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ちょっとふりかえってみます。その3。 [アニメ(20世紀)]

(1995- )

エヴァンゲリオンが放送されてかなりの年月がたつけど、あの異常なまでの盛り上がりは昨日のことのようにはっきりと覚えています。当時はまだDVDはなかったけど、VHSとLDのそれは過去に類例をみないものすごい売り上げになったし。CDもとてつもなく売れていた。林原めぐみさんの人気のピークがそこにぶつかったのも大きかったし、緒方恵美さんや宮村優子さんの人気も当時かなりのものがあった。それら全部が一度にぶつかってできたのがあのエヴァの大旋風だった。それはさしずめパーフェクトストームの様相すら呈していた。映画の興行も凄かったし、あのとき使われたクラシックのCDもよく売れた。さらにそれがらみの渋谷で行われたコンサートも大盛況だったという。何から何までとんでもない状況だった。

今考えるとエヴァはそんなに変わったことをしていなかった。むしろつくり方としては正攻法だったといえるだろうが、要所要所で新しいこと、さらにこちらの潜在的な欲求を満たしたことがこの大旋風に繋がったというべきだろう。だがエヴァの風が少しずつ収まっていくと、そこには何ともいえない不思議な空洞感が残ってしまった。

その後いろいろと作品がつくられたが、あるものはエヴァを意識し、あるものはそれらと正反対のものへと走っていった。今までエヴァに向かっていたエネルギーが、一度に拡散し無制限に広がってしまったのだ。このため製作側も見る側にも多少の混乱と混沌を生じてしまったものでした。TVアニメの増大に拍車がかかったのはこのあらわれといえるかもしれない。

自分はそのときあるメーカーの方が「エヴァの後がどうなるか怖い。それを考えないためにも今いろいろとがんばって、ポストエヴァを探すか、エヴァの穴をどうやって埋めるかを考えなければいけない。」と真剣な顔つきで話していたのが今でも忘れられない。そしてその危惧は哀しくも当たってしまった。

その後アニメは「SEED」まで群雄割拠が続いた。だけどその「SEED」も、また近年の「涼宮ハルヒ」もエヴァの破壊力には遠く及ばなかった。それらは一般層まで広く広がることはなく、各マニア層に深く広がっていったのだった。そのころからだろうか。自分は次第にアニメから少しずつ興味が薄れていった。面白くなくなったというよりも、作品の量が増え多様化したことについていけなくなったことと、深夜アニメやU系アニメが増え、なかなかそれらを追えなくなってしまったためだった。

声優さんもだんだん誰がいるのかわからなくなってきたのもこの時期だった。こうして自分はこの頃からアニメと離れていってしまった。コミケからも次第に足が遠のきはじめていった。

それから十年ほどたって、数年前からまたアニメをみるようになった。理由は勤務の関係上深夜帯のアニメをよくみるようになったことが大きいと思う。久しぶりに見たアニメはどこか風景が変わっていた。なんかフィギュアのキャラがそっくり移植されたような女性キャラ、ちょっと弱々しい男性キャラ、そして聞き覚えの無い声優さんたち、それらが日常、もしくはどこか等身大の世界でいろいろと繰り広げていく。そんなものがじつに増えていた。

自分がアニメを見始めたときは、どこかそこに大きな夢のようなものを感じたりしていたのですが、ここでは夢よりも、なにか身近な友達感覚のキャラクターが、こちらに心地よい感覚や小さな夢もしくは萌えを与えるものが多くなっていました。そのせいかアニメはより深夜に広がり、次第に夕方以降のゴールデンから消えていった。かつてのプロレス放送と同じ道をたどっていったといっていいのかもしれない。力道山、馬場、猪木、鶴田、長州、天龍がいなくなったプロレスのことだ。ではアニメにとってこれらに当たるものはなんだったのか。それはちょっと自分にもわかりかねるけど、あきらかに何かが変わり、それが視聴率、さらに視聴層に変化を与え、深夜に動いていったことだけは確かだろう。自分はその肝心の十年間をみていない。そこだけは本当に残念だった。

もっともアニメのこの変化は他ジャンルにもみられる多様化と同じといえるかもしれないし、それを思うとアニメだけがマニアック化したというわけでもないだろう。そしてそれは宮崎駿監督にも影響を与えているような気がする。宮崎監督の劇場作品をみると、「紅の豚」から「もののけ姫」まで5年あいているが、その間にエヴァがはさまっており、しかもこの「紅の豚」から「もののけ姫」までの間に声優に対する考えが大きく変わり、そしてその作品のテーマがより広くなっていったことが、当時のアニメと逆行しているような気がする。宮崎監督にしてみれば、自分のやりたいことを一般の人は支持し続けている、これに対して今のアニメは一般の人が支持しているのか?と言うかもしれないが、すでにこの考えがエヴァの衝撃と、その後におきたアニメの多様化を、自分が認める認めないではなく、現状として認めてしまっている自分がいることを宮崎監督も知っているだろうし、その影響から自分も逃れられなかったということに対してのエネルギーが、「もののけ」以降の作品を生むエネルギーのひとつになったといえるかもしれない。

こうして21世紀のアニメは流れはじめた。アニメの多様化、声優の増大、2006年以降アニメを再び真剣に見始めた自分には、これらがそのまま21世紀の流れとなっていくかどうかはわからない。だけど、かつての「ヤマト」や「ガンダム」のようにアニメによってマニアが生まれたのではなく、マニアの欲求に即してアニメが生まれていくということが、これからは主流になっていくだろうということはなんとなくわかる気がする。

自分はクラシック音楽を19世紀は作曲家の時代、20世紀は演奏家の時代、そして21世紀は聴き手の時代と思っている。これと同じようにアニメもまたエヴァ以降、その図式が作り手と受けての間で確実に変わっていったような気がするし、これからもさらに変容していくような気がする。このとき声優さんははたしてどうなっていくのか。じつにこのあたり興味深いものがあります。

ですがここで昨年起きたプライムローンの破綻から起きた不景気がこの構図を崩す可能性がでてきました。おそらくこれらは作品の多様化に枠をもうけ、より実績のあるジャンルや傾向に作品が傾いていき、声優さんもCDの売り上げ等の二次的なものにまで影響力の大きな声優さんや、若くてギャラが安くて「○○さんに声が似た」声優さんが多く登用されていく可能性がある。余裕と創造性の無い作品の少数乱立がこれからしばらく起きる可能性がでてきたのです。

自分たちがこれからどうアニメや声優さんと向き合い、そして支持していくのか。これらは各人の課題なのかもしれませんが、間違っても自分の贔屓を押すために、他人の誹謗中傷を激化するようなことだけは避けてほしいところです。そういう意味でアニメもまたクラシック音楽に対する聴き手に当たる、受け手(見る側)の時代によりなっていくのかもしれませんし、その自立をさらに促される時代なのかもしれません。

これは見方によってはじつに面白い時代という気がします。これからの若い方には大変な時代かもしれませんが、じつにやりがいのある時代となっていくのかもしれません。そんな時代をもう少し自分も見ていけるのかなということが、自分にとって今は一番の楽しみとなっています。今年がこれからどんな年になっていくのか。まだアニメの新番組はひとつもみていませんが、今年もまたひとつでも面白い作品に巡り合え、声優さんがよりよい仕事ができることを願いたいものです。

以上で〆です。
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