あのとき沼津はダメだと思った。(2015年からの回想) [沼津~三の浦]
この前「コンテンツツーリズム学会」のシンポジウムに行った。
その後意見交換会に参加したとき、
ある方から唐津や徳島の事についてお話を聞く機会があったが、
そのとき「点と線」の話をしていたらふと沼津の事を思い出した。
なのでこの機会にちょっと長目にいろいろと書きたいと思います。
自分が初めて沼津に行ったのは2015年7月の暑い平日の昼下がり。
数日前に放送された「高尾山古墳」取壊しの件のテレビをみて、
それを観に出かけて行った時のこと。
この時の沼津の第一印象は時間帯の関係もあったかもしれないけど、
とても静かというか「凪いだ街」というのがそれだった。
それは駅の北口もそうですし、
南口はもう少し賑やかに感じられたが、
かつて再開発される前のJR川崎駅にも色彩が似ていて、
どこかモノトーンの街というイメージだった。
そこには新幹線を三島に「取られた」事により、
長期に渡りゆっくりと黄昏ていった街というそれを、
群馬県の水上同様強く感じ、
富士山だけはとても綺麗というそれだけが印象の街だった。
その翌年「ラブライブ」の新作がその沼津が舞台になると聞いて、
正直ピンと来なかったのはそのせいかもしれない。
ただ舞台は沼津市街地南の内浦ということで、
そこにはまだ行ったこともなかったため、
「三嶋大社」「反射炉」「伊豆・三津シーパラダイス」
「長浜城跡」「沼津御用邸」も一緒にまわるコースをとり再訪した。
2016年6月12日の話。
正直言うと前年沼津に訪問したときと印象は同じだった。
ただ穏やかでゆったりと時間が流れていくそれはなかなか心地よく、
ここからの富士山をはじめとする風景もまた素晴らしかった。
そしてこのときまったく偶然だけど、
自分が子供の時父親に連れられて一泊したことのある船のホテルが、
ここより少し先にあった「スカンジナビア号」だったという事がわかり、
自分が1970年代初めにすでに沼津に一度来ている事を初めて知った。
それから「沼津港線跡」や「ビゴーの絵」、「ゴジラ山」、
そして「津波災害に対する対応の仕方」等々、
いろいろと沼津市街地や三の浦を訪れる動機が次々と生じた。
そのため延々とラブライブを追いかけていたわけではないけど、
それでもいろいろと感じる物が多々あった。
そんな中、最初の内浦訪問となったこの6月12日。
正直放送前ということでまだまだ嵐の前の静けさだったようで、
ごく数名の早乗りライバーと思われる方がいたくらいで、
ちょっと拍子抜けするくらい何もない状況だった。
三津シーパラダイスや三の浦総合案内所が、
多少準備が進んでいるようには感じられたが、
翌日がアクアのメンバーの誕生日にしてはあれな感じだったし、
そのことは告知してあったけど、
そこに貼られていたポスターはその人とは別の人のポスターだった。
正直ことラフライブに関しても見るべきものが無く、
その後放送が開始されてからもう一度出かけてみたものの、
あまり目立った大きな変化は感じられなかった。
その後静浦には行ったものの内浦は淡島以外はご無沙汰で、
ようやく次に三津訪問となったのは12月の中旬。
一期が終了し二期がはじまるまでの期間だったけど、
そこでも驚く程内浦は盛り上がりに欠けていた。
確かに大洗も一期終了後はこんなものだったけど、
ただもっと人は来ていたし、
これから賑わうだろうなあという気配は感じられていた。
12月24日は初のキャンドルナイトがあったけど、
それでも大きな盛り上がりとは到底結びつかず、
何か散発的で後に続かないイベントにみえてしまった。
また内浦には大洗のような大きなイベントができるスペースもなく、
そういう意味でちと難しい部分も見えてきてしまった。
またその頃一部で、
あまり開かれた場所ではないところで自由に振舞われて、
「こんなことならやってほしくなかった。」
という手厳しい声も一部であがるトラブルも起きていた。
これは「聖地」の観光の部分だけが先行し、
各聖地で起きている共通したトラブルに対する、
横の連絡網を形成するようなシステムが皆無だったこともあるげど、
