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オスカー・ピーターソンとグレン・グールド [音楽]

以前ここでも紹介させてもらった、

「小澤征爾さんと音楽について話をする」

という村上春樹さんの本の中に、
グレン・グールドとカラヤンが共演した協奏曲を聴きながらの項で、
以下のような発言を小澤さんが発言された。

「グールドの音楽って、結局のとこ自由な音楽なんですよ。それともうひとつ彼はカナダ人というか、北アメリカに住む非ヨーロッパ人だから、そういうところの違いは大きいかもしれないですね。(後略)」


この文章を読んだとき、
自分はグールドではなくもうひとりのカナダ人ピアニストを、
ふと浮かんできたものでした。

それがオスカー・ピーターソンだった。

グレン・グールド
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89

オスカー・ピーターソン
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3

年齢はピーターソンの方が七つ年上だが、
ともに1950年頃から頭角をあらわわしてきたことや、
ともに1980年代初めまで同じレーベル、もしくは同じプロデューサーとともに、
録音活動をし続けていたこと。

そしてともにたいへん軽やかな技巧をもっていたことや、
興にのると素晴らしいほどの冴えわたるソロを聴かせたこと、
そしてとぢらも少なからぬ人たちからはあまり面白くおもわれていなかったことなど、
じつにいろいろな共通点がある。

ピーターソンの場合出発はクラシックだったという。
それが途中からジャズに転向し、
二十代初めの頃から名プロデューサー、ノーマン・グランツとともに、
録音や演奏活動を行い、
1953年に早くもその関係で来日を果たしており、
以降彼の名前は多くの日本のジャズファンに知れ渡ることとなった。

グールドの名前が日本に知られたのはその3年後。
あのデビュー盤「ゴルトベルク変奏曲」の発売からだろう。

残念ながらグールドは来日することはなかったが、
その録音のほとんどは日本でも潤沢に発売提供され、
これまた日本のクラシックファンの多くに知れ渡ることとなった。

そしてグールドは脳卒中で50歳で亡くなり、
ピーターソンは一命はとりとめたものの、
脳梗塞で60代の終わりからその後遺症に苦しめられるという、
ともに脳の大病を患うという偶然も重なっている。


だがこの二人の最大のそれは先にもあげたが
そのワン・アンド・オンリーともいえるスタイルが、
いろいろと好き嫌いをはっきりと聴き手につきつけることとなった。

グールドの場合はその驚くほど即興的かつ斬新、
そして一部からはジャズ的ともいわれるその革新的な弾き方やスタイルが、
そのようにとられることとなった。

あのような弾き方はバッハではないとか、
速い所はとことん早く遅い所はとことん遅いというそのやりかたも、
過剰な表情付や演奏効果重視に他ならないというかんじで。


これに対してピーターソンはグールドのように革新的ではなく、
むしろスタイルとしてはオーソドックスだし、
ナット・キング・コールやアート・テイタムのそれに影響を受けているといわれている。

だがピーターソンのそれはそれら前者よりもあまりにも弩迫力だし、
音量もテクニックも強烈なほどのそれをもっている。

そしてそのことが音楽よりもテクニックのみを披露するだけで、
味わいに欠け中身に乏しいという批判を受ける要因ともなった。

クラシックでいえば一時のショルティ指揮シカゴ響のようと言えば、
なんとなくクラシックのお好きな方には想像がつくのではなかろうか。


ようするに二人ともその圧倒的な演奏スタイルが、
中身に乏しいとか音楽の本質から離れているような、
そんな言われ方をされていたことがあったのだ。


たがもちろんそんなことはない、

先ほどの小澤さんの言葉を借りれば二人とも
「自由」な音楽家であり、
その才能ともてる実力をフル稼働した結果があれなのだ。

ただそれが当時としては少々型破り的な部分があったということなのだ。


そんな二人の演奏だが、
じつは聴いていてふと思ったことがあった。

グールドの弾くバッハをジャズ的といった発言。

そこで言われたジャズ的というのは、
ひょっとしてピーターソンのようなソロを念頭にしていたのではないか、
ということだ。


50年代というとパウエル、シルヴァー、ハインズ、モンク、ガーランド等々、
じつに絢爛とした巨匠や名手がジャズピアノにはそろっていた。

自分はそれら全員の全ての録音を聴いたわけではないが、
グールドのさきの1955年録音の「ゴルトベルク変奏曲」における、
そのひとつひとつの音を明確に、
そして歯切れよく清潔に小気味よく紡いでいくそれを聴くと、
もちろんタッチとかペダリングがどうのとか、
そういう専門的なところは分からないけど、
なんかピーターソンのソロがどこか重なってくるときがある。

はたしてこう感じるのは自分だけなのだろうか。

まあこのあたりはこれからもいろいろと聴くことになるであろう二人だけに、
また違う感想がでてきてしまうかもしれませんが、
そのときはまたそのときということで。


それにしてもこの両者。

まったく面識も繋がりも無かったのだろうか。

活動していた時期がほとんど重なっていることや、
(ピーターソンの方が活動時期が長いので、グールドのそれがすっぽり包み込まれているというかんじではありますが。)
同郷のピアニスト同士ということなど、
いろいろと繋がりそうな部分があることはあるのですが…。


ジャズのようにバッハを弾くといわれたグールドと、
クラシックから出発したジャズのピーターソン。

ともにお互いのジャンルでは事の大小はあれ、
異色と思われていた二人のピアニスト。


すでに二人とも故人になっているのであれなのですが、
お互いどう思っていたのか、
じつに興味深いものがあります。

そういえばグールドはジャズに、
そしてピーターソンはクラシックに、
各々名前が売れてからはあまりそちらの方には手を出していない。

このあたりお互いを意識しその領域に近づかないようにという、
そんな気持ちが互いに働いていたのだろうか。

それともお互いの類まれな創造性が、
そういうジャンルなど通り越したところに存在してしまったため、
そのような必要がなかったからなのだろうか。


と、いろいろと考えたこんなところで終了です。

こういうことは音楽の専門家に語ってもらうときっと面白い話がでてくると思います。

以上で唐突に〆。
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阿伊沢萬

今年はピーターソンの生誕90年、ゴルトベルク変奏曲録音から60年。いろんな意味でそれがらみの年ということでそれとなく深く考えず書いてしまいました。nice! ありがとうございました。
by 阿伊沢萬 (2015-04-18 01:54) 

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