大洗へ向かって(水浜線に沿って水戸から大洗へ)その1 [水浜線跡廃線の旅]
以前、大洗の中を1966年に廃止になった、
茨城交通水浜線の痕跡を辿って歩き回ったことがあった。
それは以下のリンク先に書いてあります。
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2013-04-30-3
そして今回はいよいよ水戸から大洗へ向かって、
水浜線の痕跡を辿る旅をすることになった。
距離的には約12キロ。
普通に歩けば二時間半というところだろうけど、
写真を写したりすることもあるので、
だいたい三時間を目途として歩くこととした。
この日の気温は25度前後としのぎやすく、
しかも歩いて涼やかな風を感じることができるという、
最高のコンディションとなった。
もう少しすると湿度と気温の上昇によって、
かなりハードな状況になってしまうため、
今の時期が最適ということで決行となりました。
水戸駅の北口へ。黄門様一行のお出迎え。
この北口正面の国道51号を挟んだ駿優教育会館の前あたりに、
水浜線の「水戸駅前」駅があったようです。
ただ当時とはかなり水戸駅やその前の道の状況も違うので、
正確にここといいきれない自分の知識欠如が悲しいです。
ここでおことわりをしておきますが、
駅の場所はだいたいの見当です。正確な場所とはいえませんのでご了承ください。
51号に沿って水郡線の方へ向かう。
途中から登り坂となりはじめるこのあたりに「本社前」駅。
もう少し道に面したところだったかしもれません。
ここから51号に沿って歩く。
途中女子の高校生と何人もすれ違うが、
ちよっと挙動不審ととられている可能性があって…。
まあ厚めの地図と携帯もってウロウロしてたらそれはそうだろう。
しばらく歩いて51号から下に降りて道路下のトンネルをくぐって51号を渡る。、
このあたlり付近に「三校下」駅が位置していたのではないかと思われる。
じつはちょっと最初かなり勘違いしてしまっていたが、
このあたりから跨線橋を含んだ専用軌道が高架線(といっていいのだろうか)構造になっていた。
当時の写真をみると「本社前」から「三校下」は専用軌道が地上を走っているが、
(ただし地上といっても崖横にスペースをつくったような場所なので、
しわゆる平地ではありません。今の51号と近しいルートかもしれません。)
「三校下」から「一校下」は専用軌道が高架橋になっていた。
そのあたりの構造物はほとんど撤去されてしまっているため遺構はみつからないので、
正直どこがどうなっていたのかは、
自分にとっては憶測の域をでないものがある。
半世紀前のことなではあるがやはり地元の方に聞くのが一番正しいのかもしれない。
51号に戻り一校あたりのそばまでくる。道を挟んだマンションの付近あたりに
「一校下」駅があったと思われる。
そして一校のある高台の端にくると、
かつてこの場所を水浜線が走っていた高台の線路跡にぶつかった。
高架線の名残といえると思う。
このあと水浜線はこの高台を後にして跨線橋超えで常磐線を渡り「東棚町」駅に至る。
ここまで歩いたコースは以下の通り。
尚、地図上の数字は以下を示しています。
①「水戸駅前」駅跡
②「本社前」駅跡
③「三校前」駅跡
④「一校前」駅跡
⑤「東棚町」駅跡
(ただしどの駅跡も、あくまでも憶測、あくまでも「付近」ですので、ピンポイントに確定しているわけではありません。)
ここから柳町~常陽銀行までは一本道感覚で行く。
そして途中に水浜線最大の遺構がでてくる。それが水門橋の記念碑と線路跡。
そしてこの道を真っ直ぐと常陽銀行下市支店までいく。
この付近に「本一丁目」駅が。
ここを左折し、ひたすら直進。それにしてもさきの道もそうだが幅が広い。
※後でわかったのですが当時はこれより狭く、近年拡張したとのことでした。
ハミングロード513を行く。
かなりすっきりとした通りとなっている。
「本三丁目」駅は正直もう正確には自分にはわからない。
ただこの付近だということは確かなようだ。
もう半世紀近く前の廃線。しかも市街地ではその痕跡を辿るのは、
