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ウラディーミル・フェドセーエフ指揮NHK交響楽団(5/18) [演奏会いろいろ]

(会場) NHKホール
(座席)3階C13列32番
(曲目)
ショスタコーヴィチ:交響曲 第1番 へ短調 作品10
チャイコフスキー:弦楽セレナード ハ長調 作品48
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」から「序曲」と「ダッタン人の踊り」


フェドセーエフが初めてN響を指揮した公演二日目。開演前少し揺れを感じたものの、その後何事もなく開演。

今年81歳となるフェドセーエフ。さすがに動きはかつてに比べるとゆったりしたものになったものの、その堅実で実直な音楽づくりは健在だった。思い出せば初めてフェドセーエフを聴いたのは今から27年前の5月13日に茅ヶ崎市民会館でのモスクワ放送響との公演だった。当時から直球主体のストレートな音楽づくりでグイグイ押してはくるものの、どことなく乾いたその響きのせいか陰鬱さや情念の濃さよりも、チャイコフスキーという作曲家の骨格というか、ロシア音楽のもつ下支えの強さと格調の高さのようなものが強く印象に残る演奏を展開していたのですが、この日もその音楽そのものにまったくブレは見当たりませんでした。

最初のショスタコーヴィチなどまさにそのときのチャイコフスキーと同じスタンスによる演奏。このためもっと鋭く諧謔的なものが欲しいと感じた人もいたかもしれませんが、これほどチャイコフスキーやストラヴィンスキーの三大バレエあたりと近しく感じた演奏も珍しく、骨太で、しかも強く共感をもって歌いこまれたこの演奏に、ある意味ショスタコーヴィチもまたロシアに深く根を張った作曲家であったことを強く感じさせるものがありました。特に終楽章にはそれが顕著にあらわれており、この交響曲の概念を根本的に再考させられるほどのものがそこにはありました。これはひじょうに貴重な経験となりました。

この後休憩を挟んでチャイコフスキーとボロディン。

このショスタコーヴィチを聴いた後、ちょっとプログラムの順序が逆なのでは?と思ったものの、続くチャイコフスキーもこれもまた堂々としたもので、以前のような力強く大きなうねりをもった歌い回しよりも、細かい表情付けの方が際立った演奏になっていました。ただ以前にも感じていた、第三楽章における白夜の情景を思い起こさせるような美しい響きは健在で、N響も指揮者のそれらにここではよく応えた演奏を聴かせてくれていました。

最後のボロディンはそれらに比べると、比較的あっさりとしたもので、ある意味フェドセーエフの個性と曲想が合いすぎていたため、そう感じたのかもしれません。とにかくフェドセーエフの音楽がじつによくみてとれるこの日の演奏会でした。

尚この日のN響。ショスタコーヴィチの冒頭、あまりにも散漫かつ無表情な白けた音楽に、このままではいったいどうなることかと心配したものの、第一楽章途中か急速に集中力のある表情豊かな音楽に変貌していき、この楽章が終わるころには申し分ない見事な演奏を展開していました。指揮台でフェドセーエフが悲しそうな表情でもしたのかと、一瞬思ったほどのそれは豹変ぶりでした。N響の底力をあらためて痛感させられた演奏会でもありました。

終演後、NHKホールを出て原宿方向へ、「ワン ラブ ジャマイカ フェスティバル」の賑やかリズムを耳にしながら徒歩で初台へ。ここからオペラシティまで歩いて約四十分。いい天気です。
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