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テンシュテット1988年の思い出 [クラシック百物語]

以前別のところに書いてあったものを、
少し加筆してここに再掲載します。

来年(2018)が没後20年ということもありますので。

クラウス・テンシュテットが初来日したのは1984年の4月で、
手兵のロンドンPOとの公演でした。

このときはすでに発売されていたLPや海外での彼の評価の高さから、
前評判がたいへんたかい公演となりました。

この公演は期待に違わぬものとなり、
特にマーラーは大きな評判をよびました。

ただ個人的には、
このときのテンシュテット人気は、
どこかレコード会社が無理やりつくったようなイメージがあり、
自分はあまりこの公演を意識していませんでした。

この公演の後、
テンシュテットはご存知のとおり大きな病に倒れ、
ロンドンPOのトップの座を降りることとなりました。

それからテンシュテットの活動の知らせはかなり断続的なものとなり、
ある意味いつ新聞の死亡欄に名前が掲載されてもおかしくないような、
そんな雰囲気の月日がたっていきました。

その間自分はテンシュテットの録音をいくつか聴き、
彼の人気が無理やりつくりあげられたものではなく、
それ相応の実力からきているという印象を受け、
一度聴いてみなければわからない指揮者という、
そういう存在に遅まきながらなっていきました。


そんな1987年のある日、
翌88年10月にロンドンPOが四年ぶりに来日、
そして指揮をテンシュテットとビシュコフが担当するという広告が掲載されました。

ただ正直これは実現しないであろうと思いました。

なぜなら病を患ったテンシュテットの日本公演など、
当時はまったく不可能と思えたたからでした。

翌年初め、テンシュテットが前年暮れの12月13日から18日にかけて、
ジェシー・ノーマンとワーグナーの曲集を録音したという話しを聞きました。

が、それでも10月の来日は無いという気持ちは変わりませんでした。

その後同行指揮者がビシュコフからスラットキンに変わり、
プログラムが発表され、チケットも発売されはじめました。

だがその売れ行きはそれほど好調ではありませんでした。

プログラムに定評のあるマーラーが無いという事もありますが、
それ以上の健康上の問題があることを誰もが思っていましたし、
最後はスラットキンが全公演を指揮することになるだろうと。


ですが状況は徐々に変わっていきました。

テンシュテットが久しぶりにコンサートの指揮台に立ちワーグナーを指揮、
アンコールに「ワルキューレの騎行」まで指揮したいう情報が入り、
さらに

「本人はきわめて健康を回復し今では室内で軽くジャンプできるほどまで体力がもどった」

という記事が紹介されたのです。

この時はじめてこの公演は行われるのではないかという気がしたものでした。

こうして月日は立ち公演のある10月を向かえ、
自分もこの頃には公演のチケットを購入を済ませました。


この時点でも危惧された指揮者の変更等の記事が出る気配もなく、
来日の準備は着々と進んでいきました。
そしてテンシュテットが無事来日したという話しが伝わりました。

こうして1988年公演の初日を迎えることになりました。


1988年10月15日:市川市文化会館

クラウス・テンシュテット指揮
ロンドン・フィルハーモニー

ベートーヴェン/「エグモント」序曲
Rシュトラウス/交響詩「ドン・ファン」
ベートーヴェン/交響曲第3番「英雄」


10月15日(土)の市川市文化会館における日本公演初日の日は、
自分にとって今でも忘れることのできない一日となっています。

朝起きてまず新聞をみ、
公演の指揮者変更等の記事がでてないことを確かめまずホッとし、
そしてその後出かけるまで、
急にニュースが入るのではないかと、
気になってたまらない状態が続きました。

今のようにネットの無い時代ですから、
もうこのあたりの事は、
会場に行かないとわからないという、
そういう状況でした。

夕方会場最寄りの駅で降りた後、
とにかくなんともいえない不安混じり気持ちで会場へ向かいました。

会場前に着くとそこには

「クラウス・テンシユテット指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会」

という場違いなくらい大きな立て看板が、
これまた大きな文字が白地に黒く書かれて立っていました。

このとにかく大きな看板の存在にもかかわらず、
「まだ安心は出来ない」
という気持ちがとにかくありました。

会場に入りプログラムを購入。

こちらも白地に黒の文字だけという、
ひじょうにシンプルなデザインの表紙でしたが、
これは当時昭和天皇の体調が思わしくなく、
賑やかなもの華やかなものを自粛するという、
そういう雰囲気が当時世間にはあったので、
それに沿ったデザインだったようです。

