SSブログ

「川崎中1生徒殺害事件 少年に懲役9~13年の判決」と裁判員への不安。 [いろいろ]

去年2月、川崎市の河川敷で中学1年の男子生徒が殺害された事件で、殺人などの罪に問われリーダー格とされる19歳の少年に対し、横浜地方裁判所は「犯行は凄惨(せいさん)というほかなく、事件を主導した被告の責任は最も重い」として、懲役9年から13年の不定期刑の判決を言い渡しました。

去年2月、川崎市川崎区の多摩川の河川敷で中学1年生の上村遼太さん(当時13)が殺害された事件で、逮捕・起訴された3人の少年のうち、リーダー格とされる19歳の少年がカッターナイフで切りつけて殺害したなどとして殺人と傷害の罪に問われていました。
この少年の裁判員裁判で、検察は「被告は主導的な立場だった」として懲役10年から15年の不定期刑を求刑し、これに対して弁護側は「反省しており、更生できる」と主張し、懲役5年から10年に刑を軽くするよう求めていました。
10日の判決で、近藤宏子裁判長は「被告は被害者が暴行されたことを知人に告げ口したと邪推して怒りを募らせた。被害者に与えた恐怖や苦痛は甚大であり、首を何度も切りつけ真冬の川で泳がせた犯行は凄惨というほかなく、手口の残虐性が際立っている」と指摘しました。
そのうえで、「被害者を逆恨みし、知人からの報復や逮捕を恐れて殺害したのは自己中心的で短絡的な動機であり、強く非難される。ほかの2人の少年に指示するとともに、みずからも切りつけて犯行を主導しており、責任は最も重い」として、懲役9年から13年の不定期刑の判決を言い渡しました。
少年は、証言台で体を動かさずに下を向いたまま裁判長のことばを聞いていました。
最後に裁判長が「説明した判決について分かりましたか」と問いかけると、少年は小さな声で「はい」と返事をしていました。
.

「刑が軽すぎる」父親がコメント

判決のあと、上村さんの父親が弁護士を通じてコメントを出しました。
上村さんの父親は、判決について、「刑が軽すぎると思います。私はどうしても納得することができません。遼太の命が軽く扱われているようで、かわいそうでなりません。反省しているとのことでしたが、そのようには思えません。今回の公判中、被告は1度も私たちを見ることはありませんでした」としています。


弁護士「フェアに判断していただいた」

判決を受けて、少年の弁護士は記者会見を開き、「裁判所にはこちらの主張を十分に理解してもらい、フェアに判断していただいたと思います。これまで少年は狭い中でしか社会との接点がなかったが、今後は、年齢相応の社会性を身に付け、更生してもらいたい」と話していました。また、弁護士は控訴するかどうかについては明らかにしませんでした。


裁判員「少年は反省し更生を」

判決のあと、裁判員の記者会見が開かれ、裁判員として参加した50代の男性は「被告の少年は反省して更生してもらい、本人と家族とで被害者に対しておわびしてほしい。二度と罪を犯さないよう祈っている」と話していました。また、補助員として参加した20代の男性は「報道でこの事件の残虐さを見ましたが、裁判ではそれだけでなく、被告の少年の事情などを見ることができた。少年は人を殺してしまったが、自分の罪がどういうものなのか考えてほしい」と話していました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160210/k10010404621000.html


正直、自分が裁判員だったら、
このときどうこの事件と直面しただろう。

確かに加害者の家庭にも問題があり、
それがこの事件に暗い影をおとしていることは確かたもしれない、
だけど原因ではないし、
被害者からしてみれば「それが何?」だろう。


もしこの事件の起きた24時間前後のみを切り取って、
その起きた事実だけをみれば、
正直加害者が厳罰を受けても自分は当然だろうと思ってしまう。

それくらい事件は凄惨かつ悲惨なものだった。


たが裁判ではその直近の事実だけでは裁かれない。

加害者のそれまでの人生、
そして家族のそれも暴き精査していく。

そしてその上にのっとって判決が下される。


確かにそういうと聞こえはいいけど、
ではこの事件の起きた直前直後の出来事と、
加害者のそれまでの事は、
この事件おいてどれだけの比率を各々が占めているのかというと、
自分はなんかどうもそのあたりがしっくりしない。

またよく

「一人殺したくらいでは死刑にならない」

というけど、
過去の判例に機械的にならえばそうかもしれないけど、
これもどうなんだろうと正直思う。

だって、加害者は十年くらいすれば無罪放免かもしれないけど、
死んだ被害者は強制的に「死刑」になったようなものだし、
その遺族も事実上「終身刑」みたいなものだろう。

被害者と加害者がとても同等とは思えない。


「殺したもの勝ち」


とはいわないけど、
今回の被害者遺族の方々も、
こういう感覚や感情があることは確か。


じゃあ自分がもしこのときの裁判員になったら、
その被害者の立場に立ってやったらいいかというと、
これもまた違うと思う。


既に被害者の召された命は返ってこない。

この事実の残された後に、
よりよきことへと考えた場合自分はどうすればよいのかと、
正直そのことを考えてしまう。


ただこう考えた時点で、
自分は被害者のことをある程度斬り捨てる判断をしたことになる。

人ひとりの命の尊さを思い、
そのことをも問う裁判において、
はたしてこの判断が正しいかといわれるとと、
やはり正直苦悩してしまう。


不本意な形で召された被害者、
そして残された家族。

加害者のこれからの生き様の可能性。
その家族のこれから。

これらのことを思って、
この凄惨な事実に対する加害者への代償の決定って、
はたして自分にできるのだろうか。


どうすれば遺された家族の心の傷が少しでも和らぐのか、
その一端を「判決」にすべて負わせていいのか、
それはほんとうに救いになるのか。

また加害者にとっても「よりよき道」への道標となるのか。


それとも判決の本質とはじつはそういうことを考えてはいけない、
極めて機械的に判断されるものであって、
それ以外以降のことは、
他の人たちによって判断し行われるものなのか。


おそらく自分がその場にいたら、
ありとあらゆることが脳裏に去来することだろう。


誰もこれ以上苦しんでほしくない。

綺麗ごとは浮かんでくるが、
でも具体的にどうことできない自分に、
果たして裁判員がつとまるのか。


今回の事件は、
自分のこういうものに対する曖昧な、
そして最後は年月が癒してくれるかもという、
甘い気持ちもうかんでくるほど、
自分にとっては答えのみつからない…

とにかく何とも言えないものを感じさせ、
そして考えさせられる判決とともに、
忘れる事の出来ない事件となりました。


こういう事件はもうほんとなくなってほしいです。


それにしても被害者家族への精神的なケアという部分。

こういう悲惨な事件の場合、
公的機関が援助しサポートしてくれるシステムとかあるのでしょうか。


そこのところも今回とても気になりました。


しかし書いていて、
我ながら自分のこの問題に対する不安定な気持ちと、
揺れ動く考え方があらためて実感できました。

この問題、
自分は一生直面するたびに悩み考え、
そして明確な立ち位置を見いだせないんだろうなあという気がします。


辛く厳しい問題です。
nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 1

阿伊沢萬

じつはこのブログの最初の話題は裁判員制度でした。今の所自分には裁判所からの召致はありませんが、きたらほんと悩みまくると思います。事件の厳しさもさることながら、自分が裁判員になったらというそのことも考えさせられるものがあります。


ハムサブロー様、nice! ありがとうございます。
by 阿伊沢萬 (2016-02-19 19:32) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0