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庵野監督世代のゴジラについて。 [ゴジラ]

庵野秀明総監督と樋口真嗣監督。

2016年の「シン・ゴジラ」のツートップだが、
庵野監督は1960年生まれ、
樋口監督は1965年生まれ、
ということで年が五つ違う。

庵野さんが高1の時樋口さんは小6という、
そういうかんじの差。

当然この二人のゴジラ入りのタイミングも、
若干違う感じになるだろう。
ここでは年上の庵野さんのそれについてちょっと。

1960年生まれということは、
三歳から四歳くらいが、
最も古い記憶ということになるが、
庵野さんが三歳の時「アトム」のTV放送がはじまり、
同年「鉄人28号」「エイトマン」「オオカミ少年ケン」と、
これらが65年66年まで放送された。
そしてその後
「スーパージェッター」「宇宙少年ソラン」
「宇宙エース」「遊星少年パピィ」「ワンダースリー」
「オバケのQ太郎」「ジャングル大帝」「おそ松くん」
「レインボー戦隊ロビン」「ハリスの旋風「遊星仮面」
「ジャングル大帝」「ロボタン」「魔法使いサリー」
「海賊王子」…といったところが66年までに、
各自放送開始されている。

これらをみな自分はみた記憶がある。
またこれらだけでなく、
アメリカから輸入されたアニメもあった。

庵野さんやアニメ評論の氷川さんあたりは、
このあたりに囲まれて育ったというべきだろう。

そして映画館では特撮が盛んではあったものの、
未就学児はなかなかみにいけない。

このため庵野さんが特撮にふれたのは就学後公開の、
「怪獣大戦争」か「大怪獣ガメラ」
もしくは翌1966年の「南海の大決闘」あたりだろうか。

この1966年はTVで「ウルトラQ」がはじまり、
映画館では上以外にも「大魔神」シリーズがありと、
特撮とアニメが激しく凌ぎを削っていたころだった。

漫画の週刊誌も少年向きとして、
「少年サンデー」「少年マガジン」「少年キング」
週刊ではなかったけど少女向きで、
「マーガレット」「少女フレンド」があった。
「ジャンプ」登場の前の話。

手塚、赤塚、藤子、石森、横山、白土、梅図…と、
ほんとうに錚々たる顔ぶれがそろっていた。

庵野さんの幼稚園時代は、
こういうものがまわりにすでに揃っていた。

それを思うと、
庵野さんにおけるゴジラは、
初期の怖いゴジラではなく、
これらの漫画雑誌の表紙や特集を飾るような、
放射能の恐怖とも無縁の、
人気キャラクターのひとつだったといえるだろう。

しかも庵野さんが年齢を重ねるにつれ、
特撮は「ウルトラマン」や「仮面ライダー」という、
正義の味方によるSFアクション系が主流となり、
いつしかゴジラはその中心から外れて行った。

庵野さんが中学生の頃には、
もうゴジラは「東宝チャンピオンまつり」でも、
決して圧倒的な存在感をもったものではなくなっていた。

おそらく庵野監督の五つ下の樋口監督は、
このあたりの斜陽期のゴジラを観て育ったのかも。

ただこの当時、
フジテレビの夜八時頃から80 分ほどの枠で、
よくかつてのゴジラものを短縮して放送していた。

また日本テレビも土日だったと思うけど、
夕方の枠でやはりそれ以前のゴジラものを、
いろいろと放送していた。

なのでビデオが無い時代ではあったものの、
短縮版とはいえ地上波のいい時間帯で、
じつはけっこうこの時期いろいろと、
ゴジラ映画をみることができた。

庵野監督もおそらく、
ファースト「ゴジラ」や「ラドン」「モスラ」、
そして「キンゴジ」や「モスゴジ」といった、
かつての怖さや元気溌剌としていたゴジラを、
後追いで知っていったと思われる。

このため庵野監督のもつゴジラ像というのは、
子供のアイドルのゴジラで育ってから、
怖いそして迫力のあるゴジラの魅力に接した、
つまり初期ゴジラととともに育ったのではなく、
初期ゴジラを、
ある意味遠回りして新鮮にみることのできた、
最初の世代といっていいのかもしれない。

