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TV版「ガールズ&パンツァー」大雑感 [ガールズ&パンツァー関係]

ようやく全話すべて放送が終了した。
あらためて第一話から見直すと、
ほんとうにいろいろな戦争映画のオマージュがでてくる。

有名なところでは「戦略大作戦」ネタ。
第五話で優花里がオッドボール軍曹と名乗ったのにはビックリ。
だいたいオッドボール軍曹はシャーマン戦車の隊長で、
それがシャーマンを主力としたサンダース大学付属高校に潜入したときに、
相手にそう名乗ったというのが強烈。
おそらくこの一言でケイさんにはバレバレだったのかもしれません。

また第十話の決勝戦前夜に一年生がみんなで見ていたのも「戦略大作戦」。
ただあれは泣ける映画なのだろうか?
たしかに身動きのとれなくなった戦車が破壊されるという意味では、
戦車大好き娘には悲しくて泣けるシーンなのかもしれませんが…。

101.png

上はオリジナルの「戦略大作戦」より。
このシーンがTVで流れていましたが、
これが決勝戦での一年生のたてた作戦の伏線となっていくあたりも、
じつによく考えたつくりとなっていました。

音楽もこれまたいろいろな作品で聴かれたそれがでてくる。
「戦略大作戦」もそうですが、
第11話終盤で延々と流れていた「バルジ大作戦」。
※「バンツァーリート」の方が通りがいいかもしれませんが一応映画流れということで。
また11話のみほの戦車渡りのシーンの音楽や、
12話の戦闘終了後に流れていた音楽のベースは、
かの「バックドラフト」のそれがそのままというかんじになっている。
また「空軍大戦略」を思わせる音楽も他の話であった。

とにかく戦争映画やミリタリー系好きの人にはたまらない作品だった。

もっともそれだけではなく、
ものすごく考え抜かれた丁寧なつくり方と、
伏線の回収の仕方等もなかなか巧妙なものがあった。
ただそれ以上にテンポの良さとカメラワークの良さ。
台詞のコンパクトさとアンサンブルの良さがあげられる。

だいたい三十人以上のチームなのに、
全員がそれぞれ個人もしくはチームとしての個性が明確に描かれていて、
しかもそれがストーリー内でうまく機能しているのにも感心。
優花里とエルヴィンが「雪の進軍」を歌っているシーンなど、
何の違和感も無くむしろ納得してしまうほどでした。
ただその流れでそのまま「八甲田山」ネタはどうかと…

そしてそれらが最終回で見事に花開いている。

特に一対一のフラッグ車同士の一騎打ちなどは、
まるでマカロニウエスタンか時代劇のそれのようで、
途中建物を挟んでの走りあっての撃ち合いなど、
ちょっと「ブラックラグーン」におけるメイド編での、
レヴィとロベルタの港での撃ち合いを思い出してしまいました。

ここでのすぐ横を砲弾がかすめていくシーンも秀逸でしたが、
とにかくスピード感が素晴らしい。
ふつう戦車が撃ち合いながら走るとなると、
こんなにスピード感がでることそのものが不思議なのですが、
よくよくみるとじつは撃ってるのは姉のまほの戦車の方で、
榴弾も含めて十数発も撃ちまくっている。

これに対してみほの方はトータルでもその半分以下の六発程度。
しかもそのうちの二発は最後の撃ち合いでやってるため、
じっさいに時間でみるとかなり撃ってないように感じてしまう。
このため走行中に砲撃シーンやそれによる振動も無いため、
よりスピード描写がひきたったのだろう。

他にも何気ない言葉の伏線の回収がある。
みほが以前「戦車乗りは頭に血がのぼりやすい人が多い」と言っていたが。
ここでは八九式との追いかけっこ等でそれがよく描かれている。

また第一話で沙織が「やたら男の人に声をかけられる」と言っていたが、
それがどんな人たちだったのかが最後の凱旋シーンで明らかにされている。
よくもまあこんな細かいシーンのそれを回収したなと、
もう感心を通り超えて感嘆してしまいました。