ただでさえ盛り上がりに欠けるところにこれでは、
「沼津はダメかもしれない」
と鴨川以上に正直思ってしまった。
この頃実際内浦の内部でも、
こんなはずではなかったという声があがっていたという。
たが年が明けしばらくするとこの状況が変わりはじめた。
自分はこの頃の事を、
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2017-01-12
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2017-01-23
に書いているが、
この二つの間に内浦を含む三の浦ではなく、
より沼津駅に近い沼津港あたりの一部の店が、
ネットを中心にいろいろと「発信」をはじめていた。
それは次第に数が顕著に増え始め、
しかも地域もかなり広範囲になっていった。
また内容的にも単なる一方向的なものでなく、
次第にネットを通じてのキャッチボールが、
ビジターの方たちとおこなわれるようになり、
明らかにその店のファンが確実に形成されているそれが見て取れていった。
沼津駅北口から沼津駅付近、上土や沼津港、そして西浦と、
今まで聖地としてやや不利と思われた沼津の地理的な長さを、
まるでカバーするかのように多くの店舗が、
しかも明らかにキャラが登場しない地域までも、
沼津という空気と名前を共有しているというそれを軸にして、
この流れに呼応しはじめた。
さらには次第にこれらの中における、
今まで接点が無かった発信者である店舗同志が、
互いに連絡を取り合ったり訪問したりと、
ラブライブ以前では考えられない動きと繋がりがではじめた。
これの要因は本編でキャラクターが三の浦だけではなく、
沼津駅近辺から商店街、そして沼津港まで歩き寛ぎ、
そして走り回ったことが大きい。
特に五話でのそれが大きく、
それ以降沼津港から駅にかけての訪問者が増大したという。
この回はガルパンの大洗と聖グロの練習試合の回と、
同じような役割を果たしたといえるような回だった。
ただ当初、内浦が舞台のアニメがあるという程度の認識だったためか、
それが放送されても対応が一歩遅れで後手にまわったのか、
年末頃までそれらはあまり強くは感じられなかった。
前年末に「沼津は…」と思ったのもそれが原因。
ただ沼津各所でのそれらが軌道に乗るとちょっと面白い現象が起きた。
つまり、
沼津駅~沼津港が「表玄関」、
三の浦全体が「奥座敷」みたいな感じとなり、
二重構造聖地というかなりユニークなそれとなっていった。
そして「表玄関」はどちらかというと「食」と「遊び」、
「奥座敷」では「観る」と「体感」がメインとなり、
その色分けがうまくできていっているように感じられた。
これによりとても全体がうまく潤滑するようになっていったが、
これは何かを狙ってしめしあわせてそうなったのではなく、
沼津のこれらの地域の本来の特性が、
ラブライブによって街の流れが活発化したことでより明確化した、
もっというと本来の姿を取り戻していったということなのだろう、
それはあたかも元気のない人が、
身体にあるツボともいえる反射区を刺激し、
その人本来の健康を取り戻していくそれのようにも感じられた。
その頃にはかつてモノトーンにみえた沼津駅の南口も、
以前に比べ「色彩」がより自分には感じられるようになっていった。
ただこれは沼津の人と物の流れが活発化しただけでなく、
自分自身がこの街の魅力をこれらのことにより気づかされたことも、
少なからずあったような気がした。
何かが動き出すとこうまでいろいろと変わっていくのかと、
おそらく行政レベルでもそのあたりのことを、
この頃には感じ始めていたのではないだろうか。
その後沼津市の公式サイトのトップページにおいて、
アクアの各キャラの誕生日がお祝いされるようになったのは、
多くの方がご存知の事かと。
もっともそれを行政が認識したからといってそこまでするには、
それ相応の流れや雰囲気が街にないと些かやりすぎとなってしまうが、
これにはあるもうひとつ顕著な動きが原因としてあったような気がする。
