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「かぐや姫の物語」雑感 [スタジオ・ジブリ]

これは公開当時に書いたものです。
高畑監督へ心から哀悼の意を表し上にあげさせていただきます。

kaguya.png
http://kaguyahime-monogatari.jp/
(公式サイト)


「かぐや姫」の話というと
それはそれは子供の頃からよく知っている話だし、
もちろん多くの方々もその話は知っているだろう。

だけど正直かぐや姫の話が面白いか面白くないかはともかく、
かぐや姫自身の心というものが自分にはとにかく昔からみえなかった。

なんというのかあまりにもまわりに流され過ぎで、
最後に天に戻るときも泣きすがる翁(おきな)と媼(おうな)に対して、
あまりにも形ばかりにすぎないかと、
正直あまりかぐや姫に感情移入するという気持ちにはなれなかった。

そんな物語をあの高畑勲監督がつくったという。
高畑監督というと自分にとって忘れられないのは、
1981年の「じゃりン子チエ」劇場版。

特に遊園地から帰る電車の中で
母のひざでうとうとしているチエの描写は、
自分がみてきたアニメの中でも屈指に印象に残るシーンだった。

その高畑監督が「かぐや姫」をやる。
おそらくいままでと違うかぐや姫になるだろうという気はしていた。
そしてそれは「風立ちぬ」の予告編で疾走するかぐや姫のそれで、
限りなく確信にかわった。

その動きをみたとき、
自分は一瞬、信貴山縁起の「飛倉の巻」を思い出してしまった。
このただごとではない雰囲気で期待をしてはいたが
悲しいかな公開してもなかなか見ることができず、
ようやく公開十日目にしてみることができました。

平日の昼で、しかも数日前に1000円均一の映画の日だったにもかかわらず、
意外なくらいこの日映画館は入っていた。
そしてそれを見に来ているのはアニメファンではなく、
一般の比較的年配の方々だった。

このあたりにもこの作品に対する一般の受け取られ方が、
なんとなく感じられるものがあった。

じつは映画をみるまえ自分はパンフレットを購入、
高畑監督のこの作品に対するプロローグ(という言葉が適当かどうかは微妙ですが)を、
自分はひとしきり読んでしまった。
正直ここで書かれたことのほとんどは作中でも描かれているが、
ただこれを読むと読まないとでは、
ちょっと作品に入るこちらの心構えに、
多少差異が生じてくる部分があることは確かだと思う。

理想としてはまずは読まずに観、
そして二度目に読んでから観るようにしたいところだろうか。

このあと感想となりますが、
公開も十日経つことからネタバレ込みで書かせていただきます。
このあたりご注意ご了承ください。


さて「かぐや姫」というと、

○竹から生まれる
○大きくなって美しくなる。
○五人の貴族から結婚を申し込まれ無理難題で追い払う。
○月へ帰る

というこの四つがでかいところの軸なので、
これはさすがに動かしようがなく、
逆に言えばこの四つを守ればいかようにも話は広げられる、
と、ふつうは考えてしまうのですが、
高畑監督は想像以上に原作に沿って話を展開させる。

とはいえかぐや姫が竹の中ではなく、
いきなり生えてきた筍の先から花が咲くように生まれ、
その姿は最初は手のひらサイズの小人みたいなお姫様だったのが、
一度赤子に戻りそして急成長していくという手順をとる。

このとき前述した高畑監督のそれを事前に読んでいると、
このあたりの受け入れ方がちょっと変わってくると思う。

このあと捨丸というキャラなどが登場し、
随所に高畑監督のオリジナルが含まれていく。

ただこうしてみるとかぐや姫の表情や行動が大胆になるところは、
ほぼ高畑監督によって肉付けされた部分なのですが、
それらがただおもしろおかしく興味本位で付加されたというより、
最後の結末へ向かうまでの必然としての伏線であるところがまた素晴らしく、
それが行動的で気の強いかぐや姫を形成しながら、
今まで流されるだけにみえたかぐや姫が、
自立しようとしながらもその手段や表現に、
いまひとつ気持ちや行動がまわりきらないため、
ひたすら別れへ向かっての一本道を走っていくという、
観ているこちらにも強く迫ってくる姿を表出しているところに、
なんともいえない哀しさを感じてしまったものでした。

そしていつのまにかいままで希薄な存在だったかぐや姫が、
とにかく強く生々しく描かれていった。

ある意味かぐや姫の地球でのそれは「ただひたすら走りつづけている」
そんなかんじを強く受けた。
それらは喜怒哀楽を激しく身にまとったそれであり、
屋敷からの脱出シーンや捨丸との飛行シーンは、
すべて夢がらみではあるものの、
かぐや姫の感情が振り切れたエネルギーからきたものであることを思うと、
ある意味「生き急いだ」というかんじすら強く受けた。