最後の一騎討ち。

この時みほはまほの後方まで回り込んで決着をつけるのですが、
以前の聖グロリアーナ戦では横までしか回り込まず、
結果それが失敗に繋がったことが布石になっていたことなど、
このへんもいろいろと考えられていました。

あといろいろと忘れられないシーンも多かった。

例えば「平原や砂漠での戦車戦は海での艦隊決戦に近いものがある」、
という言葉が思い出させられるほど、
どの戦車戦もときにはそれを思わせるような見応えのあるものがありました。

また試合に勝った後みほがまほに会いにいくも、
何と言葉を続けていいのかわからず困っているみほに、
自ら声をかけ勝利をたたえ、
そして妹の言葉に耳をかたむけるそれに、
二年続けて姉の優勝を阻むことをしてしまったみほの気持ちと、
にもかかわらず妹の成長と自立を最後まで信じていた姉の喜ぶ姿ありと、
なかなかいろんなことを感じさせる夕陽の中の握手シーン。
絵になります。

尚ここでお互いの西住流に対する考え方が違ったのもおもしろく、
「これが西住流」と「これも西住流」の戦いだったという、
そういう一面もここであらためて強調していたのもよかったです。

そんな自分が特に忘れられないのはこのシーン。

103.png

いつもは大胆不敵とも思える生徒会長がみせたこのシーン。

「ありがとね」

またこの抱きつく前にみせた仕草もとても印象に残るものがありました。

そして最後に駅でみほに
「隊長、何か言え。」という台詞。

今まで誰に対しても呼び捨てや「~ちゃん」とか呼んでいたのが、
ここではじめて「隊長」といったところが、
いかにも才能のかたまりのような生徒会長らしい、
みほに対する最高の賛辞に感じられました。

考えてみると、
この作品中いちばん大洗を愛していたのは会長だったのかもしれない。

かたときも名産の「干し芋」を手から離さないし、
負けたときの「あんこう踊り」も、
ただ自分が一度やってみたかった、
だけど一人では嫌、
みんなでこれを愉しもうということでああいうふうになったような、
あのときの表情をみてるとそんな気がしてならないし、
なんといっても忘れられないのが
「泣きながら残り一年を過ごすのは嫌だ」といったあの台詞。

この人の口から「泣きながら」という言葉が出たのは驚きだったが、
あの最後みほに抱き着くシーンでその意味がとても理解できた気がした。
この人ほんとうに心底大洗が好きなんだとあらためて感じた次第。

そして泣きの桃ちゃんのこと。

すでにみほに礼を言うシーンの終わりから大泣きで、
同じく泣き状態突入寸前だった柚子がなだめる一幕。

そして大洗駅前でみほのかけ声で全員がジャンプするあのシーン。
よくみると桃ちゃんだけ顔にハンカチをあててジャンプせずに、
片手をかろうじてあげている姿が描かれている。
小さなシーンだけど他のメンバーの満面の笑みとのそれでさらに際立っていました。

100.png

あと最後のパレードシーン。

考えてみると311のとき大洗はたいへんな被害にあいました。
http://www.youtube.com/watch?v=fAmX7_cBv68
http://www.youtube.com/watch?v=wJxKdNCPHl0
https://www.youtube.com/watch?v=5OAjEJ8P2Ec

しかもそれに引き続いての放射能によるそれもあり、
町はかなりの打撃を受けたとのこと。

また岩手、宮城、福島の被害は大きく報道されたものの、
茨城や千葉の外房などはほとんどいっていいくらい報道はされなかった。
それがまた大洗をはじめとした町に対してのそれに、
少なからず問題が生じたこともまたあったとのこと。

その311の翌年10月からこの作品の放送がはじまった。
当初はひじょうに奇怪な設定ということで目をひいただけだったが、
製作サイトの想像以上のノリが作品を大きくブレイクさせた。

そしてこれは舞台となった大洗にも大きな影響を与えた。
それは放送翌月にあった「大洗あんこう祭」が
例年の倍近くの人手になったこともにもあらわれた。

そんな中での残り二話の急遽放送延期は
正直心配した方も多かったと思われる。
この三ヶ月のインターバルが作品のパワーを落とすのではないかという、
そういう心配をされた方も多かったはず。

