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昭和51年日本シリーズ第6戦 [スポーツ]

この年のプロ野球はとにかく燃えていた。

前年最下位に沈んだ二年目のシーズンとなる長嶋巨人を中心に
このシーズンは動いたといっていいと思う。
日本ハムに高橋一と富田を出し張本を獲得。
クラウンライター・ライオンズからは加藤初、阪急からは水谷
そして一年目期待を裏切った球団史上初の外国人選手ジョンソンは
本来のセカンドに戻り雪辱を期し
サードには外野からコンバートされた高田がいるという
前年とは大きく違う布陣となった。

8:柴田
5:高田
7:張本
3:王
9:末次
4:ジョンソン
2:吉田
6:河埜
1:(投手)

野手:淡口、原田、柳田、山本功、槌田、土井
投手:堀内、加藤初、小林、新浦、ライト(途中入団)、倉田、小川

守備的にはかなり穴のある状態だったが
チームの爆発力としては稀に見るものがあり
シーズン途中には15連勝したこともあったし
途中からは王選手の700号や714号、715号、張本選手の連続安打など
いろいろな話題もそれを後押ししたし。
末次のサヨナラ逆転満塁ホームランという劇的な展開もあった。
またクレージーライトも暴れていた(笑

だが巨人は独走できなかった。
これに対する阪神もまた凄いチーム状態だったからだ。
江夏を南海に放出、かわりに江本をを獲得し(江夏+1と江本+3のトレード。)
新外国人二人を補強した阪神もまた圧巻だった。

4:中村勝
6:藤田
9:ラインバック
2;田渕
3:ブリーデン
7:東田
5:掛布
8:池辺
1:(投手)

野手:遠井、佐野、切通、桑野、
投手:江本、古沢、谷村、上田卓、上田次、安仁屋、山本和、

強力打線と投手陣がとにかく素晴らしかった
特にガッツの塊りのようなラインバックと若手ピカイチの掛布の活躍は素晴らしいものがあった。
だがこのメンバーを擁してもなぜか抜け出せなかった。
それはやはり巨人がいたからだ。

この二チームのシーズンを通しての死闘は
シーズン終盤の後楽園球場における
王の714、715号を巻き込んでの白熱した試合にまでいたったが
打線の力に気持ち勝った巨人がこのシリーズを制したのは
ある意味紙一重といってもよかったと思う。

その頃対するパ・リーグは前年初めて日本一となった阪急の強さが目立った年だった。
強打者門田を擁する野村南海や、金ヤンロッテ、闘将西本監督率いる近鉄
さらには台風の目となった大沢親分率いる日本ハムなどが挑んでいったが
この牙城を崩すことはかなわなかった。

8:福本
7:大熊
3:加藤
D:長池
4:マルカーノ
5:森本
9:ウィリアムス
2:中沢
6:大橋

となってはいたが、長池はDHがあわないせいか前年以上の不調続きで
代打男といわれた高井がスターティングに名を載せていたりしていたものの
前後期とも制覇して圧倒的な強さをみせつけたシーズンとなった。

自分はこの年の阪急を後楽園でみたが
前日大沢監督と主力の「ノーネック」ウィリアムス選手が暴れまくって退場したため
この日監督と主力選手抜きだった日本ハム相手だったとはいえ
その強さはやはり半端ではなかった。
このとき投げていた投手は山田久志
とにかく速いし球威はあるしアンダーハンド投手としてだけでなく
まさにリーグ、もしくは日本ほ代表するまさに最強の投手だった。
この年26勝8敗というとんでもない成績をあげたが
正直シーズン最初の頃はむしろ前年デビューした剛速球新人投手
山口高志の方がはるかに注目を集めていた。

あの当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった赤ヘル広島を一勝もさせずに撃破した立役者であり
「山口恐怖症」という言葉がでるほどの圧倒的なピッチングをみせたものだった。
だがこの年投の主役は山田に再びうつりそして巨人との決戦と相成った。

