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クリスティアン・アルミンク指揮新日本フィルハーモニー交響楽団(7/16) [演奏会いろいろ]

(会場)すみだトリフォニー
(座席)2階5列13番
(曲目)
ベートーヴェン作曲ピアノ協奏曲第4番ト長調 op.58 (P/若林顕)
ベートーヴェン作曲交響曲第3番変ホ長調『英雄』 op.55


アルミンクという指揮者のイメージというと、よく目にするものに「無味無色」「軽快」「爽快」みたいなものがある。そのせいかアルミンクのそのイメージにあうような曲ではそこそこ評価はされるものの、そうでないと一転評価が辛辣になるようだ。「つまらない」「内容がない」「浅薄だ」というものが俄然目につきだす。そこには本人の外見的なものもあるのかもしれないが、それはハイティンクの外見をみてそれを誹謗するのと大同小異といっていいだろう。そういう意味でこの日の曲目をみて「アルミンクの英雄なんて」と思われる方がいらっしゃっても不思議ではない。だが今日演奏されたアルミンクのそれは自分が聴いた同曲でも屈指の名演だった。

アルミンクの「英雄」は快速だった。かつてMUZAで聴いたベートーヴェンの交響曲第4番でもそうだったのでこれは予想通りだった。テンポとしては自分がこの曲を聴き出した時に愛聴していた、ブルーノ・ワルターとNYPOのLPによく似ていたし、反復も同じようにカットしていた。そのせいか何かとても懐かしい感じもしたし、心地よい感じすらした。

ただアルミンクのそれはただ快適にドライブしている感じでだけはない。随所に細かな表情づけが施されているし、低音部の濃い響きや、ティンパニーの強い打ち込み、ホルンの力いっぱいの咆哮、そして要所要所での力強いアタックや厳しい音の運び方が全体を強く支配していた。これらはみな書いていると、なんだ当たり前のことばかりじゃないか、と言われるかもしれないが、それらを指揮者が極めて真正面から正攻法なやり方でやった中で行っていることを自分は高く評価したい。

最近アルミンクの世代の指揮者の一部には、これら古典派の曲をピリオドという「型」に逃げて、何をやろうとしているのかわからないという人がいる。自分はピリオドが嫌いというわけではないが、こういうやり方は正直いただけないし時間と労力と才能の無駄と思っている。これに対し今日のアルミンクは、ある意味そういう人達からみると旧態依然とみられかねないタイプのそれではあるものの、アルミンクはそれらにバランスのよさ、音の明晰さ、現代風ともいえる推進力があるので、決して古くさい演奏とはならない。しかも先に述べたように細かい表情付け等も施しているし、オケにもかなり力を込めた、広く大きな音を要求していることもあって、せせこましくなったり小味になったりというところがまるでない。もちろん時間と労力と才能の無駄とは無縁の世界の音楽となっている。

あとこの日、アルミンクはひょっとすると昔気質的な音楽に憧れているか、もしくはベースにそういうものを包容しているのでは?という雰囲気をときおり感じさせるものがあった。ホルンやティバニーをあれだけ強く押し出しているのに、なぜかトランペットだけはどんなときもオケの中でつやけしされたかのように、オケの一部以上の存在とならず、音を添えるかのように吹かせていたことがそのひとつ。これなどはかつてのカイルベルトのベートーヴェンや、自分が実演で聴いたグローヴスのブラームスなどで聴かれたもので、なんか昔の職人指揮者がやるようなバランスを聴いているみたいで、なんとも不思議に気がしたものでした。

それとアルミンクは相対的にはインテンポに聴こえるものの、細部は前述したとおりかなりいろいろと施していて、最小の動きで最大の効果をあげることを旨としているようにも感じられた。これもまた壮年期のボールトあたりにみかけられたやり方だ。アルミンクはそういう意味で、曲によっては何か古き良き時代の演奏に対するリスペクトを自分の中で充分消化し昇華した後に、それらを演奏の中でも展開しているのではという気がし、上でも最初書いたように、昔気質の指揮者的なものを背後に潜ませている気がとにかくしたものでした。この人の古典派をもう少しいろいろ聴いてみたいものです。

またいろいろと一部に言われている弦の響きも、たしかに都響あたりのような濃く分厚いそれではないものの、ここというときにひとつとなった時の集中力や、ときおり聴かれる手作り的ともいえる温かくうっすらとした光沢のある響きは、このオケならではの持ち味という気もしたものでした。

サッカーの岡田JAPANが指し示した、「日本には日本にあったサッカーがある」ように、新日本フィルには新日本の今いるメンバーでしかできないサウンドというものがあるはずです。それをやれどこかのオケに比べて「やれどうのこうのという」意見に対して、たしかに聞くべきものは聞くという姿勢は大事かもしれませんが、それによって本来の自分を見失うというのは本末転倒という気がします。

この日自分はこの演奏会にとても注目していました。それはブリュッヘンのベートーヴェンチクルス発表後に行われた、現新日本フィルのシェフによるベートーヴェンプロだということ。おそらこれからこのオケでベートーヴェンをやるとき、このブリュッヘンのそれといかにスタイルが違うとはいえいろいろと言われることでしょうし、特に言われるのはアルミンクその人でしょう。そんなアルミンクがはたしてどうこの「英雄」を指揮するのか、自分はとてもそこに注目していました。

結果はじつに素晴らしい、しかもアルミンクの隠れた部分も垣間見れたような、そして何があっても自分は自分というところをしっかり演奏を通してみせてくれたということで、とても有意義な演奏でした。アルミンクという指揮者はじつは我々が思っているより、はるかにいろいろなものを持ち合わせた、しかもかなり強かな指揮者かもしれません。

尚、前半の協奏曲もアルミンクのそれはかなり充実したものでした。若林さんはもう少し涼しい時期に聴きたかった。なんか暑さ等で若干気持ちと演奏に差異が出たようなところがあったのが残念でしたが、後半は密度の高い演奏が展開されていました。

しかしこの「英雄」。今日も含めて三日間演奏されるのですが、はたしてオケがもつのかどうか、それだけが心配です。
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