ですが最後の二つの回の完成度の出来は、
このま劇場でロードーショーにかけていい水準で、
ここまで製作サイドが本気でこだわった作品というのも、
そうなかなかみられないのでは?というくらいのものになりましたし、
水戸の「シネプレックス水戸」での全館上映をはじめ
翌日の「海楽フェスタ」との連動、
そして陸自衛隊の戦車まで特別参加という、
大洗だけでなく近隣を巻き込んでのそれは、
この作品の製作側や大洗町の関係者の方々、
そしてこの作品のファンの方々が
この作品をほんとうに大事にしてきたことがよくわかるくらい、
その土日が偕楽園の梅が見ごろだったこともあるのでしょうが、、
3/23-24の両日はかなり例年以上に大きな盛り上がりをみせたようです。

最後をしめくくったこのラストシーンは
そんな三ヶ月待ってくれた多くのファンの方々に対する感謝、
そして地元大洗町に対する感謝とエールのようにも感じられ、
じつに強く心に残る爽やかなシーンという気がしました。

あと個人的にはこのパレードで、
エンディングにのってひとりひとりがUPでうつるシーンのとき、
一年生でこの日いちばんのキーポイントだった操縦手の、
「やればできる子」が最後に〆でうつっていたのも満足でした。

他にもいろいろな名シーンがありましたが今はこのへんで。

さてこの作品。
全国高校大会というが学校がとても国内のものにみえなかったり、
会場がときには北緯五十度という樺太付近だったりと、
まるで世界大会のような感じさえするが、
世界大会そのものはじつは別にあるとのことで、
姉のまほはその強化選手だとか。

それを思うとそのあたりを描いた続編、
高校の世界大会を描いた話や、
国別対抗のため今まで戦った学校と一緒にチームを組む等の、
いろいろなパターンが考えられる。

また今回、尺や演出上からオミットされたと思われる、
もうひとつの準決勝、黒森峰vs聖グロリアーナ戦なども、
番外編として面白いかもしれない。

とにかく出来がよすぎたこのシリーズの続編となると、
なかなかたいへんなものを感じてしまう。
例え制作されたとしても来年以降にはなるでしょうが、
気が熟してきたらぜひ制作してほしいところです。

〆です。

http://girls-und-panzer.jp/
(公式サイト)

http://www.town.oarai.lg.jp/
(大洗町公式サイト)

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103.png
104.png
※大洗女子メンバー一覧。

余談ですが、主役の西住みほ役を演じた渕上舞さん。
渕上さんというとどうしても「電波女」の前川さんを思い出してしまいます。
このため最初みほは180cmくらいの長身のキャラかなと思ったくらい。
そのためTVをみたときはかなり驚いたものでした。
この作品渕上さんの代表作になるかもしれません。

それにしても生徒会は比較的ベテランの声優さんが揃いました。
生徒会がストーリー全体を引っ張っているという、
そういう重責を担わされている証なのかもしれません。


106.png
※今回の組み合わせ。
それにしてもけっこうユニークな名前もあって笑わされます。

(さらに余談いろいろ)

(1)
ただ正直言って超大型航空母艦のような船の上に町があるという設定。
はたしてどこまで意味があったのかいまでも疑問。
話の展開としては確かに有りではあるのですが…。

このことは劇場版ではしっかりと設定として生きていました。

(2)
プラウダ高校の生徒がコサックダンスをやってるときのBGM。
これはポーリュシカ・ポーレという曲だ゛じつは元はれっきとしたクラシック。
レフ・クニッペル作曲の交響曲第4番「コムソモール戦士の詩」の第1楽章にでてくるもので、
1934年にモスクワでアレクサンドル・ガウクの指揮で初演されました。
この原曲を聴かれたい方は以下のリンク先を参照してください。
http://www.youtube.com/watch?v=W1Ga-mfkJAU
1分30秒すぎあたりからそのメロディがでてきます。

