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のだめ徒然草その3 [のだめ徒然草]

千秋が「自分のオーケストラ…」と呟いた今回の「のだめ」。
たしかにいくら一人前指揮者でも
そうそう自分でオーケストラを持つことはできない。

うまくいけば音楽監督とか常任指揮者、さらには首席指揮者などのポストをもらい
そのオーケストラのトップにたつことはできるだろうが
オーケストラの数はだいたい決まっているし
中にはひとりでいくつも持っている指揮者もいるので
なかなかそううまくはいかない。
だが過去の歴史をみると
そういうスタンダードなやり方以外で自分のオーケストラを持った指揮者がいる。

まず今から百年近く前の出来事で
当時コントラバス奏者として最高の評価を得ていたセルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)。
彼はコントラバスだけでは物足りなく次第に指揮もするようになっていったが
1910年についには自分の力で自分のためのオーケストラを創設することとなった。
これには結婚した相手の女性が富豪の令嬢だったことが大きかったようだが
彼はこのオーケストラをロシア革命まで指揮し続け
後にはついにボストン交響楽団の指揮者に着任
このオーケストラをアメリカのBIG3にまでしてしまった。
途中、自らの我流の指揮では駄目ということを悟り
50歳を過ぎてから再度指揮を一から勉強し直したという努力もあってのことだが
これなどはほんとうに千秋にとっては羨ましいとしかいいようがない話だろう。

自分でつくったというとまだ他にもじつはいる。
イギリスのトーマス・ビーチャム(1979-1961)は製薬会社の御曹司だったことから
その財力を駆使してロンドンに二つもオーケストラをつくってしまった。
ロンドン・フィルハーモニー、とロイヤル・フィルハーモニーだ。
ただいかにもわがままなビーチャムらしく
最初はロンドンフィルを1932年に創設したものの数年後途中で放棄
1946年に今度はロイヤルフィルを創設というものだったのだが
どちらも現在ロンドンでイギリスを代表するオケのひとつとして活動しているので
ビーチャムのそれは結果的にイギリスに大きな音楽的財産を遺したということになった。

ところでここまでは自分で創ったという話でしたが
続いては今度は創ってもらったという話。

最初はかの有名な1937年創設のNBC交響楽団。
これはニューヨークフィルを退任すするトスカニーニを惜しんだNBCが
彼のためだけにオーケストラを組織し全米から楽員を選抜して結成したオーケストラ。
(じっさいはそうではなかった部分もあったようだが…)
このオーケストラ創設のおかけでトスカニーニは1954年の引退まで
数多くの演奏会と録音をこのオーケストラと行うこととなり
特にその録音はかなり膨大で現在この偉大な指揮者の中核を成すものとなっています。

また1958年には演奏会を引退したブルーノ・ワルターのために
録音専用オケとして結成されたコロンビア交響楽団というのもありますが
正直こちらは実力的にやや…という部分があり編成も小さく
NBCとはスケール的に違いがありすぎるようです。

その後では
ソビエトでは80年代に世界的名声をもった指揮者ロジェストヴェンスキーの母国での活動を促すため
ソビエト国立文化省交響楽団というものが結成されましたが(じつは既成のオケ焼き直し)
その後国の体制が変りソビエトが消滅したこともあり
紆余曲折後現在はロシア国立シンフォニック・カペレという名前で活動しています。
(因みにソ連崩壊後のロシアにはけっこう自分でつくった云々というオケがいろいろあるようですが
最近はもうついていけなくなったので放置しています。)

また日本ではアマチュアではありますが
宇宿允人氏の音楽のために結成されているフロイデフィルハーモニーや
井上喜惟氏のジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラやジャパン・シンフォニアがあり
それぞれ充実した活動をされているようです。

これらのことを思うと千秋が自分のオーケストラを持つという考えは
たしかになかなかむつかしいこととはいえ
決して例がなかったことではなく
しかも日本でも上記したオケがあることから
まったく絵空事というわけではありません。
このあたりの日本のオケも、もし機会があればぜひお聴きになってみてください。
技術的な面はいろいろあるかもしれませんが
「アンド・ヒズ・オーケストラ」の魅力というものが堪能できるかもしれません。
CDも発売されています。

余談ですが最後に三人がジャズを演奏しているときに、
「ベースがいなくて云々」という会話がでてきます。
たしかにジャズのコンボにはベースは不可欠というところでしょうが、
1930年代後半の短い時期ではありますが絶大な人気を得たコンボである
かのベニー・グッドマントリオにはじつはベース奏者がいません。
これはピアノを担当しているテディ・ウィルソンの左手と
ドラムのジーン・クルーパの右足がベースを入る余地を無くしてしまうほどのプレイをしたためで、
後にこのコンボにライオネル・ハンプトンという超絶技巧のヴァイブラホーンが加わり、
さらにベースが入るスペースを無くしてしまったようです。
このコンボ、残っている録音は古いものばかりですが、
特に名高い1938年のカーネギーホールでのライブを聴かれると
おそらくこのあたりのことをかなり納得されてしまうのではないでしょうか。

といったところで今回は〆です。


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