それはファミリー層への浸透と認知だった。
このあたりは、
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2017-02-15
にもかつて書いたけど、
最近では一部幼稚園でアクアの歌を歌っている所があったり、
自分も各所で子供連れの人がアクアの事を親子で話し、
「どの子が好きなの?」
という話題となっているそれを何度もみかけた。
おそらくこれはテレビや告知物、
さらにはラッピングタクシーやバスの効果もあるだろうけど、
花火大会や盆踊りでのそれも大きかったという話を聞いた。
また最近ではかなりの年配の方も、
「あの可愛い女の子のことでしょ。」
とアクアの事を話しているそれに出合わせたこともあった。
オタク向け、もしくはそういう人達の多い層向きと思われた作品が、
いつの間にか街の幅広い層に拡がっていったことは本当に驚きだ。
もちろんすべての人たちが好意的に受け入れてるわけではないだろうけど、
それでもこの流れはとても素敵なものがある。
※これは数年前の鷲宮でも見受けられた。
アクアがそれこそプリキュア要素をもった「くまモン」のような、
幅広い層を巻き込んでのご当地キャラになってしまったように感じられた。
またこの流れによって伊豆・三津シーパラダイスの、
以前からあるマスコットキャラだった「うちっちー」が、
全国レベルのキャラにまで有名になっていった。
なんかガルパンのボゴと重なるものがあったけど、
以前からいたキャラクターの有効活用と活性化という、
これもまたとても地元のファミリー層への浸透にも、
一役かっていたような気がするけどどうなのだろう。
沼津は今、単発のイベントや一部店舗だけの「点」頼りではなく、
広い地域の多くの店舗が連携するかのように繋がり、
また街そのものが作品を好意的に受け入れその雰囲気を大事にし、
本来ある街のそれを有効活用しながら活性化し、
それによって生じた「面と線」によって聖地を形成することができた。
またその動きは沼津だけにとどまらず、
新横浜でのイベントでは作品にも登場した「のっぽパン」、
そして大洗では地元の「みかん」を販売している。
特に大洗でのそれは一見関係無いように感じられるかもしれないけど、
この二つの作品のファンだっているだろうし、
また大洗に来ているビジターの中には、
むしろ沼津の方が距離的には近い人だっているかもしれない。
そういう人達に認知してもらい、
呼び込む努力をする考えと言うのも、
これまた「点」よりも「線」を重視する考えの発展型といえるだろう。
沼津は現在完全に「ラブライブ」を呑み込み昇華し、
自分の街のツールとしはじめている。
これには沼津という街が、
「城下町」「宿場町」「港町」
という三要素をもった本来多彩な街であったことが、
いろんな事柄を生み出す引き出しにもなっていたのかもしれませんし、
外から流れて来た今までに経験の無い事物に対しても、
タフな展開を経ながらちゃんと対応できた理由なのかもしれません。
とにかく二年前の年末には「ダメだ」と思わせた街が、
今はこの状況なのだから本当に物事一寸先は分からない。
これから沼津がさらにどうなっていくのかはわからないけど、
ひとつ誤解してほしくないのは、
聖地云々がその街を活性化するのではなく、
聖地はあくまでもそのきっかけやとっかかりであって、
あとはその街自身の力によって勝手によくなっていくという事。
そこではその街が今までどういうことを地道にやってきたかが、
ある日突然全国区で問われるという、
逆にいうと抜き打ち試験並みの怖さもそこにはあるけど、
例えば小売店の接客レベルでのベースでもある、
「人づくり」「店づくり」「顧客づくり」
を疎かにすることなく行っていれば、
怖れという要素は極めて小さいといえるだろう。
なので今の沼津は、
それまで自分たちがやってきたことが、
正真正銘の大当たりだったことを、
身を持って体感しているともいえるだろう。
劇場用作品の公開も予定されているので、
まだまだこれからもそのあたりを含め、
よりいろいろと進化していくことでしょう。
それにひょっとするとこの映画、