(3)
あんこうチームの全員の誕生日が妙にみたことのある日付なので、
ちょっと気になって検索をかけたら…。
興味のある方は試しに検索をかけてみてください。

(4)
「サンダース大学附属高校」がはじめて登場したとき、
シャーマン戦車の大群が画面いっぱいにあらわれていた。
それをみた知人がいきなり「あれほんとは全部で36台なんだよね。」と一言。
理由はあまりにもくだらないので省略。

(5)
小松未可子さんが最終回に丸山紗希役ほんのちよっとだけ出演した。
これだったら他の方が二役でやってもよかったのにと思ってしまった。
で、ここからはあくまでも個人的な憶測なのですが、
グローリア学園のキャラにアッサムというキャラがいます。
じつはこのキャラは公式サイトで紹介されたキャラで唯一台詞がありません。
しかもよくみると設定が微妙にダージリンのそれと酷似している。

おそらく他の学校と違い同じ戦車に三人が同乗してしまったこともあるだろうけど、
ダージリンとアッサムの設定をひとつにした方がスムーズになるということから、
アッサムが台詞無しで途中から退場してしまったため、
小松さんがやる予定だったアッサムかきえてしまい、
しかたなく最後の最後で二言出演になったのではないかという気がしました。
動かしてみたら予想外なことになったというのはよくあることですが、
もしこれが本当だとしたら、現場はほんとたいへんだとあらためて痛感。

(追加)

と書いていたら、今度出るドラマCDにはそのアッサムさんが登場。
因みに声は明坂聡美さんが演じるとのこと。
まあここまで来ると二役というのはもう無いかもしれません。

でもアンチョビはどうするのでしょう。
吉岡麻耶さんにこのままというわけにもいかないでしょうし。うーん…。

※(2016年追補)
でも後々考えると別に無理でも何でもないんですよね。なんでこんなこと思ったのか今でも謎。

(6)
考えてみたら、みほが自分のチームと一年生チーム、
それに生徒会以外との交流を描いたシーンというのがあまりない。
それでもみほがチームをひとつにしたという印象を受けるのは、
命令するだけでなく自分からも動き結果を出す隊長ということ、
またある程度個人やチームごとの自主性にまかせたということ、
そして11話でみせた一年生を救出にいく姿勢というものが、
そういう一体感をもたせたのだろう。
12話ということで各々の掘り下げや交流などまで描くと、
当然ここまでの完成度は得られなかったことを思うと、
そう「思わせる」という演出がけっこう重要になってくる。
この作品はそういう部分にも最低限気を配っているし、
それが全体のスピード感を落とさなかった要因でもあった思う。

とにかく製作サイドの苦労が見返すにつれ感じられる。
ほんとうにお疲れ様でした。

(7)
「ガルパン」の打ち上げパーティには何百人もの関係者が集まったというが、
生徒会役の福圓美里さんや高橋美佳子さんも出席したが、
唯一、河嶋桃役の植田佳奈さんだけスケジュールの都合で欠席したところ

「桃ちゃんここで外す?」

と盛大にネットでつっこまれたとか。どこまでも愛された作品です。

(8)
一話で華さんが保健室に行く口実に「持病のしゃく(癪)」と言っているが、
この癪というのはwikiによると

「胸や腹のあたりに起こる、激痛の総称である。胆石症、胃痛、虫垂炎(盲腸)、生理痛などから来る腹痛すべてが癪と呼ばれた」とある。
おそらく華さんは胃痛の意味で言ったのかもしれないが、
コレステロールのとりすぎは胆石症になりやすいとのこと。
華さんのご飯の量とかみていると、
ひょっとして将来、本当に華さん「癪」を持病としてもってしまうかも。
ちと心配です。

第一話とかみてても、お昼にご飯山盛り+ラーメン+カロリーの高そうなおかず。

103.jpg

さらに別の日にはかなりこってりしたハンバーグステーキ+ご飯山盛り。
アイスもひとりだけカップだし…。
輪王寺の強飯式に行ってもおかわりしそうな勢いです。
まあつんでるエンジンがでかいといわれればそれまでですが…。


