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アニメ&コミックのクラシックブーム雑感。 [クラシック百物語]

今なぜかアニメではクラシックがブームになりつつある。

「銀河英雄伝」「エヴァンゲリオン」「涼宮ハルヒ」

といろいろクラシックが使用されたものがあり
それがムーブメントなったものがあるが
最近はクラシックそのものを舞台としたもので
それらに火がつきはじめている。

ひとつはお馴染みの「のだめカンタービレ」
もうひとつは地味だが「金色のコルダ」
さらには能條純一氏の「アレルヤ」などがある。

正直自分はあまりこのあたりみたりみなかったりなのであれなのですが
ここ最近のそれは確かにすごいという気がします。

特に「のだめ」のドラマがはじまってからのそれは
たいへんなものという気がします。

たしかに昨年東芝から発売された
ベストクラシック100シリーズで
ビギナーの拡大をはかり
また潜在層の掘り起こしなどがおきたことと
今年のモーツァルトブーム
さらには「熱狂の日」などの今までと違うタイプの音楽祭などにより
これらが火がつく土壌というものはあったのかもしれないけど
でも、ここ最近のそれはちょっとすごいものがある。

ベートーヴェンの交響曲第7番
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番
そして
ガーシュウィンのラプソディ・イン・ブルー

これらの曲が劇中で効果的に使用されると
突然それらの曲が火がついたように売れていくという。
まったく驚いてしまう。

だけどこのことはクラシックが
なぜ長い年月を息抜きそして愛されてきたかという
そういう潜在的な資質と
それがどこかで一部だけの音楽ファンのものになってしまうなにかがあることを
強く感じさせられてしまうものがあります。

音楽ライターの山尾敦史さんあたりはそのあたりをすでに感じているみたいですし
正直いつまでもクラシックが一部の人だけに
大事に重宝されているだけではまずいということは
今までになく広く考えられているような気がします。

(山尾敦史さんのサイト、山尾好奇堂)↓
http://yamaonosuke.blogzine.jp/honke/

これは能や狂言、さらには歌舞伎でもおきている現象ですし
落語でもいわれていることでもあります。

もちろんこれらは今までの愛好者をないがしろにするという意味ではなく
これらの方々にもより満足され
しかもより一般にも敷居を高くさせることなく
親しみやすいものとして定着させようということなのだと思います。

ですから今のこのブーム
まさに願ったり叶ったりのことですし
これを機に裾野を広げ
そしてこれを機に深く興味をもっていただく方がより増えてもらえば
それはそれでおおいにけっこうというところだと思います。

ですがここでひとこと言わせてもらうと
正直「クラシックブーム」というこの言葉が
自分は今後聞かれなくなる
それこそ死語になるような状況は自分はいちばん望ましいと考えています。

かつてアニメにおいて声優ブームという言葉がありました。
そのときどなただったか失念されましたが

「声優ブーム」といわれている間は駄目
しっかりと立ち位置を確保し、市民権をとるこにより
「ブーム」という一過性の言葉を使用されないようにならなければいけない。

ということをおっしゃっていたのがいまでもとても印象に強く残っています。
それをおもうと
たしかにクラシックはしっかりとしたジャンルですし
市民権をしっかりもってはいるものの
やはり意識して聴かれているという意味ではマイナージャンルですし
演奏会に行かれたり、CDを買われたりしている方は
他ジャンルに比べれば多いわけではではありませんし
まだまだ多少大売れすれば
「クラシックブーム」と言われてしまうジャンルであることは確かだと思います。

自分は別にクラシックをロックやJ-POPのように
大勢にに聴いてほしいとかそういうことを考えてはいませんが
「クラシック」という言葉を聞いた瞬間
聴く前から身構えたり、むつかしく考えられてしまうことなく
いつもはマリリン・マンソンとか聴いている人が
「今日はひさしぶりにシューベルトでも聴くか」
という感じで気軽に聴ける
そんな雰囲気がクラシックに少しでも広がってくれればな
とおもっているのです。