またおそらく樋口監督も見始めはともかく、
小学生の頃にはこのテレビゴジラなどで、
初期ゴジラに親しんでいたことだろう。

それを如実にあらわしたのが、
このお二人が組んだ「巨神兵東京にあらわる」だ。

あのとき巨神兵を遠くからみるシーンが、
「三大怪獣地球最大の決戦」で、
キングギドラを鳥居越しにみるという、
ひじょうに有名なシーンのオマージュがあることは、
おそらくファンならわかることだろう。

この「三大」は1964年の作品なので、
おそらく庵野さんは「チャンピオン」でのリバイバル、
樋口さんはテレビでの放送で観たことだろうが、
このあたりの迫力あるゴジラを、
やはりリスペクトしているというのが、
じつによくわかる作り方だった。

また「EVA」で使徒に対し、
これでもかというくらいの通常兵器で、
死ぬほど撃ちまくりの総攻撃をみせているあたりは、
初期ゴジラにおける自衛隊等の攻撃が、
なぜあんなに小規模で散発的なのかという、
そういう部分の欲求不満が爆発したかのようで、
ほんとこの人ゴジラ好きだなあという気が、
このシーンをみるといつも思ってしまいます。

おそらくこれらのことから、
庵野さんにとってのゴジラのベースは、
子供向きゴジラから出発したのかもしれないが、
その理想形はむしろ初期ゴジラなのだろう。

ただこの世代のゴジラはじつはちょっとめんどくさい。

つまり1954「ゴジラ」派。
1962「キンゴジ」派、
1964「モスゴジ」派、
1964-65「三大&怪獣大戦争派」
というものに分かれている節がある。


庵野さんもおそらくご贔屓のそれがもちろんあるだろうし、
何かでそれは話されているのかもしれないが、
ゴジラを怖くみせるか、
カッコよく見せるか、
それとも怖くてカッコよくみせるのかという部分で、
このあたりのそれがハッキリみえてくると思う。

そしてここの部分がおそらく最大の山だろう。

ただこの部分で、
初代1954はともかくそれ以降は、
そう簡単には全面賞賛とはどれもいっていない。

カリスマ的人気のある「キンゴジ」はカッコよさはあるが怖さは無い。
「モスゴジ」は顔の凄味はあるけど、
ややスリムすぎてキンゴジに比して物足りないとか、
この比較的人気のある二つのタイプのゴジラでさえ、
いろいろと評価がわれてしまっている。

そして平成以降のゴジラは、
この部分でかなり厳しい目にさらされている。

もっともこれは昭和ゴジラの初期で育った傾向で、
世代が下がるにるにつれ、
これらとは逆の評価というのもじつはけっこうあり、
このあたりじつに混沌としたものがある。


もっともこれはもうどうしようも無いことで、
ここまでシリーズが長期間に渡り増えていくと、
その数だけゴジラのイメージも千差万別で、
もはや黒澤明や大島渚がつくろうが、
スピルバーグやジョン・フォードがつくろうが、
ここの部分では絶対批判が出ること必至なのだ。

まあこれらは正直言ってしまうと、
「007」シリーズはどの俳優がよかったかという、
その論議に似たものとおもってもいいと思う。

そういう混沌とした、
しかもじつに難しい部分があることを承知で、
庵野さんがどんなゴジラを、
つまり自分のゴジラ像をみせてくれるのか。

自分以外のTVアニメ初期、
特撮中期隆盛期経験世代が、
はたしてゴジラをどう感じていたのか。

庵野監督と同世代の自分にとって、
ほんとこのあたり大注目なのです。

そしてそこの部分で、
比較的感覚的に差異の少ない範囲で、
ゴジラをみてきた樋口監督の、
これまたそれも大注目。

団塊の世代のような、
ゴジラ誕生をみて育った世代よりも下の、
ゴジラ初期をあとから新鮮にみることとなった、
そういう経験をした最初の世代である二人がどう描くのか。

そして311以降初めて描かれるゴジラはどうなのか、
繰り返すようですがぜひこのあたりも注目してみたい。

これらをからめて、
はたして庵野ゴジラは怖さもカッコよさも持てるのか、

日本製ゴジラのそれをぜひみせてほしいところです。




11月3日の「ゴジラ」(1954)公開日に因んで。

〆です。
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