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ニコラ・ルイゾッティ指揮東京交響楽団(7/25) [演奏会いろいろ]

(会場)ミューザ川崎
(座席)2階RA4列19番
(曲目)
ヴェルディ:運命の力、序曲
チャイコフスキー:ロミオとジュリエット
プロコフィエフ:交響曲第5番

 イタリアの若手ルイゾッティを初めて聴きました。この人はよくオペラの指揮をよくしていて、その評判がなかなかよかったということなので今回聴きに行ったのですが、じつに面白い指揮者でした。

 この指揮者は他のイタリアの指揮者同様、「よく歌う」タイプなのですが、ひたすら大きく情熱的に歌わせるということはせず、熱く歌いながらも単調に陥ることなく、随時表情を細かく楽想に応じて変化させていくことを心がけているため、かなりどの曲も表情が豊かなものになっていました。またこの人の表情づけや歌わせ方は、そのまま劇的効果や舞台的な雰囲気に効率よく最短距離で到達するようにできているようで、やることなすこと無駄が無い。またそのロジェスヴェンスキーやラザレフ以上の個性的ともいえる極めてオーバーアクションの指揮ぶりも、そのわりには肩の高さや位置をあまり変えない等のこともあってか、意外なほどいいたいことがよく伝わる指揮となっていたりと、とにかくじつに興味深いものがありました。

 最初のヴェルディはじつに劇場の雰囲気をもったものとなっており、今すぐ幕が開いてもおかしくないようなじつに秀逸なものとなっていました。

 続くチャイコフスキーは、ふつうなら誰しも濃厚に歌いまくりそうなところも、じつに表情の変化を大きくつけた多様な歌に徹しており、このためなにか音楽付きの無言劇に接しているような錯覚を受けたほどでした。チャイコフスキーを聴くというより、シェイクスピアを聴かされているといったかんじの、とにかく音楽を読み聞かされているといった感じの演奏でした。

 この多様な表情をみせながらも、じつにひとつひとつのフレーズを見事に歌いきることをしていたルイゾッティ。そうなるとプロコフィエフではこの特性がどう作用するのか?結果はじつに面白いものとなりました。

 ルイゾッティの演奏は、かのマリス・ヤンソンスが若き日にレニングラードフィルを指揮してシャンドスに録音した同曲のそれと似た颯爽としたテンポで演奏した、かなり明快かつダイナミックなものとなりましたが、歌いぬきが前半より曲想のせいかさらに細かくなったため、次々と表情がめまぐるしく変わるものとなりました。ただそれでいてじつにすべてのフレーズが半端無く、しっかり歌いきられているので混乱や中途半端なこともなく、じつに明快なつくりとなっていました。しかも交響曲にもかかわらず、まるで他のプロコフィエフのバレエ音楽を彷彿とさせる雰囲気が全体に横溢しており、とてもスペクタクルな雰囲気をもった演奏となっていました。

 もっともその見事な歌いっぷりと表情の激変をともなう多様さが、プロコフィエフのもつ歌謡性とはうまくいったものの、この作曲家のときおりみせる諧謔的な雰囲気とはそれほど邂逅することがなかったため、全体的にとても陽性なものとなっていました。特に終楽章最後のそのスカーンと抜けた爽快な終わり方などは、かつてのラザレフのような驚天動地ともいえる凄み炸裂と比較すると、かなり対極ともいえるもので、もう少し抉ってくるようなプロコフィエフを期待された方にはかなり異質に聴こえかもしれません。が、それでもこれはこれでとても、聴かせどころ抜群の演奏と終始なっていたように自分は感じました。

 とにかくこの日の演奏会で、ルイゾッティの特性というか、そのベースとなるものはたいへんよく感じられました。次回はぜひマーラーやベルリオーズあたりを聴いてみたいものです。

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