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あれから二年がたちました。 [震災]

あの日から今日で二年がたった。

被災地では遅々としてなかなか復旧がすすんでいない所も多々ある。
自民党政権になったからといっても、
やはり予想通りそうは簡単にはいっていないようだ。

自分は横浜にいるのでもうそういう感覚は無いが、
茨城から青森にいたる多くの被災地では、
とにかくまだまだ苦しい日々が続いている。

とくに原発&放射能がらみのそれは、
当初のそれよりもはるかに根深く深い傷をのこしている。
しかもその傷が現在進行形であるにもかかわらず
それらを年々過小評価し、
まるで無かったかのように考えたい電力会社の姿勢には、
正直非国民という言葉をぶつけたくなるほどの怒りも感じている。

ただだからといって原発即廃止かというと、
それもどうなのかなあという気も正直している。
このあたりの現実がほんとうになんとも悩ましい。

あと今だから言えるが
自分はちょっと気持ち的にいろいろなものを抱えたまま、
この311当日の朝を迎えていました。
じつはこのちょうど一ヶ月前に身内を自分は亡くしています。

看病等いろいろあったけど
肉体的なものよりも精神的なその疲れの反動がけっこうあった。
四十九日を二週間後にすることを決め、
さあこれから気持ち的にどうなるのかなあということを考えながら、
昼過ぎの川べりで休憩がてらパンを食べながら空をみあげ、
自分にとってのこれからをいろいろと考えていた。
そして気持ちを切り替え職場へ戻ろうとしたときあの瞬間が来た。

以下は
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2011-03-12
に書いたとおり。

翌日葬儀屋さんに行き位牌の相談をしにいく。
そのとき葬儀屋さんが
「あそこにあった大きな仏壇が倒れて壊れてしまった」
といっていた。
かなり大きなものらしかっただけにこれにはビックリ。
家の被害があまりなかっただけに、
場所によっては被害の度合いが違うことをあらためて認識したものでした。

それから生活は一変した。
主食探しや輪番停電が生活に影を落とした。
四十九日も二ヶ月延期した。

そして身内の死がまるで前年の出来事のように感じられるほど
311からの時の流れはとんでもない勢いで自分に押し寄せ
そして押し流していった。

だが自分のこれらのことよりも、
はるかに厳しく悲しい現実に多くの被災者の方々がみまわれた。

自分はまだ最期のお別れができたし、
そのときにいたるまでにある程度の心の備えができていた。
だが311で親族を失われた方々はそうではない。
いきなりがすべてを前触れもなく断ち切ったのだ。
その衝撃と慟哭は想像を絶するものがある。

そしてそれら被災者の方々には
これらのことによるいまだ癒しきれぬ精神的なものと向かいあいながら、
むしろこれからの方がさらに厳しいといえるかもしれない、
重い現実との生活が未だに続いている。

この二年ははたしてどうだったのか。
そしてこれからはいったいどうなるのか。

より早い復興と精神的復旧をのぞみます。

黙祷。
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