巨人はV9以来の日本一の座へ
そして阪急は連覇へのそれがあった。
だが阪急は前年覇権を握ったものの
「巨人に勝たないで日本一なんて…」と影で言われていたのも事実で
巨人に過去五回シリーズを戦ってすべて巨人の軍門に下っているという屈辱を晴らすためにも
このシリーズは絶対勝たなければならないシリーズとなった。

だがシリーズは意外な展開となった。
巨人は守備の乱調が凄まじくあっという間に三連敗してしまった。
新聞では「目を覆う虚弱巨人」という見出しまであった。
途中第一線と第二戦の間が雨で流れたり移動日があったりしたものの
なかなか雰囲気は変らなかった。
そして王手をかけられた第三戦の翌日またも雨が降って第四戦は順延となった。
阪急としては一気にいきたいところまたしても水をさされた形となった。

こうして向かえた第四戦、
巨人は小林をリリーフにまわしはじめて一矢報いた。
これはそのまま巨人のこのシリーズの勝ちパターンとなるのだが
この試合以降流れは巨人に傾きだす。
後で知った話では阪急の福本が巨人に対してかなり見下した発言をしたらしく
これが巨人の気持ちに火をつけたのがきっかけとなったという。
また不調だったジョンソンに代わり二塁に土井を入れたのもまた当たった。
こうして第五戦も勝った巨人は本拠地後楽園に戻ってきた。

自分はこうしてむかえた第六戦を観にいくこととなりました。
この試合は二試合雨で流れたため
月曜日の開催となり、しかも昼の開始ということもあったのですが
それ以上に巨人がまだ王手をかけられているということもあってか
じつは当日券がかなり発売されました。
自分は開校記念日で休みだったこともあり、
球場前にはMVP選手の商品となる車が展示されている横にある長蛇の列に並び
その日の当日券を購入しました。

場所はジャンボスタンドの三塁側でしたが
阪急ファンなどは微塵もいない
正直阪急の応援団以外はすべて巨人ファンというかんじでした。

この試合先発は堀内-山口というものでした。
ふつうに考えれば第四戦好投した中二日の足立なのでしょうが
足立は上田監督からの言われたこの試合の先発要請を
「中二日ではベストのピッチングをする自信が無い」ということで固辞
けっきょく中一日で第五戦救援として当番していた山口をたてることになりました。

この試合、前半いきなりの阪急ペース。
堀内が初回から失点を重ね、
二番手の加藤初もウィリアムスに3ランをくってしまい
5回表で早くも7-0
大勢が早くも決した感のある試合となってしまいました。
巨人ファンの一部には三塁側の阪急応援団に何かを投げつけたりと
かなり雰囲気の険悪な状態となり
このまま終わったら暴動になってしまうのでは、と心配してしまったものでした。
(因みに自分は日本ハムファンだっのですが
一度日本シリーズを観戦してみたいというただそれだけでこの場所に来ていました。
ただ王選手や山口選手を生で観てみたいというそれもありましたが…)

ですがここからドラマがはじまります
その裏連打で巨人は二点を返し7-2
さらに6回の裏には淡口が3ランを山口から打ち、7-5
試合は一気に緊迫の度を増していきました。
しかも球場全体のファンの後押しも凄まじく
まだ鳴り物の無い、しかもサッカーのそれのようなコールもなかったものの
その雰囲気というか歓声は凄まじいものがありました。

巨人は小林を三番手に送り込み
一点もやらさないという状況でプレッシャーをかけにきました。
小林はこの日も絶好調で阪急打線につけいる隙を与えませんでした。

ですが阪急も逃げ切りをはかるため山口に代えてエース山田を登板
最後のカードを切ってきました。
おそらくこの試合を制したものがこのシリーズを制するという
そういう感触を両軍の監督が強く感じたのでしょう。
この日の山田は球威スピードともあったものの巨人の執念と集中力はそれを上回り
土壇場の8回裏
ついに柴田が山田から同点となる2ランを放ち振り出しにもどしてしまいました。

