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ウィーンフィルは本当にこの百年間ダメになり続けているのか [クラシック百物語]

じつは前々からこのことは書こうと思っていた。


なんか少なくとも日本ではそんな雰囲気が長い間続いている。

古くは1930年代後半に書かれた、
野村あらえびす氏の「名曲決定盤」にて、
ウィーンフィルは昔の方がうまかったという意味の、
そんな一文があったことからだった。

あらえびす氏は実際のウィーンフィルを聴いていないので、
おそらくこの「昔」とは、
1920年から30年代初めのまだ常任指揮者がいた時代、
つまりシャルクやクラウスの録音時のそれを指してのそれだと思う。

たがこういう論調はこれではすまなかった。

その後第二次大戦後も、
ウィーンフィルは戦前の方がうまかったという話があった。

それはワルターヤワインガルトナーの時代も含めたものだったが、
それはあらえびす氏がうまくなくなったというその時代も含まれているようだった。

そしてこれはさらに続く。

ステレオ録音の1960年代ごろになると、
ウィーンフィルは戦前やモノラル時代の方がよかったというそれが、
評論家やマニアからもけっこうよく出てきたという。

それは1970年代になっても続いたし、
ショルティやアバドとともに来日したときにも、
やはり同様のそれが聞かれた。

1975年にベームとともに来日したとき、
ようやくそれに歯止めがかかったようだったが、
1980年代に入ると、
またまた「昔はよかった」「ベームと来た時の方がうまかった」という
そういう感じの空気になっていった。

ヘッツェルが事故で急逝したときも、
そのせいかかなり危惧されたものの、
クライバーが「ばらの騎士」で世紀の名演をやったことで、
その空気は一度消えたけど、
今世紀に入って、
やはり「昔はよかった」と、
今度はかつてダメになったといわれた、
1970~1990年代とも比較されても言われるようになった。


これをみていて、
確かに峠の上り下りみたいな部分はあるけど、
とにかくひたすら前の時代に比べダメになったというそれが、
幾年月がひたすら過ぎようと、
少なくとも日本では常につきまとっているように思われた。


似たようなもので
「ニューヨークフィルはトスカニーニ時代が最強」
「コンセルトヘボウの最盛期はメンゲルベルク」
「クリーヴランドはセルの時が頂点」
というものがあるけど、
ウィーンフィルのそれは、
前の時代に比べて「下手になった」「味がなくなった」という、
そういうものが短いスパーンで繰り返し繰り返し続けられ、
(50年代より40年代、40年代より30年代、30年代より20年代という具合)
これが何年何十年と時代が過ぎても続いているため、
ちょっと前の三者とは違っているように感じられた。

なんかそれをみていると、
「ウィーンフィルってこの百年間ひたすらダメになっているのか?」
という疑問が湧いてきた。

しかもその百年間ダメになりつづけているオケが、
未だにベルリンフィルとともに世界最高峰に君臨しているということは、
じゃあ今のオケのレベルっていったい何なんだという疑問が湧いてくる。

日本のオケのこの半世紀の進化はすさまじいものがあり、
海外の一流オケと比較しても遜色ないレベルの演奏を聴かせることも、
今は決して珍しいことではない。


にもかかわらず上であげたような図式があるということは、
かつてのオケは人知を超えたレベルだったということなのか、
それとも今のオケはじつは本当はダメなレベルで、
それに耳が慣れた我々の錯覚なのかと、
正直???状態なのです。


この「ウィーンフィルがひたすらダメになり続けている説」の検証を、
音楽評論家やジャーナリストがやったというのを、
自分はまだ残念ながら目にしていないけど、
この件について一度ぜひ専門家に詳しく論じてほしいです。

おそらく技術的というより音楽的、
もしくは質的な変化がそういう基なのかもしれませんが……。

因みに自分が最後に聴いたウィーンフィルは、
かなり以前のラトル指揮のベートーヴェンだったけど、
それの四半世紀前に聴いたベームのベートーヴェンと比べて、
そんなにオケがダメになったかというと、
じつは全然そういう印象が無い。

指揮者のせいか雰囲気は変わった気はしましたが。

それだけにこれについては本当に?なのです。

じっさいどうなんでしょう。

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「ぬいツーリズム」と「街回遊型コスプレイベント(街コス)が地域活性につながる要素」 [いろいろ]

