう自分がいる。
それはマゼールもつ音楽の質的なものによることもあるのだろうが、
なんかマゼールが
「俺の音楽を聴いて感傷に浸ろうなんて考えていたら大間違いだ!」
と言っているような気さえしてきてしまう。
これもまたマゼールの音楽の持つ魅力であり魔力のひとつなのかもしれない。
と、そんな気持ちになっている今日この頃です。
以上で〆です。
自分が初めて彼の実演を聴いたのは、
1974年5月30日のNHKホールにおけるクリーヴランドとの来日公演だった。
この公演はこの年の一番人気の公演ではなかったものの、
かなり注目された公演のひとつとなっていました。
というのも、
クリーヴンドがこの四年前にジョージ・セルと来日、
ある意味空前にして絶後ともいえるような凄まじい演奏をしていったことが、
まだ多くの音楽ファンに強いインパクトを与えていたこと。
そしてそのスーパーオーケストラを、
当時、世界屈指の才人であり鬼才とまでいわれていた、
44歳の飛ぶ鳥を落とすほどの勢いをもっていたマゼールが指揮をすること。
しかもマゼールがこれほどの高性能オケを指揮して日本公演することは、
過去一度もなかったことがあった。
マゼールは1963年にベルリン・ドイツオペラと初来日。
その後同オペラと1966年、1970年と来日し、
ベルリンオペラとの来日時に日本オケに客演するなどした後、
1973年にベルリン放送響と来日、
そして翌年のこのクリーヴランドとの来日を果たしている。
これをみるとかなり当時としては頻繁に来日してくれていた指揮者であり、
録音量も半端ではなく、
しかもその多くが話題盤となっており、
さらには指揮したオケもベルリンフィルやウィーンフィルという、
超一流どこがメインとなっているため、
次はマゼールの時代になるだろうという雰囲気すら当時はあった。
もっともマゼールに対する日本での評価は賛否が微妙に分かれており、
特に年配の方からは決して好意的とは思えない評価もされていた。
この公演はそんな中で行われたものだった。
自分が聴いたのは、
ベートーヴェン/交響曲第4番
--休憩--
ベルリオーズ/幻想交響曲
ラヴェル/ラ・ヴァルス(アンコール)
というもので、その演奏の凄さはとてつもないものがあった。
「幻想」の最後などNHKホールが鳴るわ鳴るわの大音響、
しかも音の濁りやアンサンブルの乱れなども無く、
マゼールの緩急自在の劇的ベルリオーズが大輪の華を咲かせた、
まさに稀有の超名演だった。
これはのちにCBSに録音した「幻想」や、
1978年に神奈川県民でフランス管を指揮した「幻想」より遥かに…
というより常軌を超えた完成された狂気ともいえるほどの究極的「幻想」だった。
そしてこの日からしばらく自分にとってマゼールは崇拝の対象となり、
当時録音された多くの演奏を次から次へと貪るように聴きつぶしていった。
だがマゼールはその後そのときのような爆発力が影を潜め、
良くも悪くも「大人の音楽」をする指揮者となっていった。
そんなマゼールを当時まだ若かった自分は、
次第に崇拝からも興味の対象からも外していくことになった。
ただ疎遠になっというわけではなく、
その録音はよく耳にしたし、
ピッツバーグ、バイエルン放送、ニューヨークフィル、そしてN響と。
その来日公演も何度か聴きに行った。
そしてそこにはかつて感じ取ることのできなかった、
マゼール風の味わいのある音楽を堪能することもできた。
80歳をすぎてもマゼールは活躍し続けた。
大晦日から元旦のベートーヴェン徹夜コンサートを指揮したり、
ミュンヘンフィルの指揮者を引き受けたり、
キャッスルトン音楽祭での活動等…
あげていったらきりがないほどの活躍ぶりだった。
ムーティの代役でシカゴとの海外ツアーを引き受けたり、
今年のボストン響との来日公演にも指揮者として来日の予定だった。
しかもボストンとは「幻想」をやる。
自分としてはマゼールのこれをぜひとも聴きたかったが、
マゼールが突如アクシデントを理由に来日を取りやめた。
そしてその後マゼールは諸公演をキャンセル、
夏のPMFも出演をキャンセルした。
年齢的にちょっと嫌な感じがしたが、
それでもあのマゼールならまだ大丈夫と思っていた。
だが…。
結局マゼールは亡くなり、
またひとりかけがえのない指揮者を世界は失ってしまった。
そして亡くなって今更ながら、
自分の手元にじつに多くのマゼールの音盤があることがわかった。
今になってマゼールの音楽が
自分の彼に対するスタンスが年年歳歳変わっていったにもかかわらず、
深く自分の音楽感に根を下ろしていたことが分かった。
それが何であったのかはもう実演で確かめることはできない。
マゼールの来日がごく日常的だった時代は終わってしまった。
そしてマゼールは自分の「思い出」の中に去っていってしまた…、
…はずなのだがじつはあまりそんな実感がない。
というのも彼の遺した音盤の録音が良く、
しかもその演奏が時代にとらわれず常に新しさを感じさせているからだ。
このため自分にとってマゼールは亡くなったというより、
来日することができなくなった指揮者という感じが今はしている。
なんというか感傷的になれない…、
しかも音盤を聴けば聴くほどなんか妙にリフレッシュされてしまう自分がいる。
それはマゼールもつ音楽の質的なものによることもあるのだろうが、
なんかマゼールが
「俺の音楽を聴いて感傷に浸ろうなんて考えていたら大間違いだ!」
と言っているような気さえしてきてしまう。
これもまたマゼールの音楽の持つ魅力であり魔力のひとつなのかもしれない。
と、そんな気持ちになっている今日この頃です。
以上で〆です。
クリーブランド・プレイン・ディーラー(日刊新聞)の記事
http://www.cleveland.com/musicdance/index.ssf/2014/07/lorin_maazel_former_music_dire.html
by サンフランシスコ人 (2015-09-18 02:03)
記事の紹介ありがとうございます。ただ当時日本ではショルティ&シカゴ、メータ&LAPO、小沢&ボストン、の方がなんか話題があり、NYPOもまだバーンスタインがトップを退いたとはいえ頻繁に指揮していたこともあり、なんか話題的にはひとつ退いた印象がありました。でも今聴きかえしみると、このオケとマゼールの相性は抜群という気があらためてしました。このコンビの実演は二度しか聴けませんでしたが、もう何回か聴いておけばよかったと今では少し後悔もしています。もう三十年以上前の話なのですね。
by 阿伊沢萬 (2015-09-18 22:12)
現在(マゼール時代と違って)日本のファンもクリーブランド・プレイン・ディーラー(電子版新聞)でクリーブランド管の最新情報を読めます....
by サンフランシスコ人 (2015-09-19 00:49)
日本の新聞社・出版社・放送局も情報源.....
http://www.fujisankei.com/video_library/2011_archives/art/post-98.php
by サンフランシスコ人 (2015-09-20 06:39)