このときの球場の興奮は凄まじく
自分は得点上は振り出しではあるものの、勝負あった、という気がしたものでした。
その後阪急は9回裏を凌いだものの流れは完全に巨人ペース
そして延長10回の裏
張本のヒット、王の四球となり一二塁
そして五番に入っていた小林がまさかまさかの野手の間を抜ける安打を放ち満塁
この瞬間の球場は異常なほどのどよめきと
次に訪れるであろう奇跡の瞬間への緊張感のようなものにつつまれていました。

打者は高田。
ここまでけっしてシリーズの調子はよくなかったものの
今シーズンの打撃好調を支えた流し打ちにすべてをかけ打席にむかいました。

結果はライト前ヒット。

とびあがりながらホームインする三塁ランナー張本
足元に転がってきたボールに呆然とする
この日決定的ともいえる3ランを放った「はず」のライトのウィリアムス
歓呼をあげながら総立ちとなり万歳を連呼する満員の巨人ファン
(この瞬間後楽園球場そのものが立ち上がったかのような錯覚を起こしたほどでした)
そして…肩を落とし引き上げる阪急ナイン

これが野球か!というくらいこのシーンはいまだに強烈に焼きついています。
その後スポーツでこれだけ劇的な観客の興奮を体験したのは
川田利明-ゲーリー・オブライト、初シングル試合後の日本武道館
そして埼玉でのWカップ、
日本-ベルギー戦における稲本の二点目が決まった直後くらいかもしれません。

だがドラマはこの翌日もありました。

前日登板を固辞した足立が上田監督に登板を直訴
そして一点リードされ1アウト満塁の絶対のピンチに
前日のヒーローの淡口をむかえるも
真ん中からストンとおちる足立得意のシンカーで1-2-3のWプレー。
そして流れは第三戦以来阪急の流れとなり
森本、福本がホームランを放ち4-2と逆転。
巨人の小林投入が後手にまわったのが痛く
そのまま阪急が悲願の巨人超えを果たしたシリーズとなりました。

その日のテレビでは喜びに泣き崩れる阪急の選手の面々が映し出されていましたが
阪急の選手にかかっていたプレッシャーがいかに半端なものでなかったか
これがじつにわかるシーンでもありました。

このシリーズの詳細はウィキペディア(Wikipedia)における
http://ja.wikipedia.org/wiki/1976%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
ご参照いただくとして
昭和51年のシーズンそのものもとてもスリリングなものでしたが
とにかくこのシリーズ
特に第6戦はほんとうに強烈な印象をいまだにもっていますし
勝負のむつかしさと非情さ、そして流れの怖さというものを痛感させられたものでした。

因みにこのとき死闘を演じた巨人は1981年、
その巨人とペナントで激闘を演じた阪神は1985年にそれぞれ日本一に輝いています。

そして私が細々とこの昭和51年から応援している日本ハムは1981年に
柏原、ソレイタ、クルーズ、鍵谷、木田、間柴、高橋一、高橋直等の活躍でリーグ優勝はするものの
日本一は前身の東映フライヤーズが1962年に日本一になって以来無縁なものとなっています。
今年は11連勝もありちょっと期待していますがはたしてどうなりますか。
かつて大失速してリーグ優勝を逃した経験もあるので不安の方が遥かに大きいです。

とにかくまたこのときのような
凄まじいほどの強烈な経験を球場でしてみたいものです。
今年秋以降、はたしてどのようなドラマがありますことやら…です。

※この項目は日本ハムネタがあるので、
これを書き込むとその連勝が止まると怖いということがあり
連勝が止まるまで書き込みを控えていたら、
一週間近くたってしまいまいました。
縁起をかつぎたがるとはいえちょっと長かったです。
しかもこの項そのものもまた長い!申し訳ない!


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