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「ボリショイサーカス」(大島幹雄)雑感 [いろいろ]

虚業成れり-「呼び屋」神彰の生涯

という本を以前
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2005-04-20
で紹介したが、
その本を書かれた大島幹雄さんが最近出された
「ボリショイサーカス」という、
東洋書店のユーラシア・ブックレット第100号として発売された本を読んだ。

 ここにはサーカスの歴史、近代サーカス誕生、そして革命とそれ以降のソビエト時代、そして現在に至るまでの歴史を解説している。そこにはロシアサーカス史上偉大な人々の紹介を、映画などの紹介も含めながらたいへんわかりやすく提示されている。

 自分がなぜこの本に興味を示したかというと、じつはひとつにはかつて聞いた話で、「ロシアの大衆にとってチャイコフスキーは最も深く結びついている」という言葉があったからだ。これはたしかに一面では当たっている発言かもしれないが、オーケストラの演奏会やバレエやオペラの公演というものは、元来一般大衆向きであったとは言いがたいものがある。特に歌劇場公演はかつて(今でも)各界名士達の社交場としてなくてはならないもので、そこと大衆がどこで結びつくのか、ちょっとピンとこないものがあった。

 むしろ一般大衆と深く結びついていたのは、それよりも庶民に近しいものだった、演芸のようなもののはずという気がこの言葉を聞くころからしていた。そこにロシアサーカスのことを書いたこの本があらわれたのだから、これに興味がわかないはずがない。で、読んでみたらこのチャイコフスキーと一般大衆の間にある一種の「溝」のようなものが埋められた気がしたと同時に、サーカスというものが自分の考える以上に巨大な歴史を持ち、奥深く多彩で、しかもじつに多くのものを包括しているということがわかった。

 サーカスというと、どうしてもいろいろなアクロバティックな曲芸、そして道化によるお笑い、そこの部分だけがクローズアップされるし、どこかその気軽さや娯楽、そして笑いの要素から「低く」みられている部分がある。(日本にかぎらず、どうも「陽」よりも「陰」の方を高く評価する向きが一般にはある。ジャズにおけるマイルス・デービスとディジー・ガレスピーの評価や極端な人気の差もその例のひとつであるのかもしれない) だが大島さんの本を読んでみると、ロシアサーカスのルーツである「スコモローフ」の頃から、権力者に対する揶揄等により、弾圧や差別をされる歴史を持ったことを知った。また紹介されている「レスラーと道化師」(1957年の作品というからボリショイバレエが初来日した時期の作品)では、権力者を風刺し断罪するシーンもあるという。(聞いたところによると、それをみていた当事者が激怒し会場を憤然として去ったり警察が突入したりというシーンもあるという) これなどは自分のサーカスに対するイメージとはかなりかけはなれたものだし、「赤い道化師」ラザレンコ、サーカスと演劇の合体、そしてそれらによってサーカス自体も変貌していっていることなどもじつに驚きの記述だった。

 もちろんサーカスを少しでも知っている人にはこれらはあたりまえ的にスタンダードなことなのかもしれないが、自分のようにサーカスに対してド素人な人間にはじつに新鮮な内容の連続だった。そしてそれらのことを読んでいくと、サーカスというものがいかに多くのものを包括した総合的なものであり、それが他のジャンルに対しても順応したり影響を与えたりしていったといことがよくわかったが、これはまたクラシックに対しても然りであることもこのときわかったし、1882年にペテルブルグにオペラ座のバス歌手の子供として生まれたかのストラヴィンスキーが、1830年頃のペテルブルクの謝肉祭における見世物小屋を舞台にした「ペトルーシュカ」を1910~11年に作曲したその頃が、ちょうどロシアサーカスの父とよばれた、かのニキーチンによるニキーチンサーカスの盛期にあたっていたこともこのとき初めて知った。これなどは偶然というにはあまりにも時期的に一致しすぎている。

 またニキーチンサーカスがその台頭を著しくはたしていた時期は、チャイコフスキーのような西欧派だけでなく、ロシア五人組のようなロシア的な民族色が強い作曲家が台頭していた時期でもあった。おそらくこの時期はサーカスにせよ音楽にせよ、「自立」への動きが大きくなっていた時期なのかもしれないが、これなども今回のサーカスの本によってより立体的に知ることができた。おそらく先のチャイコフスキーが大衆云々というのは、チャイコフスキーの傑作の多くもこの時期に集中していたことと関係していたのかもしれない。そういえばチャイコフスキーの有名な交響曲第4番の終楽章は民衆が祭りに興じている場面が描かれている。時はニキーチンサーカスとそれ以前にロシアのサーカスを牛耳っていた外国サーカスとの激しい興行合戦が繰り広げられていた時期でもあった。ほんとうにいろいろな点と線が結びついていく本だった。

 とにかくこの本はサーカスというものだけにとどまらずいろいろなことを考えさせられた本だった。あとこれは乱暴な比喩かもしれないが、ロシアのそれを日本の古典芸能に例えると、バレエが能でありサーカスが狂言のように感じられたものだった。そういえばかつて野村萬斎さんは狂言を「こっけいな人を描くのではなく、まともな人がこっけいなことを演じること」といっていた。これなどはサーカスの道化とまさに相通じるものがあるような気がしてならなかった。これもこの本を読んで感じたことのひとつだった。

 たしかにこの本は概説書的なものなのかもしれないが、それでもこの本は自分にとってとてもありがたい本だったし、上記したようにいろいろと考察させてくれるものがあった(なかには的外れなものもあるかもしれないが…)。とにかくこのあたりの歴史に興味がある方にはぜひ読んでいただきたい。

 ところでここに書かれていた「ヤマダサーカス」。1910年頃日本からロシアに渡りセンセーショナルな話題をまいたサーカス団らしいが、なぜか出国記録も日本での活動記録も不明という。ただこのサーカス、その出現時期が韓国併合の前後からだったことを思うと、ひょっとするこのサーカス団は日朝合同の団体で、日本ではなく、朝鮮で活動していた団体ではないかという気がなんとなくしています。朝鮮より日本の方が当時のロシアにはインパクトが強いからそういうふうに打ち出したのかもしれません。(そういう意味では神彰の「ボリショイサーカス」と発想は同じなのかもしれません)ただほんとうのところはどうなのでしょう。これもこの本を読んでいてとても興味のある話でした。

 余談ですが大島さんは早稲田でこの本をテキストにして講義をされています。じつは最近ある大学の講義の様子をみたのですが、そのあまりにも四半世紀前と変らない光景にびっくりした記憶があります。あえて違いをいえば携帯やパソコンが持ち込まれていたくらいでしょうか。あまりにも様子が変っていれば躊躇したところですが、これならば問題無しといったところですので、時間があればぜひこの講義に行ってみたいところです。


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