(9)
前にも少し言いましたが、
キャラが当初の予定と少し変わってしまった人がけっこういます。
ダージリンがアッサムを吸収したしたようなキャラになったのは、
喜多村さんの演技がそういう要素をもっていたことも大きかったという気がします。
もちろん動かしたときにこうなった方が無駄がなかったということもありますし、
結果ダージリンの個性とオレンジペコの口数が増えたということで、
この二人の個性がしっかりと確立したことは話の展開上もよかったという気がします。
(ただ最新のドラマCDではアッサムさんがでてきます)

またバレー部の河西さんの短気という設定も、
いつのまにか辛抱強く度胸があるというものに変わっていたのも、
これまた自然な成り行きかもしれません。
このあたりの前者の要素は桃ちゃんが一手に引き受けてしまったせいかもしれません。

あとモブも含めて多くの声優さんがいろいろな役を兼任していましたが、
さきほどの河西さん役の桐村さんの話によると、
八九式のメンバー役だった自分が最終回で
黒森峰のメンバーとして兼任した役の台詞が、
「このお、八九式のくせに!」
という例の台詞だったとか。

とにかく声優さんも全員参加型のアニメだったようです。

(10)
第9話今見返すとけっこうダージリンの会話にいろいろなものを感じます。
カチューシャを「プライドを搾取するのが好き」とけっこう手厳しいことを言ってますが、
そうなると8話のカチューシャとの艦内の会話もけっこうしんどいものを感じます。
負けた自分を呼んでプライドを傷つけるような言葉を投げかけてくることはわかっているが、
受けたものは逃げないという自分の性格もわかってやってるだけに、
かなりあのときのお茶会はダージリンにとって苦々しいものだったのかもしれません。

もともとサンダースやプラウダを下品と言い放っていただけに仲はよくなかったのかもしれません。
10話でもみほのところにケイやカチューシャは激励にくるけど、
横にいたダージリンには挨拶もしなかったですし。
ダージリンもそんなみほを不思議といってるのですから、
戦車道の有力校同士はあまり親交はないのかもしれません。

というかダージリンそのものが「自分以外はみんな下」みたいなところもありますし、
じっさいみほとの試合でその動きを察知するという天才的な読みももっているので、
力押しとかノリ押しみたいな、そういうものが生理的なにダメなのかもしれません。
読みあい閃きあいでバチバチ相手とやりあうのが好き。

案外ダージリンはガルパン版江戸川コナンなのかも。

(11)
学園艦における学校のことですが、かなりの部分学園運営も生徒にまかせているように感じられます。それこそ教師は授業やクラブ活動の顧問等にのみ特化した役割のみ与えられているのかもしれません。なにしろ廃校の件が外から生徒会に直接話が来るくらいですから。

ただそれだけの全権をもってるとなると、バレー部廃止したの会長になっちゃうんですよね。そうなると会長は案外バレー部キャプテンに、「戦車道選択して優勝したらバレー部復活を考えてもいい。」という条件をウラで出していたのかもしれません。だとすれば第二話でキャプテンが
「ここでがんばればバレー部は復活する。」
というのもうなずけます。このあたりはもう他でもすでに触れられているかもしれませんが…。

(12)
それにしてもサンダースもグロリアーナも
試合後までみほのことをまったくわかっていないようだった。
前年の準優勝チームのフラッグ車の車長のことを知らなかったというのだから、
よほど影が薄かったというか存在感が無かったのだろう。

黒森峰のようなひとつのマニュアルの中で歯車となって戦うシステムでは、
みほ本来の「規格外」の実力など出しようもなかったのだろう。
みほが「頼りない」といわれたり、エリカに見下された言われ方をしていたのも、
そんな理由があったからなのかもしれない。

そういうジレンマと決勝でのそれで逃げ出してしまったということは、
本人にとって最初はそれでOKだったかもしれないが、
終わってみれば本来の自分のそれをみつけられたということで、
決勝後会長にお礼を言っていたのもそういうことも含めてのことだったのだろう。

