SSブログ

「ゴジラ」(1954)公開時の新聞評いろいろ。 [ゴジラ]

title.jpg
「シン・ゴジラ」が1954年の「ゴジラ」をリスペクトしているというけど、
じゃあそのファーストゴジラが公開された時はどうだったのだろう。

以前書いたこの項目を、
中盤以降大幅に追加加筆し改訂してupしなおしました。


この作品が公開されたのは1954年の11月3日の文化の日。

このころの日本…というか世界は、
正直一寸先は闇というかんじだった。

それは一にも二にも核兵器の存在だ。

アメリカやソ連、
それにイギリスが、
特に1950年代に入ってから毎年のように核実験を、
しかも地上でやっていたのだから、
大気圏内の放射能濃度は今の比ではなかった。

じっさいこの年の11月の新聞をみると、
金沢では連日高濃度の放射能に汚染された雨が降り、
四国高知では新米からやはり放射能が検出されている。

第五福竜丸が被ばくしたのはこの年の3月、
そしてその影響による死者が出たのは9月だった。
kaku.jpg
※福竜丸を巻き込んだキャッスル計画の実験名「ブラボー」。

前年朝鮮戦争が休止したものの、
同年3月にスターリンが死んだソ連の方向性は、
54年になってもはっきりとみえてはいなかった。


このように時代は核の恐怖に覆われ、
そして深刻な影響が出始めていた、
「ゴジラ」の公開された同月には、
東京で放射能に関する日米会議が開かれた。


映画もアメリカでは、
1953年には「ゴジラ」の元にされたという、
核実験で蘇った恐竜がアメリカを襲う、
「原子怪獣現る」、
beast.jpg

翌年には核実験で巨大になった蟻が人間を襲う
「放射能X」
3_them-three-sheet-1954.jpg
が完成上映された。
核のそれはそこまで身近になっていた。

そんな中、
水爆大怪獣と呼称された「ゴジラ」は公開された。


「銀座大通りに暴れ狂うゴジラ」
「日本を猛襲する水爆大怪獣」
「大東京ビル街全滅!」
「怪獣ゴジラの猛威」
「全国東宝系一斉歴史的大公開」


といううたい文句や、
山本嘉次郎、マキノ雅弘、高木彬光、
といった人たちの誉め言葉が散りばめられた告知が、
公開直前に新聞に掲載されていた。


そしてよく知られている通り、
それは歴史的大ヒットとなり、
半年も経たないうちに続編が公開されることとなるのですが、
新聞雑誌の評は総じて芳しくなかった。

以下、当時の主要新聞六社に掲載された評をみてみよう。


〇11/3 朝日新聞夕刊

◎企画だけの面白さ

水爆実験によって海底にひそんでいたゴジラという怪獣が、東京を攻撃して来たという空想映画。

アメリカでは「放射能X」などが作られたが、日本のは科学映画的なものに乏しい。かといって、空想的な面白さもない。

とくにゴジラという怪獣が余り活躍せず「性格」といったものがないのがおもしろさを弱めた。「キングコング」の時代と比べてもなんとかなりそうなものであったし、「放射能X」のアリのような強烈さに及ぶべくもない。

ただ企画だけの面白さはあり、一般受けはするだろう。宝田昭と河内桃子の二人の青年と娘の恋愛が、なにか本筋から浮いているが、これは構成上の失敗だった。


〇11/3 読売新聞夕刊

◎「みもの」は特殊撮影だけ

一昔前の「キング・コング」なみの怪獣映画で、一応「放射能X」同様に話の裏づけを科学的にもってゆくため水爆実験がからむ。

南太平洋の海底深く今なお生息していると伝えられる二百年前の怪獣が、水爆実験でその住まいを破壊されて登場、東京の中心地を襲うという話である。ネライは怪獣の大あばれで身のたけ五十メートルという巨大なゴジラが、恐るべき怪力と、身につけた放射能のエネルギーで、銀座を焼きはらい、議事堂をこわし、テレビ塔をひとたたきで倒すシーンが見せ場である。

特殊撮影の技術は合格点。アメリカ映画の技術とさしておとらぬ出来である。戦後日本の特殊撮影の技術がここまで復活、発達したかくれた努力はたたえたい。

欠点の第一はゴジラに性格がないことである。キング・コングには何かその動きに愛敬があり、一方またどれだけ大あばれしようとも、キング・コングそのものの悲劇がにじみでていた。悪意のある大あばれでもなく、何も知らずに環境のちがう世界でとまどっている結果の破壊として、むしろ同情さえもてた。しかしゴジラはぜんぜん無愛敬。ゴジラ自身に水爆実験のため平和な住まいを追われた悲劇味が何一つ出ていない。