かつて「花咲くいろは」の劇場版が、
その作品の「聖地」に近い金沢で先行上映されたように、
これまた沼津で先行上映されるかもしれません。
そのときはその時点における沼津がさらにどう進化しているか、
そのあたりもより感じられるかもしれません。
…といったところが、
この前の「コンテンツツーリズム学会」のシンポジウム時に、
徒然と浮かんできたものでした。
そういえば最初にふれた唐津と徳島の話。
自分はこの二つは妙に立地的に似たものを感じているけど、
徳島は唐津に比べると「阿波踊り」や「マチアソビ」の時はともかく、
それ以外ではなかなかその流れが来ないとか。
これはおそらく徳島が「ラブライブ」初期の沼津のように、
「点」としたものに売りが偏りすぎているという、
そういう部分があるのではないかと思った。
それを思うと例えば微々たるものかもしれないけど、
商店街で「空き」になったところを改装して、
「マチアソビ記念館」
のようなものを開設し、
過去のマチアソビの記録や記念のもの等を展示したり、
地元と関係している製作者や声優、キャラなどの紹介や展示をするという、
そういう年中公開ものがあったっていいだろうし、
そこでミニライブやミニトークとか随時やるのもいいと思うし、
地元のサークルの発表の場を提供したっていいだろう。
そういう一部期間のみの開催ではないもの、
それまでの積み重ねの記録的なもの、
そして何といっても地元関連性の強いものがやはりほしい。
また唐津にまで打って出て「マチアソビ」だけでなく、
「徳島紹介ブース」みたいなものを、
「ユーリ」のイベント時等に出すというのも有りだろう。
これはそこで唐津の人たちを呼ぶのではなく、
唐津に来る人たちに認知してもらうというもので、
その中には岡山、兵庫、大阪、京都と、
徳島に近い人たちだって唐津に行ってるかもしれない。
そういう「線で結ぶ」的な感覚も徳島にはより必要だと思う。
まあダラダラと書いてしまいましたけど、
今一度これらの事を考えるきっかけとなった、
このシンポジウムに参加した学生さんには本当に深謝です。
こういう若くて頭も行動力も柔軟な方が、
これからの日本を支えていくんだろうなあと思うと、
ちょっと嬉しい気がしました。
あとこの日講義をされた伊藤成人さんの話を聞いていたとき、
前述した「人づくり」「店づくり」「顧客づくり」
を思い出した次第。
それはおそらく自分の仕事や考え方のベースと、
ひじょうに近しいものがあったからかもしれませんし、
こういうときに自分のベースの棚卸ができるのは、
ある意味沼津の今の活性化と相通じるものがあるのかも。
これもまた勉強になりました。
でも一番勉強になったのは、
「そのときはダメだと思っても、本当にダメなものは無い。」
ということなのかもしれません。
そういう意味で沼津は自分にとってもいろいろと教えてくれた街でもあります。
あと最後に余談ですが、
街が例え聖地になっても決して余所行きの姿に変貌したり、
無理をした企画でその街に負担ををかけるべきではないというのは、
各人の中に形成された「聖地」としてのその街のイメージが、
作品で描かれているようなその町の普段そのものの姿であって、
それ以上でもそれ以下でもないということが理由としてある。
また街が作品と何かコラボしてやるにしても、
ふだんのそれから激しく逸脱することなく、
無理せず継続可能でしかも自分たちも楽しめるというのがベスト。
自分たちの街が聖地になったから云々というのではなく、
じつは来た人達の心の中に本当の理想の聖地がある。
なので自分たちはビジターの心の中にある聖地と、
現実にある自分たちのいる街との、
いわゆる「夢」と「現実」の「鎹(かすがい)」になれるような、
そんなふうにこのあたりのことを、
これからは考えていくべきものなのかもしれません。
そのあたりはアニメとファンの間に存在する声優のそれと、
かなり近しいものがあると個人的には思っていますが、
このあたりのことを話すとさらに長くなるのでここで一応終了です。
以上で〆。
長々ととりとめのない駄文におつきあいいただきありがとうございました。