あと残ってるのは、みほとまほにおける、
微妙な西住流に対する考え方のつけあわせだろうか。
そのとき他の流派が絡んでくるのかどうかまではさすがにわかりませんが…。
もし二期があるとしたらとにかくこのあたりか大きな軸となるような気がします。

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(反省)

遅まきながら今になって以下の9人が全員同じ学年だということを知りました。
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ということはバレー部は一人残して全員卒業、しかも三人しか新入部員がいなかったので即廃部になったということか。こりゃ磯辺さん、諦めきれないわなあ。なんであんなにバレー部復興を目指しているかはじめてわかりました。反省してます。
 (あとこれまた余談ですが、バレーボールのバレー[volley]って、弾を一斉に撃つ、という意味もあるのですが、それでバレー部なのかなと最近ふと考えてしまいました。考えすぎだと思いますが…)

 ところでこの話、おそらく新学期の4月から衣替えをする前の5月くらいまでの話だと思うが、そうなると11月くらいに天皇杯みたいな高校から社会人を含む大会みたいなのがあるのでしょうか?ちと気になりました。もっともバレー部は最終回「来年も戦車道やるぞ」といってたのですからはたしてそれもどうなのかなと。

 まあもっとも学園艦が動き回れば季節や気温も変化しまくるので、衣替えという観念などないのかもしれませんし、猫田さんは半そででしたし。そうなると5月云々というのも関係ないかもしれません。それに見落としてましたが沙織さんの携帯に8月の日付もあったようなので…。

(二期)

ほんとうは二期やらなくても…というかんじなのですが。

でもやるとしたらサッカーの天皇杯にあたるような、社会人や大学チームなども含めた全国大会なんかいいかも。で、今回は戦車の最低数が決められていて、それに満たない場合は他から借りなければいらない、しかも一度借りたところからは次からは借りられないというルールがあるため、今まで戦った各学校と毎試合一緒に戦っていくというストーリー。で、決勝は蝶野一等陸尉率いる自衛隊と、大洗+黒森峰による連合チームとの戦いというかんじです。

ただしその二期の前にスピンオフで、先の一年生9人に他の一年生を含めた話+バレー部復活、「一年生たちのパンツァーフォー」などもみてみたいです。もっともそんものつくったら、二期など2016年のオリンピックより後になってしまいそうですが…。

と書いていたら、

「ガールズ&パンツァー」新作OVA&完全新作劇場版の制作が決定!
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2013-04-29
二期ではなく劇場版できましたか。
ただ時期は予想通り。大洗町発足60周年にあたる2014年。
詳細はゆっくりと待ちたいと思います。


(考察)

よく決勝戦の黒森峰のまほの戦略がザルという話を聞く。
ほんとうにそうなのか、
ちょっとこのあたりを考えてみたい。

まず本来のまほの戦い方ですが、
じつはTVでは大洗との決勝でしかその戦い方が描かれていない。
みほのような無手勝流との戦いではふだんのそれが見えてこない部分がある。
まずそれを手掛かりにしてみたい。

ここで重要なのはグロリアーナのダージリンの言葉。

「自分たちはサンダースやプラウダのような下品な戦い方はしない」
そしてみほに対して
「お姉さんとの戦いよりもおもしろかった」

というここの部分。
まず前者のそれに黒森峰が入ってないということは、
ダージリンが嫌うノリや力押しという戦い方をしないということ。
そして後者から意外性がなく手堅い戦い方をするということがみてとれます。

さらにサンダースのケイが
「黒森峰は隊列を組んで正確に攻撃できる訓練は積んでるが、突発的なことに対処できない。」
といっていることもヒントとしてありまする

そして何といってもまほ自身が「それそのもの」と自分のことを言っていた西住流のこと。
「撃てば必中 守りは固く 進む姿は乱れ無し 鉄の掟 鋼の心 それが西住流。」

このことからみてまほのいう西住流が形を重視したものであり
「いかに形を崩さす美しく勝つ」かということが理想であって、
物量で圧勝するとか、
そういう類のものではないことは確かでしょう。