映画はゴジラ対策の人間側でいろいろと芝居をもりこむが、この処理がまったく拙い。荒唐無けいなものにせず、科学的な面をみせようという手段も実に不手際。特殊撮影だけがミソの珍品である。


〇11/4 毎日新聞

◎ちょっとスゴイ!? 放射能の「怪獣ゴジラ」

六千万年から二億年ぐらい以前に地上を横行していたと考えられている恐竜の一種を模した怪物である。海底にひそんでいたのが水爆実験の騒ぎでノソノソと地上に現れて暴れ回るという着想は、これと前後して公開されたアメリカ映画「原子怪獣現れる」とあまりチエのちがいはない。香山滋の原作はむしろ「ゴジラ」というふしぎな名前そのものの魅力を最大とする。

特殊撮影の円谷英二。多くのすぐれた実績をもつ人だが、この映画でも十分に実力をうかがわせる。身の丈五十尺という怪物が口から強烈な放射能の白光をはき出して東京の目ぬきの街を焼き払い、ビルディングを軽く押し倒し、国電を食いちぎったりしながら再び海中に去る。このあたり見せ物のヤマとなっているが、あらゆる怪物映画と同じで、ゴジラが最初にどこかの漁村に上陸する部分がいちばんの興味。あらしのシカケもよくできていてちょっとスゴイ。

志村喬の学者以下人間のお話がついているが、こっちはあまりうまくない。最後にナントカという新発明の一物をもって若い学者が海底に潜って行き、ゴジラが一休みしているところへぶっつけるところなんか、やたら決死隊みたいでかえってナンセンスである。人物はどれもセンチメンタルでミミッちく人臭くてゴジラ氏の感じとちぐはぐだ。何となく科学的で何となく学者らしいという程度でいいわけだが、その程度の人間を出すのにも日ごろの教養ということになりそうだ。その点外国製はやはりもっともらしい。


〇11/3 サンケイ新聞夕刊

◎トリック撮影の面白味

興味の中心は怪獣ゴジラが都内を暴れ回るというトリック撮影だが、一応作りものながらうまく出来ている。水爆の恐怖ということをゴジラの話を通して描いているわけだが、少々理屈っぽいところが嫌味。

[※この評は前半が映画のあらすじのみの記述。終盤は出演者と監督の名前を記しているだけなので、その部分は割愛しました。]


〇11/5 東京新聞

◎怪獣スペクタクル和製版

古くは「ロスト・ワールド」「キング・コング」さいきんでは「放射能X」「原子怪獣現わる」などアメリカ映画の一手専売だった怪獣スペクタクル映画の和製版日本ではじめての試みというのがミソである。ただし怪獣の形や動作、それに筋書きも、アメリカ映画の模倣を出ず、珍奇な見世物映画にとってもっとも大切な奇抜な空想力や奔放な創造力の働きが乏しいのは弱みで、今後大いに工夫してもらいたいところ。

海底から出現したこの原始怪獣ゴジラはまず船舶を沈め、漁村をひともみにして、東京まで焦土と化すすさまじい暴れ方をお目にかけようというのが、最大のねらいでもあるが、もともと荒とう無けいなものだけに緊迫感よりも、滑稽な感じがさきに立つ。スリルよりもご愛敬といったところである。

特殊撮影技術はまだまだ不備なところが多いが、第一回の試みとしての努力は認めてもいい。けれど、かんじんの水底でのゴジラ退治のクライマックスがアッ気ないのは失敗である。着想を具体化する撮影技術が伴わなかったのだろう。

ゴジラ征服の研究が破壊兵器に利用されることを恐れる科学者の悩みやゴジラ退治を反対する生物学者を配合する傍筋は、いかにも当世流のとってつけたようなものである。従って見世物的興味以外は期待できない。


〇11/7 日本経済新聞夕刊

◎突飛すぎる空想

題名がユーモラスで話題となった空想科学映画。監督は本多猪四郎。特殊技術が円谷英二。同じく水爆異変を扱ったアメリカ映画が公開された後なので、技術も比較され損をしている。それにゴジラの吐く放射能や背びれの電光などは説明不十分で突飛すぎる。やはり見せ物映画でも常識的な科学の裏付けは必要なのだ。巨大なゴジラが東京に上陸して議事堂や銀座界わいのビルをたたきこわし、放射能を吐いて焼き払い、自衛隊三軍もゴジラに対しては全く無力で、都心を廃きょと化してしまう。ようやく水中酸素破壊剤で窒息死させるのだが、その発明者(平田明彦)はみずから命を断って武器に使用されるのを防ぐ。この辺が原爆の洗礼を受けた日本の映画らしい。それにゴジラを殺すことに反対する生物学者(志村喬)やその娘(河内桃子)とサルベージ所長(宝田明)の恋が織り込まれている。