その後意見交換会に参加したとき、
ある方から唐津や徳島の事についてお話を聞く機会があったが、
そのとき「点と線」の話をしていたらふと沼津の事を思い出した。
なのでこの機会にちょっと長目にいろいろと書きたいと思います。
自分が初めて沼津に行ったのは2015年7月の暑い平日の昼下がり。
数日前に放送された「高尾山古墳」取壊しの件のテレビをみて、
それを観に出かけて行った時のこと。
この時の沼津の第一印象は時間帯の関係もあったかもしれないけど、
とても静かというか「凪いだ街」というのがそれだった。
それは駅の北口もそうですし、
南口はもう少し賑やかに感じられたが、
かつて再開発される前のJR川崎駅にも色彩が似ていて、
どこかモノトーンの街というイメージだった。
そこには新幹線を三島に「取られた」事により、
長期に渡りゆっくりと黄昏ていった街というそれを、
群馬県の水上同様強く感じ、
富士山だけはとても綺麗というそれだけが印象の街だった。
その翌年「ラブライブ」の新作がその沼津が舞台になると聞いて、
正直ピンと来なかったのはそのせいかもしれない。
ただ舞台は沼津市街地南の内浦ということで、
そこにはまだ行ったこともなかったため、
「三嶋大社」「反射炉」「伊豆・三津シーパラダイス」
「長浜城跡」「沼津御用邸」も一緒にまわるコースをとり再訪した。
2016年6月12日の話。
正直言うと前年沼津に訪問したときと印象は同じだった。
ただ穏やかでゆったりと時間が流れていくそれはなかなか心地よく、
ここからの富士山をはじめとする風景もまた素晴らしかった。
そしてこのときまったく偶然だけど、
自分が子供の時父親に連れられて一泊したことのある船のホテルが、
ここより少し先にあった「スカンジナビア号」だったという事がわかり、
自分が1970年代初めにすでに沼津に一度来ている事を初めて知った。
それから「沼津港線跡」や「ビゴーの絵」、「ゴジラ山」、
そして「津波災害に対する対応の仕方」等々、
いろいろと沼津市街地や三の浦を訪れる動機が次々と生じた。
そのため延々とラブライブを追いかけていたわけではないけど、
それでもいろいろと感じる物が多々あった。
そんな中、最初の内浦訪問となったこの6月12日。
正直放送前ということでまだまだ嵐の前の静けさだったようで、
ごく数名の早乗りライバーと思われる方がいたくらいで、
ちょっと拍子抜けするくらい何もない状況だった。
三津シーパラダイスや三の浦総合案内所が、
多少準備が進んでいるようには感じられたが、
翌日がアクアのメンバーの誕生日にしてはあれな感じだったし、
そのことは告知してあったけど、
そこに貼られていたポスターはその人とは別の人のポスターだった。
正直ことラフライブに関しても見るべきものが無く、
その後放送が開始されてからもう一度出かけてみたものの、
あまり目立った大きな変化は感じられなかった。
その後静浦には行ったものの内浦は淡島以外はご無沙汰で、
ようやく次に三津訪問となったのは12月の中旬。
一期が終了し二期がはじまるまでの期間だったけど、
そこでも驚く程内浦は盛り上がりに欠けていた。
確かに大洗も一期終了後はこんなものだったけど、
ただもっと人は来ていたし、
これから賑わうだろうなあという気配は感じられていた。
12月24日は初のキャンドルナイトがあったけど、
それでも大きな盛り上がりとは到底結びつかず、
何か散発的で後に続かないイベントにみえてしまった。
また内浦には大洗のような大きなイベントができるスペースもなく、
そういう意味でちと難しい部分も見えてきてしまった。
またその頃一部で、
あまり開かれた場所ではないところで自由に振舞われて、
「こんなことならやってほしくなかった。」
という手厳しい声も一部であがるトラブルも起きていた。
これは「聖地」の観光の部分だけが先行し、
各聖地で起きている共通したトラブルに対する、
横の連絡網を形成するようなシステムが皆無だったこともあるげど、
ただでさえ盛り上がりに欠けるところにこれでは、
「沼津はダメかもしれない」
と鴨川以上に正直思ってしまった。