このことから推測すると決勝戦ではおそらく
最初に森をショートカットして18両による待ち伏せ砲撃で一気に形をつける、
そのあともし逃した場合、
足そのものは自分たちが遅いので追う展開となる、
そのとき丘へ向かった場合は包囲戦、
市街へ移動した場合はマウスで足止めし、
背後から挟み撃ちにして包囲するような形で仕留める。

つまり退路を断って完璧な布陣をひいて包囲するという
相手の足を殺してからあらゆる場面で「型」をつくって攻撃するという、
そういう作戦で臨もうとしていた節があります。

じっさいまほのこの作戦は当たり、
あのとき「ありくい」がアクシデントでバックしてこなければ、
まほの作戦勝ちでこの試合は終わり、
この決勝戦は稀に見る一方的な試合、
言い方を変えれば
「完璧な黒森峰の横綱相撲」
になってしまったと思います。

劇場版で文科省の役人が
「偶然勝った」
という発言がここの所を指してたとしたら、
西住母もちょっとひるんだかもしれません。



丘へ陣地をみほが築いたときも会長をして
「よんでいたかもね。」
といっていたことからもおわかりと思います。


この試合、
みほは大洗が黒森峰より勝っている「足」を活かすためには、
まほに追いつかれる、もしくは先手をとられるというのは絶対避けたいわけで、
そのためどんどん先へ先へと動かざるを得なかった。

ただまほはそれを読んでいて包囲はもちろんのこと、
マウスのいる市街地へ送り込むことに一応は成功していたということで、
たしかにみほの機転や奇策で活路を開いたものの、
戦力差はみほが予想したほどは縮まっておらず、
しかもまほの予想の範疇でみほは巧妙に市街地に追い込まれたという、
そういう途中までは展開になってたことを思うと、
形成は五分、もしくはややまほ有利の展開に持ち込みかけていたと、
そういう感じで試合は中盤まで推移していたと思います。

特にマウスが二両撃破した時点で勝利を確信していたかもしれません。

ただまほがなぜマウス側により強力な戦車をもう数量配置しなかったかというと、
やはり最初の18両攻撃で一気に勝負をつけに出てたということ、
そして足が遅いため広い展開で勝負をかけられ市街地等に入らなかった場合、
幅広くこちらも展開しなければならないため戦力を裂けなかった。

そしてそれ以上にそのことによって「型」を崩したくなかった、
もしくは「型」をつくることを阻害さられるような要素を持ち込みたくなかった、
ということが大きかったと思います。

そしてケイがいみじくも「ザッツ戦車道、これは戦争ではない。」、
といったことがここでまほによって実践されていたということでしょう。

もっとも最後の一騎打ちに持ち込まれたのは、まほのボーンヘッドかなあ。

おそらくあの廃墟(かな?)に誘い込もうとしたのは、
みほだけでなくまほも同じ考えだったような気がします。

ただ中があのよう通路が細かく入りくんでいるので、
中に入って見逃さないように自らが先頭で続いてしまったのでしょう。
ここまでは取り返しのつかない問題ではなかったのですが、
このときポルシェをフリーにしていたことが最大のミス。

まほはマウスとエレファントを撃破されたとき思わず

「フラッグ車だけを狙え」

と命令。これが結果ポルシェをフリーにしてしまい、
一対一の状況をつくられるきっかけとなってしまいました。
このとき

「履帯を狙って足をとめておけ」

と一言命令しておけば、
まほの勝利でこの戦いは終わっていたでしょう。

思わぬ事態が次々起きたことによって動揺していたのかもしれませんが、
この一言を言わなかったばかりに結果大きな代償を払ってしまったようです。

結果普段「型」にこだわっていたまほが、
最後の最後でその「型」を自分で崩してしまったことによって、
まほの考える西住流から乖離してしまったのがすべてといったところでしょうか。