以上主要六社のそれですが、
さらに主要スポーツ新聞三社のそれも以下に付け加えます。


〇11/7 報知新聞

◎秀れた特殊技術

日本で初の本格的空想映画であるというところに興味が集められたが、マアマアの成績で期待は今後にといったところ。水爆実験で二百万年の夢をさまされた怪獣ゴジラが日本に上陸しての大暴れがこの作品のみせ場。これに付けたりのように考古学者(志村喬)の娘(河内桃子)とサルベージ会社社員の恋愛が色どりとなっている。

この種の米国作品にくらべて余りソン色のない出来栄えを示した特殊撮影(円谷英二)の効果は、とかく遅れがちのわが映画界のために誉めて良い。話は余り面白くないのが当然だが、多分に説教臭が強いのは良くない。むしろ徹底的にゴジラに話を集中させた方が良かった。ただ水爆うんぬんのセリフが妙に耳ざわりだが、それならやはり水爆の被害?のゴジラにもっと性格を加味したら変わった面白味が生まれただろう。


〇11/6 スポーツニッポン

◎”着想”と”努力”を買う 意表に出る凄みが欲しい

(前半はあらすじのみの記述なので割愛)

原作は香山滋、脚本は村田武雄と本多猪四郎。この映画の狙いは戦争反対、原、水爆の使用反対をうたったもので、それゆえに、こんな目先を変えた奇想天外の映画を作ったと想像される。

その着想は幾分買えるが、これまで洋画でいやというほど空想科学映画をみせつけられてきた我々としては、少しも驚かないし、感心するトリックのなにもにない。たしかに東宝技術陣の努力や苦労は買えるが、それとても外国映画に比べると未だしの感がある。どうせ思いきったゲテモノ映画を作るなら、もっともっと我々の意表にでるようなものを作って欲しかった。少しもすごみがなく、みていてバカバカしさが先に立つのはなんといっても失敗である。


〇11/5 日刊スポーツ

◎劣っていない特殊技術

◇空想科学映画というのがアメリカでは大分盛んなようだが、これを一つやってみようというので企画されたのがこれ。原爆や水爆の実験と結びついているところも御同様だ。原作は探偵作家の香山滋、監督は本多猪四郎で、本多監督と村田武雄が脚本を書いている。特殊技術は円谷英二ほか三名。

(ここから中盤はあらすじのみの記述なので割愛)

◇…この間に博士の娘と若い技師の恋が描かれ、話がゴジラから外れてしまったりするが、日本映画の特殊技術がアメリカのそれに対して、余り劣っていないことを実証するだけの効果はあった。しかし本当は理屈ぬきの見せもの映画にした方がもっと効果的だったろう。最後の博士のいう「ゴジラがあの一匹だけで死にたえたとは思えない」というセリフで辛くも水爆実験反対の意図を表明しているが、これはどうも苦しい。あくまで空想の面白さを主体にすべきだろう。

◇志村喬の博士は悠々とやっており、新人宝田明が新▲で男性的な若さを生かされている。平田明彦の芹沢は少々怪奇味が邪魔。
(上の▲の部分は字が一文字欠損していて読めませんでした。)