この頃実際内浦の内部でも、
こんなはずではなかったという声があがっていたという。
たが年が明けしばらくするとこの状況が変わりはじめた。
自分はこの頃の事を、
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2017-01-12
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2017-01-23
に書いているが、
この二つの間に内浦を含む三の浦ではなく、
より沼津駅に近い沼津港あたりの一部の店が、
ネットを中心にいろいろと「発信」をはじめていた。
それは次第に数が顕著に増え始め、
しかも地域もかなり広範囲になっていった。
また内容的にも単なる一方向的なものでなく、
次第にネットを通じてのキャッチボールが、
ビジターの方たちとおこなわれるようになり、
明らかにその店のファンが確実に形成されているそれが見て取れていった。
沼津駅北口から沼津駅付近、上土や沼津港、そして西浦と、
今まで聖地としてやや不利と思われた沼津の地理的な長さを、
まるでカバーするかのように多くの店舗が、
しかも明らかにキャラが登場しない地域までも、
沼津という空気と名前を共有しているというそれを軸にして、
この流れに呼応しはじめた。
さらには次第にこれらの中における、
今まで接点が無かった発信者である店舗同志が、
互いに連絡を取り合ったり訪問したりと、
ラブライブ以前では考えられない動きと繋がりがではじめた。
これの要因は本編でキャラクターが三の浦だけではなく、
沼津駅近辺から商店街、そして沼津港まで歩き寛ぎ、
そして走り回ったことが大きい。
特に五話でのそれが大きく、
それ以降沼津港から駅にかけての訪問者が増大したという。
この回はガルパンの大洗と聖グロの練習試合の回と、
同じような役割を果たしたといえるような回だった。
ただ当初、内浦が舞台のアニメがあるという程度の認識だったためか、
それが放送されても対応が一歩遅れで後手にまわったのか、
年末頃までそれらはあまり強くは感じられなかった。
前年末に「沼津は…」と思ったのもそれが原因。
ただ沼津各所でのそれらが軌道に乗るとちょっと面白い現象が起きた。
つまり、
沼津駅~沼津港が「表玄関」、
三の浦全体が「奥座敷」みたいな感じとなり、
二重構造聖地というかなりユニークなそれとなっていった。
そして「表玄関」はどちらかというと「食」と「遊び」、
「奥座敷」では「観る」と「体感」がメインとなり、
その色分けがうまくできていっているように感じられた。
これによりとても全体がうまく潤滑するようになっていったが、
これは何かを狙ってしめしあわせてそうなったのではなく、
沼津のこれらの地域の本来の特性が、
ラブライブによって街の流れが活発化したことでより明確化した、
もっというと本来の姿を取り戻していったということなのだろう、
それはあたかも元気のない人が、
身体にあるツボともいえる反射区を刺激し、
その人本来の健康を取り戻していくそれのようにも感じられた。
その頃にはかつてモノトーンにみえた沼津駅の南口も、
以前に比べ「色彩」がより自分には感じられるようになっていった。
ただこれは沼津の人と物の流れが活発化しただけでなく、
自分自身がこの街の魅力をこれらのことにより気づかされたことも、
少なからずあったような気がした。
何かが動き出すとこうまでいろいろと変わっていくのかと、
おそらく行政レベルでもそのあたりのことを、
この頃には感じ始めていたのではないだろうか。
その後沼津市の公式サイトのトップページにおいて、
アクアの各キャラの誕生日がお祝いされるようになったのは、
多くの方がご存知の事かと。
もっともそれを行政が認識したからといってそこまでするには、
それ相応の流れや雰囲気が街にないと些かやりすぎとなってしまうが、
これにはあるもうひとつ顕著な動きが原因としてあったような気がする。
それはファミリー層への浸透と認知だった。
このあたりは、
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2017-02-15