という二つの発表を聞いた。

最初の巽渓さんによる「ぬいツーリズム」のこと。

この話を聞いていて、
「ぬいツーリズム」がいろんなものの本質とかなり密接に繋がっていて、
話を聞きながらいろいろとノートに書きこんでいたら、
あっという間に見開き二頁にぎっちりになってしまった。

これ、
じつは今沼津でけっこう問題になっている件に密接に絡んでいて、
何故ああもいろいろと厳しい状況になってしまったか、
そしてそれを今後防ぐにはどうすればいいかが、
かなりおかけでハッキリみえてきた。

できれば沼津の関係者に聞いてほしい内容だった。

ただこの「ぬいツーリズム」はそれでけでなく、
聖地巡礼や声優ブームともまた密接に絡んでいるので、
このあたりちょっと迂闊に今は持論を展開できない状況。

今言えることは、
「ぬいツーリズム」は創作行動ともいえるものがあり、
そのため回りから見ている人には、
風景を描いている人に気軽に声をかけ難いそれと、
かなり酷似しているのではないかということ。

これが沼津で周囲とのいろいろな問題を引き起こす、
ひとつのトリガーにもなっているのではないかと。


とにかくとんでもなく示唆にみちたお話でした。
これけっこう根が深いです。


その後志塚昌紀線セスによる、
「街回遊型コスプレイベント(街コス)が地域活性につながる要素〜埼玉県宮代町の事例から〜」
を聞く。

これがまた今の沼津がかつて通ってきた道とあまりにも似ていて、
こちらもまた沼津の関係者に聞いてもらいたい内容でした。

ただこういう話を聞いていると、
以前も言いましだか、
初めて聖地になることで困惑している関係者の方に、
他の「聖地」での比較的普遍的なエピソードや対応等を、
気軽に調べられるか尋ねられる組織やサイトがやはりほしい。


トラブルの中には、
以前他地域でそれと同じようなものに対応した例というのもあるので、
無駄な気苦労や心配事を抱え込んだり悩まないためにも、
こういうしっかりとしたシステムをぜひ早期につくってほしい。


あとこれはそのときに
コンテンツツーリズム学会理事の菊地さんからでた話とも関係しますが、
聖地等はなかなか深化せず一過性になるケースが多く、
ここにどう対処対応するかが大きな今後の問題点のひとつになるのではと、
このときもまた話題になった。

自分もこれはどうしようもない事とは思っているが、
規模の縮小や内容の変質、
さらに今回の発表でも指摘されていた、
行政、住民、商業の垣根を超えた繋がりというだけでなく、
別の聖地との連帯連携、
それをさらにひとつのパッケージとして県単位の行政支援、
さらに他ジャンル聖地との邂逅や、
それら聖地との商業的等の部分での繋がりなどを押しす進めれば、
大きなひとつの共栄圏みたいなものが可能なような気がする。

おそらく今それをかなり意識しているのは、
京都と埼玉のような気がするけど、
それが全国的にもっと進化していけば、
一過性の問題も多少は軽減できるかも。


また長い年月地道に聖地をやっているところは、
それを日常として育ち、
なんの偏見もなく受け入れてくれる世代が出てくる可能性がある。

そうなれば、
さらにその連携もスムーズになるかもしれない。

などと思ったりもしました。


今回もいろいろと勉強になりました。

ただもったいないのは、
こういう内容こそ、
今、聖地で賑わってる現地関係者の方に、
ぜひ直接聞いて質疑応答とかしてほしかったです。

そこだけは残念。

それくらいこの日のそれはかなりシンプルかつ深いテーマと内容でした。




しかし選択肢が潤沢な土地は聖地になり辛いという話があったけど、
横浜とか江ノ島、
それに鴨川とかみてるとあまりにも頷けてしまいました。

a03.jpg


※発表内容にほとんどふれていないのは、いろいろとした理由のためです。ご了承ください。

しかし今回のこの内容。もう一度どこかで再度やってほしい。そして聖地に関係している人みんなでいろいろと考える場をそのとき質疑応答という形で設けてほしい。

これこそ一過性ではあまりにももったいない。誰か企画してくれないだろうか。
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