そしてそれが後々かぐや姫の後悔へと繋がっていくことを思うと、
もちろんこれはかぐや姫の地球のことではあるけれど、
月の世界のそれを来世と考えた場合、
それは人生を生きた者が最後に感じるひとつの反省であり未練でもあるような、
そんなことにも感じられた。

姫が天上の衣を身にまとい記憶と同時に表情までなくなった瞬間、
それがまた人の死とどこか重なるように感じたのは、
はたして自分だけだっただろうか。

※ただよくみると完全に失ったというわけではないようです。

それが罪や罰からの許しであり解放だった結果なのかと考えると、
ここにはいろいろと仏教がらみのことが入り込んでくる。

そのためかラストの天上人の姿など、
多少違和感というか感覚的に受け入れられないものが人によってはあるかもしれませんが、
このあたりのことや物語の時代を思うと、
そうならざるを得ないんだろうなという気が個人的にはしています。

またこのとき天上人たちの奏でる音楽がまた場違いなくらい明るいものがある。
これまた違和感がかなりでるかもしれませんが、
ニューオリンズでの葬儀のパレードは行きも帰りもじつに明るいものがあり、
あれもまた「現世の苦しみから解放されてよかったね」という、
そういう意味も含まれての明るさだと聞いたことがある。
このあたりもそんなことも考えての演出だったのかもしれません。


話はかぐや姫が帰るところで終わり、
帝が不死の薬を富士で焼かせるという部分は無し。

上映時間137分という、
ちょっとしたオペラなみの長さですが、
正直個人的にはほとんどダレた感じは受けませんでした。

ダレそうになるといろいろと視覚的なもの等で、
それらの要素を極力減らしていたことがありますが、
そんな中でいちばんいいタイミングでそれを防いだのが、
伊集院光さんの演じる阿部右大臣が、
持参した宝物を火で焼かれるシーンでのそれ。

正直ちょっとこれはダレるかなあと思い始めたときに、
このコミカルな伊集院さんのそれはじつにタイムリーで、
その後のお遊び無しの展開を思うと、
ちょうどいい感じで気持ちがリフレッシュでき、
そして後半に入れた気がしたものでした。


こうして全部を観終わった感想としては、
とにかく凄い作品を観てしまったということでした。

自然の伸びやかな美しさ
都の喧騒やそんな中でも聞こえる鳥の声、
姫のダイナミックな動きと、
素で生きる部分と演じなければならない時の対比、
そしてときおり自分という人間の人からみられた存在の自覚と、
それに対するなんともいえない感情の揺らぎ。

姫を囲む、翁、媼、女童、といった人たち。

また翁の館での宴のそのまるで絵巻物を、
そのままアニメに転写したかのような実在感。

一見粗くみえる絵だけれど、
これらが動くことにより生じる無類の生命力と流動感、
そして「枠」をもうけない「形」のうつくしさの表出等々…、
とにかくあげていけばきりがありません。

そしてなによりも初めてかぐや姫に感情移入できたこと。
あと、ちょっとだけどこみあげるものが感じられたこと。
そのことが我ながら意外であり、そして素晴らしく感じられたところでした。

ここまでやってしまうと、
シューベルトがベートーヴェンの弦楽四重奏の14番を聴いた時、
「この後に我々は何を書けばよいのだ。」
といったことと同じことを言いたくなってしまうような、
そんなかんじすらしたほどでした。

ただ正直いうと、
ちょっとラストが絵的にきもち単調になったように感じられたのですが、
それはこちらが137分という時間に慣れなかったということもあるかもしれません。

ですがそういうことも含めて、
とにかく近年稀にみる巨大なエネルギーと情報量をもった作品でしたし、
日本を舞台にした伝承によるアニメの最高傑作のひとつといっていいかんじの作品でした。

それはかつてウェーバーが「魔弾の射手」というオペラによって、
はじめてドイツを舞台にした伝承による傑作を生んだそれと、
なんとなく重なるように感じられるほどのものがありました。

あと声優さんですが、正直これだけうまくはまれば言う事なしです。
声優云々というのはもはや関係無いでしょう。
宮崎駿監督作品のそれとはここが決定的に違うところでしょうか。
もっともこのあたりは単純には比較できないものはありますが…。