にもかつて書いたけど、
最近では一部幼稚園でアクアの歌を歌っている所があったり、
自分も各所で子供連れの人がアクアの事を親子で話し、
「どの子が好きなの?」
という話題となっているそれを何度もみかけた。
おそらくこれはテレビや告知物、
さらにはラッピングタクシーやバスの効果もあるだろうけど、
花火大会や盆踊りでのそれも大きかったという話を聞いた。
また最近ではかなりの年配の方も、
「あの可愛い女の子のことでしょ。」
とアクアの事を話しているそれに出合わせたこともあった。
オタク向け、もしくはそういう人達の多い層向きと思われた作品が、
いつの間にか街の幅広い層に拡がっていったことは本当に驚きだ。
もちろんすべての人たちが好意的に受け入れてるわけではないだろうけど、
それでもこの流れはとても素敵なものがある。
※これは数年前の鷲宮でも見受けられた。
アクアがそれこそプリキュア要素をもった「くまモン」のような、
幅広い層を巻き込んでのご当地キャラになってしまったように感じられた。
またこの流れによって伊豆・三津シーパラダイスの、
以前からあるマスコットキャラだった「うちっちー」が、
全国レベルのキャラにまで有名になっていった。
なんかガルパンのボゴと重なるものがあったけど、
以前からいたキャラクターの有効活用と活性化という、
これもまたとても地元のファミリー層への浸透にも、
一役かっていたような気がするけどどうなのだろう。
沼津は今、単発のイベントや一部店舗だけの「点」頼りではなく、
広い地域の多くの店舗が連携するかのように繋がり、
また街そのものが作品を好意的に受け入れその雰囲気を大事にし、
本来ある街のそれを有効活用しながら活性化し、
それによって生じた「面と線」によって聖地を形成することができた。
またその動きは沼津だけにとどまらず、
新横浜でのイベントでは作品にも登場した「のっぽパン」、
そして大洗では地元の「みかん」を販売している。
特に大洗でのそれは一見関係無いように感じられるかもしれないけど、
この二つの作品のファンだっているだろうし、
また大洗に来ているビジターの中には、
むしろ沼津の方が距離的には近い人だっているかもしれない。
そういう人達に認知してもらい、
呼び込む努力をする考えと言うのも、
これまた「点」よりも「線」を重視する考えの発展型といえるだろう。
沼津は現在完全に「ラブライブ」を呑み込み昇華し、
自分の街のツールとしはじめている。
これには沼津という街が、
「城下町」「宿場町」「港町」
という三要素をもった本来多彩な街であったことが、
いろんな事柄を生み出す引き出しにもなっていたのかもしれませんし、
外から流れて来た今までに経験の無い事物に対しても、
タフな展開を経ながらちゃんと対応できた理由なのかもしれません。
とにかく二年前の年末には「ダメだ」と思わせた街が、
今はこの状況なのだから本当に物事一寸先は分からない。
これから沼津がさらにどうなっていくのかはわからないけど、
ひとつ誤解してほしくないのは、
聖地云々がその街を活性化するのではなく、
聖地はあくまでもそのきっかけやとっかかりであって、
あとはその街自身の力によって勝手によくなっていくという事。
そこではその街が今までどういうことを地道にやってきたかが、
ある日突然全国区で問われるという、
逆にいうと抜き打ち試験並みの怖さもそこにはあるけど、
例えば小売店の接客レベルでのベースでもある、
「人づくり」「店づくり」「顧客づくり」
を疎かにすることなく行っていれば、
怖れという要素は極めて小さいといえるだろう。
なので今の沼津は、
それまで自分たちがやってきたことが、
正真正銘の大当たりだったことを、
身を持って体感しているともいえるだろう。
劇場用作品の公開も予定されているので、
まだまだこれからもそのあたりを含め、
よりいろいろと進化していくことでしょう。
それにひょっとするとこの映画、
かつて「花咲くいろは」の劇場版が、
その作品の「聖地」に近い金沢で先行上映されたように、