当時それらに深くかかわっていた地元の方たちでなければ難しいのかもしれない。
尚、このあたりは陸前浜街道の起点になっている。
水浜線はこういう古の街道も走っていたようです。
そんなことを思ってる自分を道端の達磨が
「おまえさんはいったいここに何しに来たんじゃ」
と言っているようだった。
そして道は続く。
「本五丁目」駅付近。
「浜田」駅付近方向をのぞむ。
この浜田駅付近には車両基地もあったとのこと、
いまのフレッシュパワー.エコス浜田店あたりもその一部だったのかもしれません。
この道は工事中。
この道にかつて電車が走っていたと、
はたして作業していた方たちは知っているのだろうか。
こうして次第に水浜線は遠い彼方へと消えていくのだろうか。
ただその先をまだ水浜線は走っていた。
そして水浜線のガーター橋。まだ残っていたことに感謝です。
ここまで歩いたコースは以下の通り。
尚、地図上の数字は以下を示しています。
①水門橋
②「本一丁目」駅跡
③「本三丁目」駅跡
④「本五丁目」駅跡
⑤「浜田」駅跡
※地図上の赤いラインの右下端のところにガーター橋。
尚、一部工事のため通れなかった道がありました。
⑤からガーター橋に行く途中左折したあとすぐ右折した先のその道です。今回はその地図に向かって左側を並行して走る道を最初の交差点まで行き、そこから左折、そして右折し従来の道に合流しました。工事中の道路を写したのは、この合流直前の場所からです。
(ただしどの駅跡も、あくまでも憶測、あくまでも「付近」ですので、ピンポイントに確定しているわけではありません。)
そして大洗へと道は続いていきます。(以下その2へ)
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2013-06-30
茨城交通水浜線の痕跡を辿って歩き回ったことがあった。
それは以下のリンク先に書いてあります。
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2013-04-30-3
そして今回はいよいよ水戸から大洗へ向かって、
水浜線の痕跡を辿る旅をすることになった。
距離的には約12キロ。
普通に歩けば二時間半というところだろうけど、
写真を写したりすることもあるので、
だいたい三時間を目途として歩くこととした。
この日の気温は25度前後としのぎやすく、
しかも歩いて涼やかな風を感じることができるという、
最高のコンディションとなった。
もう少しすると湿度と気温の上昇によって、
かなりハードな状況になってしまうため、
今の時期が最適ということで決行となりました。
水戸駅の北口へ。黄門様一行のお出迎え。
この北口正面の国道51号を挟んだ駿優教育会館の前あたりに、
水浜線の「水戸駅前」駅があったようです。
ただ当時とはかなり水戸駅やその前の道の状況も違うので、
正確にここといいきれない自分の知識欠如が悲しいです。
ここでおことわりをしておきますが、
駅の場所はだいたいの見当です。正確な場所とはいえませんのでご了承ください。
51号に沿って水郡線の方へ向かう。
途中から登り坂となりはじめるこのあたりに「本社前」駅。
もう少し道に面したところだったかしもれません。
ここから51号に沿って歩く。
途中女子の高校生と何人もすれ違うが、
ちよっと挙動不審ととられている可能性があって…。
まあ厚めの地図と携帯もってウロウロしてたらそれはそうだろう。
しばらく歩いて51号から下に降りて道路下のトンネルをくぐって51号を渡る。、
このあたlり付近に「三校下」駅が位置していたのではないかと思われる。
じつはちょっと最初かなり勘違いしてしまっていたが、
このあたりから跨線橋を含んだ専用軌道が高架線(といっていいのだろうか)構造になっていた。
当時の写真をみると「本社前」から「三校下」は専用軌道が地上を走っているが、
(ただし地上といっても崖横にスペースをつくったような場所なので、
しわゆる平地ではありません。今の51号と近しいルートかもしれません。)
「三校下」から「一校下」は専用軌道が高架橋になっていた。