因みにこの作品は声を先に収録するというプレスコを2011年の6月に行ったとのこと。
震災から三か月しか経っていない時期というだけにたいへんだったと思われますが、
そのおかげで翌年6月に急逝された地井武男さんの、
まだお元気だった頃の演技がここに収録されている。
この収録の半年後には入院をされているので、
ほんとうにギリギリのところだったという気がします。

またその地井さんの翁がたいへん素晴らしく、
これが無ければこの作品の悲劇もまた成立しなかったことを思うと、
ほんとうにその急逝が惜しまれてなりません。
あらためて哀悼の意を表したいと思います。

※尚、その後追加等された翁のカットに関しては、三宅裕司氏が担当。

そしてこの作品には氏家齊一郎氏と大久保好房氏両氏による、
資金面での桁外れの協力が無ければ絶対実現しなかったとのこと。

制作費50億というから、
収益の少ない高畑作品としては赤字になってもおかしくないけど、
正直この作品はできるだけ、
それこそ細々とでもいいから長期間に渡って公開し続けてほしい。

この作品は確かに長大で子供向きではないかもしれないけれど、
こんな凄い作品を日本はつくれるんだということ、
人生の生きる価値をあらためて見つめなおさせてくれるということ、
そしてそれは美しも哀しい日本らしい四季の彩りで綴られていることを、
ぜひ一人でも多くの人にみてもらいたい。

そしてこの作品が万が一黒字になることがあったら、
日本はアニメを作る側だけでなく、
観る側のレベルも世界に誇っていいと思う。

この作品は自分にはそう感じられました。
(おお!ここまで言ってしまった。いいのかなあ…。あまり気にしないでください…とちょっと弱気。)

それにしても「キングコング」や「宇宙戦争」と同じで、
ストーリーを動かせない原作付きの作品で、
よくここまで作品の本筋を崩さず動かせるものだと、
そこのところにも感心しきりです。
たいていは原作に縛られ過ぎて完敗しちゃうんですけどねえ。

タイプは違いますが、
杉井ギザブロー監督の「銀河鉄道の夜」以来かもしれません。

尚、音楽は久石譲さん。
演奏はミューザ川崎で収録した東京交響楽団による演奏。
高畑監督と久石さんの組み合わせも珍しいですが、
(これは「かぐや姫」の制作が遅延したことによる副産物だったそうです。)
ジブリ作品を新日本フィルではなく東響がやるというのも珍しい気がします。
このあたりは今年3月に久石さんと東響の初顔合わせが実現したことが、
この組み合わせによるそれに繋がったのかもしれません。

たいへん長くなりましたが以上です。
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阿伊沢萬

長い作品とはいえ「涼宮ハルヒの消失」よりは二十分以上短いので、そんなに途方もなく長い作品ではないのですが、なんか長すぎる作品というイメージが一人歩きしているようなので、そのあたりがちょっと残念です。前評判も始まってからの話題もいもいちですが、個人的にはここ数年でいちばん面白い劇場アニメでした。(ただし「まどか☆マギカ」はみていません。)
JAPANA様、nice! ありがとうございました。
by 阿伊沢萬 (2013-12-04 02:54) 

サンフランシスコ人

8/15 サンフランシスコの日本町で上映しました

http://jffsf.org/the-tale-of-princess-kaguya/
by サンフランシスコ人 (2015-09-09 03:25) 

阿伊沢萬

うーんこの作品、はたしてどう受け取られたのだろう、日本では正直いまいちの反応だったんですけど、個人的に凄い作品と思ってます。たのしんでくれた人が多ければいいのですが…。
by 阿伊沢萬 (2015-09-10 03:36) 

サンフランシスコ人

「はたしてどう受け取られたのだろう...」

知りません...
by サンフランシスコ人 (2018-05-19 03:00) 

サンフランシスコ人

「尚、音楽は久石譲さん...」

10/21 サンフランシスコでのクラシック音楽の演奏会に久石譲の作品..

http://noontimeconcerts.org/concerts/black-cedar-duo/

Joe Hisaishi (b. 1950)

Always With Me, from Spirited Away

Ashitaka to San, from Princess Mononoke
by サンフランシスコ人 (2018-10-18 02:30) 

阿伊沢萬

「千と千尋」と「もののけ姫」からですね。ともに有名な曲なのでなかなかいい選曲だと思います。
by 阿伊沢萬 (2018-10-18 22:19) 

サンフランシスコ人

サンフランシスコでのクラシック音楽の演奏会には、日本人の作品がなかなか出てこないので...
by サンフランシスコ人 (2018-10-19 00:55) 

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