これまた沼津で先行上映されるかもしれません。
そのときはその時点における沼津がさらにどう進化しているか、
そのあたりもより感じられるかもしれません。
…といったところが、
この前の「コンテンツツーリズム学会」のシンポジウム時に、
徒然と浮かんできたものでした。
そういえば最初にふれた唐津と徳島の話。
自分はこの二つは妙に立地的に似たものを感じているけど、
徳島は唐津に比べると「阿波踊り」や「マチアソビ」の時はともかく、
それ以外ではなかなかその流れが来ないとか。
これはおそらく徳島が「ラブライブ」初期の沼津のように、
「点」としたものに売りが偏りすぎているという、
そういう部分があるのではないかと思った。
それを思うと例えば微々たるものかもしれないけど、
商店街で「空き」になったところを改装して、
「マチアソビ記念館」
のようなものを開設し、
過去のマチアソビの記録や記念のもの等を展示したり、
地元と関係している製作者や声優、キャラなどの紹介や展示をするという、
そういう年中公開ものがあったっていいだろうし、
そこでミニライブやミニトークとか随時やるのもいいと思うし、
地元のサークルの発表の場を提供したっていいだろう。
そういう一部期間のみの開催ではないもの、
それまでの積み重ねの記録的なもの、
そして何といっても地元関連性の強いものがやはりほしい。
また唐津にまで打って出て「マチアソビ」だけでなく、
「徳島紹介ブース」みたいなものを、
「ユーリ」のイベント時等に出すというのも有りだろう。
これはそこで唐津の人たちを呼ぶのではなく、
唐津に来る人たちに認知してもらうというもので、
その中には岡山、兵庫、大阪、京都と、
徳島に近い人たちだって唐津に行ってるかもしれない。
そういう「線で結ぶ」的な感覚も徳島にはより必要だと思う。
まあダラダラと書いてしまいましたけど、
今一度これらの事を考えるきっかけとなった、
このシンポジウムに参加した学生さんには本当に深謝です。
こういう若くて頭も行動力も柔軟な方が、
これからの日本を支えていくんだろうなあと思うと、
ちょっと嬉しい気がしました。
あとこの日講義をされた伊藤成人さんの話を聞いていたとき、
前述した「人づくり」「店づくり」「顧客づくり」
を思い出した次第。
それはおそらく自分の仕事や考え方のベースと、
ひじょうに近しいものがあったからかもしれませんし、
こういうときに自分のベースの棚卸ができるのは、
ある意味沼津の今の活性化と相通じるものがあるのかも。
これもまた勉強になりました。
でも一番勉強になったのは、
「そのときはダメだと思っても、本当にダメなものは無い。」
ということなのかもしれません。
そういう意味で沼津は自分にとってもいろいろと教えてくれた街でもあります。
あと最後に余談ですが、
街が例え聖地になっても決して余所行きの姿に変貌したり、
無理をした企画でその街に負担ををかけるべきではないというのは、
各人の中に形成された「聖地」としてのその街のイメージが、
作品で描かれているようなその町の普段そのものの姿であって、
それ以上でもそれ以下でもないということが理由としてある。
また街が作品と何かコラボしてやるにしても、
ふだんのそれから激しく逸脱することなく、
無理せず継続可能でしかも自分たちも楽しめるというのがベスト。
自分たちの街が聖地になったから云々というのではなく、
じつは来た人達の心の中に本当の理想の聖地がある。
なので自分たちはビジターの心の中にある聖地と、
現実にある自分たちのいる街との、
いわゆる「夢」と「現実」の「鎹(かすがい)」になれるような、
そんなふうにこのあたりのことを、
これからは考えていくべきものなのかもしれません。
そのあたりはアニメとファンの間に存在する声優のそれと、
かなり近しいものがあると個人的には思っていますが、
このあたりのことを話すとさらに長くなるのでここで一応終了です。
以上で〆。
長々ととりとめのない駄文におつきあいいただきありがとうございました。
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