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「日本のメディア芸術100選」 のアニメ部門雑感その2 [アニメ(日本のメディア芸術100選)]

ところで今回の結果をみてひとつ思ったことに
ギャグアニメがほとんどでてこなかったということでした。

60年代を代表するキャラでもあったニャロメ有する「もーれつア太郎」
80年代を代表するキャラでもあったアラレちゃん有する「Drスランプ」
さらには「天才バカボン」もでてきませんでしたし
あの「らんま」や「タイムボカン」もやはりでてきませんでした。

自分はかつて
喜劇よりも悲劇、陽性よりも陰性のものを高く評価する傾向が日本にはある。
ということをなにかで読んだか聞いたかした記憶があります。

これは文学だけでなく美術や音楽にも合い通じるものがあるらしいのですが
たしかに音楽、特にクラシックでもそういう傾向はあると思います。
ただそれははっきりと明確化されたものではなく
なにか別の要素と結びつくことによって顕著化したものが多く
かならずしも絶対的に陽より陰というわけではないようです。

アニメでもひょっとしたらそういう傾向があるのかと
今回ちょっとこの結果から感じたものです。
ただアニメにおける陽性の作品には陰性の作品よりも
時代を長く生き抜くだけの要素がたりない
言い方を変えればその放送された時代の感覚に密接に近づきすぎたため
後世にまで強くその生命力をもつことが出来ないのではないかという気がします。

これは「笑い」というもののむつかしさにもよるところが大きいと思います。
よく劇において「泣かすよりも笑わせる方がむつかしい」といいます。
この言葉には
たしかに「泣かせる」パターンや傾向というのは案外時代に左右されない
ある意味普遍的なベースのようなものがあるのに対して
「笑わせる」というのはそれらの要素がかなり多様すぎて
かえって狭いことがあげられるのかもしれません。

例えばたんなる笑いでもセンスや感覚というものはドンドン変化します
このあたりは泣かせるということにも通じるのですが
泣かせる場合はいきなり瞬間的にくるということはまずなく
積み重ねで泣かせに来るという場合がほとんどだと思います。
ところが笑いはたしかに積み重ねもありますが
それだけでなく「瞬間の閃き」や「その時代の感覚」というものが
泣きよりも要素として場合によっては大きいということがあり
この部分が逆に時代が変ったときに対応しきれない部分がでてくるのでは?
という気がするのです。

また笑いの大きな要素のひとつにその時代の世相に対する
パロディやジョークというものがあり
これらなどはその時は爆発的な笑いを誘うことがあるものの
ちょっと時代がずれただけで「シラ~」としたものに転化してしまうものもまた多く
たまにはその笑いが後世、感心になってくれるものもあるものの
そのほとんどはやはりその時代を体現もしくは熟知としてないと笑えないという
そういう理由づけ無くして笑えないものとなってしまうものが多いようです。
(立川談志師匠や柳家小三治師匠もこのあたりを落語の課題のひとつとされているようです)

ご存知のとおり、笑いにあとづけの理由などをいわれても
納得はすれど笑うことはまず無いとおもいます。
ここに笑いの要素のむつかしさがあると思うのですが
逆に考えると今回の結果発表に
あれだけ過去人気を誇ったギャグアニメの数々が出てこなかったかということは
これらの作品がいかに当時の世相に即し
しかも時代感覚を巧くとらえマッチしていたかということを
じつによくあらわしているということも言えると思います。

この結果発表はそういう意味で結果にあらわれたものと
あらわれなかったものの両方から考える
じつに興味深いものであったという気がします。

正直ほんとうに意義のある企画でしたし
とても面白い結果であったと思います。
次回同企画があったときの結果が今からとてもたのしみです。

※以上で〆です。

(追伸)
じつはここまで書いてふと思ったことに
作品のもつ量感というか「重さ」や「軽さ」というものも
また人々の印象や記憶というものに影響を与えているようなことがあります。
これに関しましてはまたいずれ機会をみてあらためて書いていきたいと思います。


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