ただなあ、まほはみほを溺愛してたからなあ。
単純に最後嬉しくて突っ込んじゃったのかなあ。


まほの戦い方は西住流にのっとった厳しい戦い方かもしれませんが、
厳しさが一歩踏み外すと魅力が無いものになってしまうようで、
ダージリンが暗にほのめかした、
まほの戦い方があまり面白くないというそれが、
この戦いで最後モロにでてしまい。
結果みてる方にも魅力のない戦い方にうつったことは確かなようです。

それが黒森峰の無策と多くの人にはうつったのかもしれません。

当然といえば当然なのでしょう。


あと黒森峰の敗退理由のひとつに、
組み合わせ的なものもあるかもしれない。

知波単、継続、聖グロ、と三試合を行っているが、
知波単はともかく、
その後の二試合は黒森峰をしてもちょっときつかったと思う。

しかも大洗がサンダース、アンツィオ、プラウダと三試合やるよりも、
短い期間でやっているためかなり疲弊したと思われる。

その後決勝までは黒森峰の方が開いたけど、
継続、聖グロ、の連戦は正直かなりこたえたのではなかろうか。

そうなると決勝に短期決戦をしかけた理由も分かってくる。
黒森峰の廃線はいろいろと根が深いのかも。


(西住流)

「撃てば必中 守りは固く 進む姿は乱れ無し 鉄の掟 鋼の心 それが西住流。」

というこの言葉。

まほはこの言葉そのものがあらわす「型」をそのまま実践したのに対し、
みほはその言葉のもつエキスをくみ取っていたという気がします。

つまりみほにとって
「撃てば必中」はそのままとしても、
「守りは固く」は、相手の弾に当たらないようにすること。
「進む姿は乱れ無し」は、 チームワークの良さ。
「鉄の掟」は、諦めないこと諦めたら終わり。
「鋼の心」は、みんなで勝つ。
というかんじに置き換えられていたといっていいのかもしれせん。
(多少最後のあたりは内容が逆かもしれまんが…)

だからまほに「西住流とは違う」と言われた時、
「そうかな?」と思わず言ったのはそういうことからきていたような気がします。

結局「みつけたよ、新しい戦車道。」とまほにいったのが
じつは新しい、だけど「これも西住流」だったのではないのかなと思ったりしています。

上で「これが西住流」と「これも西住流」の戦いといったのはそのためです。
もっともこのあたりは他の部分も含めて、
観たその人その人に委ねられる類のものといえるでしょう。

アニメを考えるってつまるところそういう部分の面白さも大いにあると思います。

以上で〆です。


※(2016/2月補足)

そういえば大洗女子は制服のそれから、
キリスト教関係の学校なんだろうかという話が以前からあった。

グロリアーナはそうだとしても、
大洗はその後もそういうかんじの描写は見受けられなかった。

大洗というと山村暮烏というキリスト教の伝道師が、
晩年大洗で過ごしたというので、
関連があるとするとそれくらいでしょうか。

因みに観光情報センターの近くに
山村暮鳥の詩碑があるそうです。



劇場版の雑感もあります。

http://orch.blog.so-net.ne.jp/2015-11-23

ただボリュームがこのTV版の数倍にも及ぶものになりますので、正直とても読んでて疲れると思いますし、最後まで読めなくて当たり前という代物なので、正直誰にでもお勧めというわけにはいきません。すみません。


(2016/4/17追加)

西住家のある熊本が今たいへんです。

募金ボランティアをされる予定の方は以下のサイトにそれがあります。

http://volunteer-platform.org/emg/jishin20160414/

また支援物資等の送り先や受け入れについては

http://did2memo.net/2016/04/17/jishin-kumamoto-shien-busshi/

をご覧ください。


よろしくお願いします。

KUMAMOTO1.jpg
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阿伊沢萬

ゆきママ様。ほんとうにいい作品でした。それにつきます。nice! ありかせとうこざいました。
by 阿伊沢萬 (2013-04-01 00:42) 

阿伊沢萬

sakuraさま

ほんとうに面白い作品でしたし、今の日本らしいアニメを堪能できたという気がしました。nice! ありがとうございました。
by 阿伊沢萬 (2013-04-02 21:03) 

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