前述した会場の看板のの色使いもそうだったと思います。

その後会場に入りこれといったアナウンスもなく、
開演時間を告げるブザーがなりました。

会場はほぼ満員。


この時、突然予期せぬ場内アナウンスが始まりました。

これには一瞬死ぬほど驚いたのですが、
それは「アラーム付き時計のアラーム解除のお願い」でした。

このためすぐに安堵したのですが、
このアナウンスが始まった瞬間、
自分だけではなく、
会場全体が一瞬凍りついた雰囲気になってしまいました。

会場にいる全員が自分と同じ気持ちだというのこのときわかりました。

しばらくしてオーケストラが現われ、
そしてテンシュテットをこよなく尊敬する名コンサート・マスター、
デヴィット・ノーランがあらわれ、
その後チューニングが行われ、後は指揮者の登場待ちとなりまし た。

ですがこの場に及んでも、
「万が一」
という最悪の事がまだ脳裏にあり、
会場全体も極度に静まりかえった状態になっていました。


そしてしばらくしてついに舞台にテンシュテットがゆっくりと姿をみせました。

この時の会場の凄まじい拍手と歓声は演奏前としては異例なものとなりました。

それは死地から生還した一人の人間を、
心からたたえるものであったように感じました。

自分の経験で指揮者の登場にここまで大きな拍手が起きたのは、
この三年後のチェコフィルとともに来日した、
ラファエル・クーベリックくらいかもしれません。

万雷の拍手がおさまると、
テンシュテットは指揮台に上がり、
譜面台上の楽譜をめくり、
そして一息入れから指揮棒を振り下ろしました。

「エグモント」序曲。

冒頭、
それは けっして大きな音ではないものの、
きわめてしっかりとした確信にみちた、
そして自らの復活を告げる力強い響きでした。

こうしてこの演奏会ははじまりました。

この演奏会は自分の経験したものでも特別なもののひとつとなっています。

なかでも後半に演奏された、
ホルン6人を2人のトランペットの左に横一列に並ばせた、
ベートーヴェンの「英雄」は特筆すべきものでした。


第一楽章はどちらかというと慎重な運びで、
フォルムの自然な美しさが印象として残るものでした。

そして第二楽章。

最初の弦が鳴った瞬間一瞬ぞっとさせられてしまいました。

透明感のあるそれでいてなにか深淵を覗き込むような、
底知れない戦慄のようなものを感じてしまったからです。

それにしてもこの時の「英雄」はテンシュテットは、
自分をこの曲になぞらえていたのではないかと思われた程で、
これは死地からの生還を果たしたものだけに許される音楽のようでした。

いまでもこの楽章におけるこのときの演奏は、
ある意味特別なものとして自分の記憶に深く刻み込まれたものとなっています。

躍動感と風格のある第三楽章。

そして最後にホルン6人が全員で吹奏するという、
壮大なスケールをもった終楽章もあまりに素晴らしく、
今後この「英雄」を超える演奏に出あえないのではないかというくらい、
完全に圧倒されつくしてしまいました。

演奏終了後の何度も舞台によびだされ、
その後オケが退場しはじめても拍手はやむことはなく、
会場内はスタンディング・オベーション。

そしてテンシュテットが舞台にひとり登場した時
聴衆はこの日最大の拍手と歓声を贈り続けました。

このときそれを見つめながらなかなかその場を立ち去ろうとしない、
多くのロンドンフィルの面々の笑顔は今でも強く印象に残っています。


その後テンシュテットは、
多少のアクシデントに見舞われたものの、
東京と大阪の残り四公演を指揮されました。


この時のサントリーホールでのワーグナーコンサートは、
現在DVDも発売されており、
さらに二か月後にはロンドンで、
あの凄まじいマーラーの5番を指揮し録音もしています。


その後テンシュテットはいくつもの素晴らしい演奏会を行い、
それらの多くは録音もされ現在発売もされています。

残念な事にその後予定されていた1992年の来日公演は、
来日直後に体調を崩しそのまま指揮台に上がることなく帰国されたため、
テンシュテットの日本公演はこの1988年のそれが最後になってしまいました。


すでにテンシュテットが最後に日本で指揮してから、
三十年近くが経過してしまいしまたが、
幸いにして多くの良好な録音が遺されているのが幸いです。

ただできれば
1988年の昭和女子大で演奏されそして録音もされた、
初日市川と同じプログラムのそれも、
いつかCD化してほしいと願わずにはいられません。


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コメント 3

サンフランシスコ人

テンシュテットの演奏会に3回行きました....フィラデルフィア管2回...ニューヨーク・フィル1回....
by サンフランシスコ人 (2017-08-02 01:18) 

阿伊沢萬

昔つくった記事なのに恐縮です。

はじドラ様、nice! ありがとうございます。
by 阿伊沢萬 (2017-08-04 01:39) 

阿伊沢萬

テンシュテットはシカゴとのライブはありますが他のアメリカのオケとのそれがほとんどありません。この辺りも出るとありがたいのですが。
by 阿伊沢萬 (2017-08-04 01:40) 

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