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ムラヴィンスキー来日(1958、1970) [ムラヴィンスキー]

ムラヴィンスキーは全部で8回の来日が予定され、
うち4回が実現しています。
これらすべてはレニングラード・フィルハーモニーとの公演です。

今回はそれぞれを簡単に振り返りたいと思います。


まず最初に予定されていたのが1958年、
大阪フェスティバル・ホールの柿落としがらみで、
大阪フェスティバル協会の招聘でしたが、
残念ながらこの時は来日が実現しませんでした。

理由としては以前から患っていた内臓系の手術の、
その術後の回復の遅れといわれています。

来日前から彼の録音や、
二年前のウィーンでの公演の評などが、
いろいろと取り上げられていただけに落胆されたものの、
彼の師のガウクが代わりに来日、
当時ソ連楽壇最大の実力者でもあり、
また彼の指揮がたいへん好評だったこともあり、
この公演はたいへん好評と話題をふりまき無事終了しました。

この時新聞に当初発表されていた、
ムラヴィンスキーののプログラムは、

4月15日、16日:フェスティバルホール
4月21日:日比谷公会堂
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/ホヴァンシチナ、前奏曲
モーツァルト/交響曲第33番
チャイコフスキー/交響曲第4番


4月22日:日比谷公会堂
5月3日:フェスティバルホール
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番
グラズノフ/ライモンダ、組曲
チャイコフスキー/フランチェスカ・ダ・リミニ

というもの。

因みにこの初日ムラヴィンスキーによって予定されていた公演は、
代したガウクが指揮。CD化されています。

このときこの公演を聴かれた方の話によると、
演奏は二年前ムラヴィンスキーが指揮した時よりも、
随分新しい感じの響きがしたという意味の事を話されていました。

尚、この公演は叔父が聴きに行っており、
この時期聴いた指揮者の中で、
ガウクとミュンシュが特に素晴らしかったと、
いつも聞かされていました。


この後ムラヴィンスキー来日の話はしばらく途絶えますが、
1970年の大阪万国博覧会開催時に、
同オケとムラヴィンスキーの来日が発表。

12年ぶりということもあり、
こちらもたいへん大きな盛り上がりをみせていました。

特に録音も以前よりステレオ録音を中心にかなり増え、
1960年にグラモフォンに録音された、
チャイコフスキーの後期三大交響曲は、
依然そのベスト盤という地位を保ち続けていた時期の来日発表でした。

しかしこの時も来日直前に出国ビザが下りず(表向きは急病の為)、
代わりに彼の弟子である、
当時35歳であったアレクサンドル・ドミトリエフが来日しました。

(当時6月16日の毎日新聞朝刊には来日中止の理由を「心臓病」と発表していましたが、レニングラードフィルハーモニーが来日した直後の記者会見において、当時の同団団長は「4月に肺炎、その後気管支炎を併発、下旬には回復したものの、その後悪化し現在はドクターストップがかかり入院中。」というコメントを出しています。)

この時の関係者やファンの落胆は大きく、
特に年齢的に近いセルやバルビロリが相次いで急逝したため、
元来病弱という事が伝えられていたこともあり、
日本にはムラヴィンスキーはもう来日しないのではないかと思われたりしました。

この時のムラヴィンスキーが指揮する予定だった公演は以下の通り。

7月1日:フェスティバルホール
チャイコフスキー/交響曲第5番
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

7月2日:フェスティバルホール
ショスタコーヴィチ/交響曲第6番
チャイコフスキー/交響曲第6番

7月5日:フェスティバルホール
チャイコフスキーくるみ割り人形
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲(VN/ボリス・グトニコフ)
チャイコフスキー/フランチェスカ・ダ・リミニ

7月11日:福岡市民会館
チャイコフスキー/交響曲第5番
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

7月15日:広島市公会堂
チャイコフスキー/交響曲第5番
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

7月17日:名古屋市公会堂
ショスタコーヴィチ/交響曲第6番
チャイコフスキー/交響曲第6番

7月19日:東京文化会館
チャイコフスキー/交響曲第5番
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

7月20日:東京文化会館
ショスタコーヴィチ/交響曲第6番
チャイコフスキー/交響曲第6番

7月22日:東京文化会館
チャイコフスキー/くるみ割り人形
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲(VN/ボリス・グトニコフ)
チャイコフスキー/フランチェスカ・ダ・リミニ


しかしその後ムラヴィンスキーはこの年の暮れには、
東ドイツのベートーヴェン生誕200年記念の一環の演奏会を行ったり、
72年にはモスクワ公演(この時のライヴはメロディアからも発売されています)、
そして西ドイツやオーストリア公演も行っています。

ただこの後、
ムラヴィンスキーもレニングラードフィルも来日の予定は無く、
1973年を迎えることとなります。
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阿伊沢萬

没後40年ということで、ちょっといろいろとまとめてみました。

soramoyou さま、nice! ありがとうございました。
by 阿伊沢萬 (2018-01-21 05:04) 

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