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最終回いろいろ [アニメ(2007放送開始)]

最終回の季節となった。
この時期いささか寂しい感傷をもつ時期でもある。

まず「School Days」はその最終回の内容が
どうも最近起きた事件とかなり似ているということで放送休止となった。
こればかりは現物をみてないのでなんとも言いようがない。
いつかどこかで見るようなことがあったら書き込むかもしれませんが
この動きが他のアニメにどこまで波及していくのかが心配。
魔女狩りだけは絶対やめていただきたいが
正直「これは…」という描写のアニメ作品が
個人的感覚としていくつか存在しているのも事実でして
けっこうこのあたりの線引きがむつかしい状況になっているのかもしれません。

あと世代によって線引きの基準もかなり違うと思われるので
いい加減なことで線引きすることは
これからのアニメにも影響していくので充分注意していただきたい。

ただアニメだから駄目ドラマならOKという
わけのわからない論法を深夜枠のアニメでベースに持ち込んでほしくはない。
と一応ひとこと。

続いて「クレイモア」
この作品の場合、原作が現在進行形の作品のアニメ化のむつかしさを痛感させられてしまった

自分は原作とアニメとは別物と考えている。
これは小説とオペラのそれと同じ考え方で
動きそして声や音がついた時点で
もうどう転ぼうが原作とは違う存在になってしまうと考えているからだ。

そういうベースでやっているのだから当然「クレイモア」もそうなのだが
この作品の場合終わらせ方がどこでやっても難しかったというところだ。
2クールということからみて「北の戦乱」でひとつ終わらせないと
話しが次どうやっても原作からみて切れるところがない。
だけど原作どおりにやるとプリシラとクレアは対峙しないし
ラキとも音信不通状態のまま終わってしまう。
クレアの戦いの意味がまったくの消化不良となってしまうのだ。

またクレアとプリシラが対峙し戦ってしまうと
クレアが勝利した場合
クレアのこれからがプリシラへの復讐というキーが無くなってしまい
第二期をつくるとなると
そのあたりの理由付けが原作と決定的に違ってくるため
厳しい課題を今後残してしまう。
ようするに対峙してもしなくても
どちらに転んでもむずかしい問題を残してしまう。

ただとにもかくにも原作を知らない人にまでなんとか見せるようにするためには
クレアVSプリシラ、さらにはラキとの再会がどうしても必要
だけどそれをすると原作をかなり捻じ曲げなければならない。
さてどうする。

ここで製作者の頭の中には「エアマスター」の作り方がよぎったのではないだろうか。
あの作品も当時は原作が現在進行形で
かなり終わらせ方がむずかしかった作品だったと思う。
最後クレア+ミリアーズがプリシラと戦うそれが
摩季と皆口由紀のタッグで渺茫に立ち向かうところと似た感覚をもったのは
そのあたりのところを前倒しにしてひとつの決着をつけさせひとまず終わらそうとする
そういう意図だったところに同じ感覚をもったためだろう。

これは「エアマスター」もそうだけど
もしかしたらあるかもしれない二期に備えての結果なのだと思う。

ところがこれらの苦心にもかかわらず評判が「クレイモア」の場合あまりよくない。
「エアマスター」の場合最後超個性派崎山香織の力技で終わらせてしまった部分もあり
それはそれでうまく作り手の遊び心も生きてそこそこうまくいったのだが
「クレイモア」は作風もあるためそうはいかない部分があった。

これは中盤まで原作のテンポを守ったせいか
終盤オリジナルへ移行していく段階でテンポの運びが変わり
やや見方によっては不自然な流れを感じるところがあったことがある。
このあたりもまたこの手の作品のデリケートな部分なのだろう。

また「クレイモア」では最後プリシラとの戦場をピエタから移してしまったために
ピエタに残った生き残りがいったいどうなったのかという部分がとんでしまった。
あれをミリアが最後生き残りのクレイモアたちと話すシーンがあったり、
その流れで何人かと行動をともにする部分が描かれていれば
またちょっと違ったものになったような気がする。
他のクレイモアのファンの方にもちょこっと配慮すべきシーンがほしかったというところだろうか。

このあたりのことは原作云々ではないものがある。
原作に愛着のある人にも「こういう終わり方なら納得はいかないけれど…」
と感じさせられる努力というか
原作への愛着を作り手が鑑賞側にも感じさせられるものがもう少しあれば
最後、他のクレイモアのそれがおいてきぼりにされない
もう少し違うものになったのではないかという気がする。

これは自分の考えなのですが
原作どおりにつくれという鑑賞側の言い分は
原作どおり寸分の隙もなく進めろという意味ではないと考えている。
原作で印象深いシーンをすべては無理としてもちゃんと織り込んだりして
作品に対する愛情を「みえるように」大事につくってほしいということだと自分は思う。
そういう意味ではジーンの扱い方はしっかり守っていたようにみえた。

ただそうなるとこれは「クレイモア」はやればできる作品だったということなのかもしれず
ということはピエタに残された他のクレイモアについての描写は
最後ちょっと尺が足りなかったということなのだろうか。
このあたりは他の部分でも作り手の苦心も多少かじられた部分もあり
これ以上あまり強く言うことをためらわせてしまうものがある。
(最終回におけるガラテアの登場シーンなど。)

面白い作品だっただけにうまくまとめていたとはいえ
最後なかなかむずかしく考えさせられる作品だった。

「大江戸ロケット」はいい出だしで中盤まで好調だったものの
楽屋話しなどの裾が広がりすぎたたためか
ラストがちよっと盛り上がりに欠けてしまったように感じられた。
もっとも盛り上がりなどを狙っていたわけではないといわれればそれまで。
かなりお腹いっぱいになった作品でしたが
何を食べたか思い出せないという部分もあった作品でした。

「怪物王女」は番外編ともいえる作品がトリをとった。
河原木志穂さんが「ふが」の豊富なヴァリエーションを使い
ほぼ全編「ふが」一色と化してしまったが、
最後の最後で「河原木さんご苦労さまでした。」という意味を込めた作品という気がして
なんとなく微笑ましい気がしたものでした。
「ふが」ひと筋半年間ご苦労様でしたと私からも一言。

「絶望先生」は最後までじつにらしかった。
終わりの終わりまで新キャラ登場と最終回らしい雰囲気がなく
最後ちょっと二期に対する色気を出して終了というのがまたらしかった。
あと最終回ではないですが「練炭」と「目張り」で「おやすみなさい」はヤバイだろう。
ある意味「School Days」よりもまずいんじゃないの?というかんじがした。
危ない毒っ気がたまらない作品で、声優さんの善戦が光った作品でもありました。

といったところでしょうか。
今回は「クレイモア」中心となりましたが次回はどうなりますか。
来週からは第一話が続々と登場します。
たのしみな季節がまたやってきました。

(9/29追加)

「ぼくらの」も「クレイモア」と同じ原作進行形だったが
こちらは最初から結末を原作と変えると宣言していた。
そのぶん開き直った展開となっていたようだけど
途中やはりいくつかの謎は残ってしまった。
このあたりをさらに原作を乗り越えて解決するところまでは
やはりできなかったのだろう。
原作の壁というものを「クレイモア」同様感じさせられた作品でもあった。


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