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トーマス・ヘンゲルブロック指揮ハンブルク北ドイツ放送交響楽団(5/28) [演奏会いろいろ]

ついにヘンゲルブロックが来た。初来日かとおもったら30年ほど前にヴァイオリン奏者として来日しているらしい。ただ指揮者としては今回初来日。5/28の公演の感想を別の所に書いたものをこちらにも掲載しておきます。まあここであれだけ煽ったのですから一応こちらにも無いとあれですから。

以下↓

(会場)東京文化会館
(座席)1階C28列35番
(曲目)
ハイドン:交響曲第70番 ニ長調 Hob.I-70
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K.216(VN:クリスティアン・テツラフ)
~休憩~
ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 op.55 「英雄」

今回この演奏会のあった5/28は、この日のオケの創設者イッセルシュテットの命日でもある。1973年没だから今年(2012)でもう39年という月日が経っている。そんなこのオケの指揮をこの日執ったのは、ハンブルクから車で二時間程いったところにあるヴィルヘルムスハーフェンで生まれたトーマス・ヘンゲルブロック。

この公演のパンフレットによると少年期からこのオケを聴いて育ったということで、イッセルシュテットを含む歴代のこのオケのシェフは全員聴いているというのだから、ある意味今のこのオケにとって最良の首席指揮者なのかもしれない。

そんなこのオケを聴くのはじつに22年ぶり。ヴァント指揮によるブルックナーの8番以来だ。一時はヴァント=NDR(ハンブルク北ドイツ放送交響楽団)といわれていた時期もあったこのオケがどう変わっているのかも楽しみだった。もっとも昨年発売になったこのコンビによるメンデルスゾーンとシューマンでだいたいのところはわかっていたのですが…。

まず最初のハイドン。いきなり反応スピード抜群の状態にびっくり。たしかに以前感じた腰の重さや音の厚みも懐かしく感じられはしたが、それ以上にとにかく性能があがった、そしてオケが若返ったかんじがしたものだった。多少湿気のせいか一部楽器が万全ではなかったようにも感じられたが、とにかくそういう不満も極めて小さかった。

このためハイドンがじつに活き活きと語りかけてくるし、寸法どりがうまいせいか見通しもバランスも素晴らしく、しかもじつに間の取り方が旨い。それにピリオド奏法というと、どうも鮮烈かつ刺激的というものが事の大小はともかく、どこかそういうイメージや感触がつきまとうが、この人の場合はとにかく音楽のタッチや切り込みが温かく、そして刺激を排し、よりナチュラルなアーティキュレーションをその基本としているため、そういう部分がひじょうに少ない。弦がノンビブラートになり同時に木管がビブラートをかけまくっても、そこに何の違和感もない。本当に真正面から音楽を真摯に温かく、そしてときには熱く語り継いでいく。

そのためこの指揮者のピリオドにはまるで手段臭さというものが感じられない。ほんとうにごく自然にそこにあるように使われていくのだ。この日の演奏会は都民劇場の例会ということで、かならずしもヘンゲルブロックを聴きにきたという人だけではないし、ピリオド系の音が気お気に召さない方たちもいたことだろう。だがおそらくこのやり方で拒否反応を示した方はおそらくいなかったのではあるまいか。ヘンゲルブロックがNDRに認められそして乞われた理由のひとつがおそらくこれではないかという気がしたものだった。

この何とも味わいのあるハイドンの次はテツラフとのモーツァルト。これが凄かった。

テツラフはもういきなりノリノリのエンジン全開状態。全身を使って弾くそれはまるでチャイコフスキーか何かを弾いているようでもあり、またヴァイオリンを弾く幼少期のモーツァルトの像をみるかのようで、ビブラートかけまくりのとにかくロマンティックかつ熱くうねるような演奏で会場を圧倒した。ふつうこんな演奏をしたらヘンゲルブロックと相反するような感じになりかねないのだが、なぜか息も音楽もピタリとあった絶妙なコンビネーションによる演奏となった。おそらくヘンゲルブロックとテツラフの考えるモーツァルトが、手法や手段を超えた部分で最高に合致したのだろう。これほど愉悦感と楽興の時を感じさせる演奏は稀という気がしたものだった。ぜひこのコンビでモーツァルトの全集を録音してほしいところです。

20分の休憩後、今度は「英雄」。オケも若干編成を大きくしてそれだが、聴いてとにかくビックリした。あの往年の名演、シューリヒト指揮パリ音楽院による同曲の録音のそれと驚くほど似た演奏だった。

テンポといい、表情のつけ方といい、間といい、ほんとうにシューリヒトのそれをお手本にしたのではないかというくらいじつによく似たものだった。もっともシューリヒトの方がより鮮烈でキレが鋭いのに対し、ヘンゲルブロックのそれはより骨太で、トランペットをやや艶消しし、中低音域の素晴らしいほどの弾力性を大きな武器として全曲を支えていくという特徴があったが、これがまた独特の推進力を生んでいたのもまた見事だった。提示部が反復されこの楽章20分近く要したが、まるでダレなかったのも特筆すべきだろう。

続く第二楽章はドロドロとした情念のようなものはないものの、劇的かつこの曲の造形の見事さと、深い陰影を投影した素晴らしい演奏とあいなった。そこにはハイドンでみせた確かな寸法どりもあるにはあるが、印象としてはこの指揮者の熱さのようなものが強く感じられる演奏だった。

続く二つの楽章は続けて演奏されたが、それらは今までの総決算ともいえるほど充実しきったもので、特に終楽章後半の堂々としたスケール感と、ティンパニーの強打や、ここという時の音の集中力はもはや圧巻としかいいようがないものだった。久しぶりに聴く、胸のすくような見事なベートーヴェンだった。

この後アンコールに、これまた会場を沸かせるのに充分な「フィガロの結婚」の序曲が演奏された。これは翌日の一曲目に演奏されるのだが、こんなのを最初に一発やられたら、もう会場はいきなりできあがってしまうだろう。これはサントリーホールもたいへんなことになりそうだ。

今回ヘンゲルブロックは日本でわずか三公演しかない。これが原発の影響なのかどうかは知らないが、これだけの公演が二都市三公演とはあまりにも少なすぎる。次回来るときはぜひよりいろいろな地域でぜひ公演をしてほしいものだ。

※下は翌日(5/29)のサントリーホール公演のものです。

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