そのあたりの構造物はほとんど撤去されてしまっているため遺構はみつからないので、
正直どこがどうなっていたのかは、
自分にとっては憶測の域をでないものがある。
半世紀前のことなではあるがやはり地元の方に聞くのが一番正しいのかもしれない。
51号に戻り一校あたりのそばまでくる。道を挟んだマンションの付近あたりに
「一校下」駅があったと思われる。
そして一校のある高台の端にくると、
かつてこの場所を水浜線が走っていた高台の線路跡にぶつかった。
高架線の名残といえると思う。
このあと水浜線はこの高台を後にして跨線橋超えで常磐線を渡り「東棚町」駅に至る。
ここまで歩いたコースは以下の通り。
尚、地図上の数字は以下を示しています。
①「水戸駅前」駅跡
②「本社前」駅跡
③「三校前」駅跡
④「一校前」駅跡
⑤「東棚町」駅跡
(ただしどの駅跡も、あくまでも憶測、あくまでも「付近」ですので、ピンポイントに確定しているわけではありません。)
ここから柳町~常陽銀行までは一本道感覚で行く。
そして途中に水浜線最大の遺構がでてくる。それが水門橋の記念碑と線路跡。
そしてこの道を真っ直ぐと常陽銀行下市支店までいく。
この付近に「本一丁目」駅が。
ここを左折し、ひたすら直進。それにしてもさきの道もそうだが幅が広い。
※後でわかったのですが当時はこれより狭く、近年拡張したとのことでした。
ハミングロード513を行く。
かなりすっきりとした通りとなっている。
「本三丁目」駅は正直もう正確には自分にはわからない。
ただこの付近だということは確かなようだ。
もう半世紀近く前の廃線。しかも市街地ではその痕跡を辿るのは、
当時それらに深くかかわっていた地元の方たちでなければ難しいのかもしれない。
尚、このあたりは陸前浜街道の起点になっている。
水浜線はこういう古の街道も走っていたようです。
そんなことを思ってる自分を道端の達磨が
「おまえさんはいったいここに何しに来たんじゃ」
と言っているようだった。
そして道は続く。
「本五丁目」駅付近。
「浜田」駅付近方向をのぞむ。
この浜田駅付近には車両基地もあったとのこと、
いまのフレッシュパワー.エコス浜田店あたりもその一部だったのかもしれません。
この道は工事中。
この道にかつて電車が走っていたと、
はたして作業していた方たちは知っているのだろうか。
こうして次第に水浜線は遠い彼方へと消えていくのだろうか。
ただその先をまだ水浜線は走っていた。
そして水浜線のガーター橋。まだ残っていたことに感謝です。
ここまで歩いたコースは以下の通り。
尚、地図上の数字は以下を示しています。
①水門橋
②「本一丁目」駅跡
③「本三丁目」駅跡
④「本五丁目」駅跡
⑤「浜田」駅跡
※地図上の赤いラインの右下端のところにガーター橋。
尚、一部工事のため通れなかった道がありました。
⑤からガーター橋に行く途中左折したあとすぐ右折した先のその道です。今回はその地図に向かって左側を並行して走る道を最初の交差点まで行き、そこから左折、そして右折し従来の道に合流しました。工事中の道路を写したのは、この合流直前の場所からです。
(ただしどの駅跡も、あくまでも憶測、あくまでも「付近」ですので、ピンポイントに確定しているわけではありません。)
そして大洗へと道は続いていきます。(以下その2へ)
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2013-06-30
tochiさま、こーちゃんさま
これで大洗は三度目。今回は当然のごとく水戸から徒歩によるものとなりました。水浜線はちょっと残念な廃線という気がするほど、とても穏やかで長閑な景色の中を走っていたことを今回実感しました。もはや再開などありえないものの、その廃線跡を歩くことで、かつての水浜線のそれを追体験できるような気がして、なんとも嬉しいものがありました。
それほどの起伏もなくとてても歩きやすいこのコース。距離的にも手ごろですので、これからも機会があったらまた歩いてみたいと思います。
nice! ありがとうございました。
by 阿伊沢萬 (2013-06-30 21:21)