そういう意味で
今のこのアニメやコミックがそのひとつの力となってくれているのは
正直とても嬉しい気がします。

そういえば最近の演奏会
随分若い人を多くみかけますが
たまに聞こえて来る会話を聞くと
今の時代の言葉でじつに率直に感想を語っているのによくでっくわします。

これはとてもいいことだと思います。
自分のような年寄りの意見は参考程度
あとは自分達の感性で自由に聴きそして語ることこそが
よりクラシックが広がっていく動きとなってくれるのではと
自分はおもっています。

もっともその自分の語った言葉が壁となり
他の意見を排除し排他的になっていったのでは
悪い意味での歴史の繰り返しとなってしまいますので
これはこれで要注意というところでしょうか。

とにかくここしばらくのこの「クラシックブーム」
「のだめ」は来年1月からアニメ化されTVで放送されますので
まだしばらくはこの流れが継続してくと思いますが
この流れとていつまでも続くわけではありません。

問題はこの流れの後をどう受ける器をそれまでにつくっていくのか
そのあたりのやりかた次第では
クラシックの「枠」や「敷居」というものに対し
微妙な変化がでてくるかもしれません。
自分はそこのあたりをとても注目しています。

まあ「のだめ」がどうあれ
この流れが永久化するような劇的な流れは
絶対無いという気がしますが
微妙な変化を起こし
その影響を末永く引くことは十二分にありうるはず。

いつのころかこれらの動きによって
「クラシックブーム」という言葉が死語になってしまうような状況
もしくはクラシックというジャンルが
その特性を持ち合わせながらも
他のジャンルとの音楽ファンの流入がよりスムーズになっていく
そんな状況になっていければなという気がします。

正直前述いたしました山尾さんも
クラシックの枠の中にまだ立ち位置があります。
たしかにこれはこれでもいいのかもしれませんが
これは入って来た人たちのためのマイルストーンであって
入ってきた方よりもはるかに多いと思われる
興味があるものの側を通り過ぎていく方たちには
残念なことにそのマイルストーンにはなりえず
ひとつの「クラシックの看板」でしかなっていないという気がします。

この立ち位置が他ジャンルとの分水嶺にくるようになる
もしくはそうならざるを得ない状況になる
そういう環境や雰囲気ができれは
山尾さんの存在というのは現在とは桁違い
というよりもうひとつの大きな存在価値をもってくるはずです。

アニメ&コミックのクラシックブーム
そしてそれらによる小さな流れの変化

いろいろと興味がつきないものがあります。

--------------- 以下雑談です。 -----------------------------------

それにしてもクラシックでひとつたいへんなのは
そのCDを探すとき
他のジャンルだったら
「キース・ジャレットのケルンコンサート」
とか
「オーティス・レディングのドック・オブ・ベイ」
といった具合に
最初にアーティスト、その次にタイトルか曲名がくるのですが
クラシックの場合
「フルトヴェングラーの第九」

「ベートーヴェンの第九」
のように
最初が作曲者だったり演奏者だったりと
もういきなりクラシック初めての人には難関がたちはだかってくるということです。

クラシックがわかる人にはどうってことないかもしれないが
例えばクラシックの愛好者に
「ありすないん」
といわれて即、頭の中で
「アリス九號. 」と変換できればとにかく
かなりの方が?だろうと思いますし
場合によっては谷村新司や堀内孝雄のいた「アリス」とか
はたまた
微妙にスペルと数字が違う「Aice5」と思ってしまったりするかもしれません。

とにかくこれと同じことがクラシック初めての人にとって
いきなりその曲を探すという時点でひとつの障害となってくるのです。

そういう意味では「運命」「未完成」というタイトルは
不幸中の幸いなのかもしれませんが
まぎらわしいタイトルがいくつかあるため
まったく違う曲を選んでしまうこともあるので
これまたいろいろとあるような気がします。

まあこの部分はもう慣れなのかもしれません。
郷に入らば郷に従え
といったところなのでしょう。


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