以上です。


掲載は一般主要紙が公開当日11月3日の夕刊から5日まで。
(一社のみ11月7日)
スポーツ紙は11月5日から7日と、
一般紙より若干遅く書かれています。


それにしても、
どこも驚くほど壮大なネタバレ大会だ。

これから映画を見ようという人には、
はたしてこれはどうなのよという感じなのだが、
当時はこういうことに大雑把だったのだろう。


だがそれ以上に壮大なのはその映画評の内容。

正直かなりの酷評、
ハッキリ言えば特撮以外は駄作という感じのどれも表現だ。

まさにコテンパンだ。

もちろん評価していた著名人もいたけど、
映画館からかつてみたことが無いほどの大行列ができた映画も、
当時の新聞評はこうだったのだ。

今ある不朽の名作という評価など、
どこにもその欠片すら見当たらない。


そしてこのあたりは東宝も多少気にしたのか、
翌年の「ゴジラの逆襲」は、
一部これらの意見を参考にしたような部分もあるのが面白い。

このあたりのことを念頭に入れて「ゴジラの逆襲」をみると、
またちょっと違ってこの作品をみれるかも。


尚、ここに出てくる「放射能X」は6月に全米公開、
日本では8月10日という、
長崎の原爆の日の翌日に公開された。

「ゴジラ」がクランクインして十日ほど後のこと。

この映画じつはけっこう「ゴジラ」との共通点があるが、
この作品を本多監督やスタッフが意識したかどうかはわからない。

ただ正直言うと
「原子怪獣」はもちろんだけど、
この「放射能X」が「ゴジラ」に与えた影響も、
少なからずあったのではないかという気がする。


もし興味のある方は、
「原子怪獣」「放射能X」「ゴジラ」と、
続けてみることをお勧めしたい。


けっこういろいろと発見があるかもしれませんし、
「シン・ゴジラ」もまた違って見えるかもしれません。


それ以外にも東京大空襲から十年も経たないうちに東京をまた火の海にしたり、
(「また疎開か」という映画内の台詞がそれを物語っています)
この年の7月に創設されたばかりの自衛隊の攻撃もすべてブロックするなど、
当時の日本を描きながらも
いろいろと怖いもの知らずというところもある映画だったとも思います。



しかしこれを見たアメリカの映画関係者はおそらく

「やられた!」

と当時思ったことだろう。

たしかに恐竜の類は今までもあったけど、
あそこまで大きく、
あそこまで強くて無敵で、
しかも口から放射能を吐いて火の海にしてしまうというとてつもない破壊力。

ドラキュラや狼男はもちろん、
キングコングでさえここまでの規格外ではない。


だがその後の愛敬あるキュートなゴジラには、
さらにまいってしまったことだろう。

http://rocketnews24.com/2012/01/27/176365/


ただそのため、
ゴジラの本来の怖さとカッコよさが
次第に失われて行ったのも確かだったし、
あまり強くないゴジラというイメージができあがったのも、
また事実だった。

ゴジラは所詮ウルトラマンでもなければ仮面ライダーでもないのだ。

最大の売りが弱まっては、
その人気が低迷していくのも当然のことだった。


このため何度かその原点回帰、
強くて怖くてカッコいいゴジラを試みたものの、
その多くはいまいち戻りきれないものが感じられた。


庵野監督の今回のゴジラは、
この原点回帰を最大の目標にし、
さらにはゴジラの当初の存在意義を洗い出すという、
そこの部分にも力をとにかく注いでいた。


ただ面白いのは、
今回の庵野監督のそれが、
上記した1954年当時の「ゴジラ」に対する酷評に対して、

「じゃあこれならどうなんだ」

と言わんばかりのものになっているということだ。

人間ドラマを削ぎ落し、
科学の部分を強く補強し、
特撮的な見どころを押し上げるというこのやり方。

なんともじつに面白いという気がするし、
ひょっとして庵野監督自身も、
このファーストゴジラに対し、
当時のこれらの新聞評と近しい感覚をもっていた。

もっと砕いて言えば、
ファーストゴジラは名作とは思っているけど、
じつはかなり不満をもっていたのではないかと、
「シン・ゴジラ」を見て、
そしてこれらの半世紀前の評と照らし合わせると、
そういうものがみえてくるような気がしてしかたがない。


じっさい上記の九つの映画評を読んでから
「シン・ゴジラ」をみると、
ひょっとして「シン・ゴジラ」は、
ファーストゴジラをリスペクトしながらも、
大胆にその作品そのものにも異議を唱えるという、
ゴジラファンにとってタブー視されていることを、
正面きってやってしまった作品なのかもと思えてしまうところがある。


はたして、みなさまはどう感じられるだろうか。




最後に、余談ですが、
翌年四月に公開された「ゴジラの逆襲」のキャッチコピーのひとつが、

「喰うか喰われるか」

いやあ…確かにそうかもしれないけれど…、
はたしてこれはどうだろうか。

食い倒れの大阪にでもひっかけたのだろうか。

謎。
nice!(3)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 3

コメント 1

阿伊沢萬

けっこうこの当時の新聞を読むと戦慄が甫ときがあります。よく核戦争が起きなかったといいますか。今も決して良くはないですが、当時は即人類滅亡的なものがあったので、けっこう重い時代だったと思います。

ハムサブロー様、nice! ありがとうございます。
by 阿伊沢萬 (2016-08-16 22:24) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0