宮崎駿監督「公式引退の辞」 [スタジオ・ジブリ]
公式引退の辞
宮崎 駿
ぼくは、あと10年は仕事をしたいと考えています。自宅と仕事場を自分で運転して往復できる間は、仕事をつづけたいのです。その目安を一応“あと10年”としました。
もっと短くなるかもしれませんが、それは寿命が決めることなので、あくまでも目安の10年です。
ぼくは長編アニメーションを作りたいと願い、作って来た人間ですが、作品と作品の間がずんずん開いていくのをどうすることもできませんでした。要するにノロマになっていくばかりでした。
“風立ちぬ”は前作から5年かかっています。次は6年か、7年か……それではスタジオがもちませんし、ぼくの70代は、というより持ち時間は使い果されてしまいます。
長編アニメーションではなくとも、やってみたいことや試したいことがいろいろあります。やらなければと思っていること――例えばジブリ美術館の展示――も課題は山ほどあります。
これ等は、ほとんどがやってもやらなくてもスタジオに迷惑のかかることではないのです。ただ家族には今までと同じような迷惑をかけることにはなりますが。
それで、スタジオジブリのプログラムから、ぼくをはずしてもらうことにしました。
ぼくは自由です。といって、日常の生活は少しも変わらず、毎日同じ道をかようでしょう。土曜日を休めるようになるのが夢ですが、そうなるかどうかは、まぁ、やってみないと判りません。
ありがとうございました。
以上
2013,9,4
http://www.asahi.com/culture/update/0906/TKY201309060187.html?ref=com_top6_2nd
というものでした。
この様子をビデオで録画したものを見ましたが、
とにかく取材陣が多く、
監督が登場したときのカメラのシャッター音が凄かった。
そして質問者には、韓国、台湾、ロシア、イタリアの方々もいた。
だが何と言っても印象に残ったのは、
宮崎監督がなんかサバサバしたような、
それでいてまだまだ他にやりたいことがいっぱいあるという、
そういう表情をしていたことでしょうか。
まあ「やめる」=「はじめる」という気持ちが、
そういうところにあらわれていたのかもしれません。
引退の大きな理由としてはひとつは年齢的な問題。
つまり上にもあるように「ポニョ」から「風立ちぬ」まで5年かかった。
もし次をつくるとしたらそれ以上かかるかもしれない。
そうなると自分は80歳になっている。
…というあたりをかなり考えられていたようです。
おそらくその年齢で自分が作品にそこまでかかわっていられるのかという、
そのビジョンが想像がつかなかったし、自信もなかったということなのでしょう。
それからもうひとつとして自分の時代が終わったと感じたということ。
そして最後にいろいろとやりたいことがあるということでした。
そのなかのひとつがジブリ美術館の展示物のことで、
ずいぶんそれらの鮮度が落ちているということを気にされていて、
それらは自分自身がペンを入れなければならないものだとのこと。
かつてそれらに手を入れたらその部分だけ明るくなり、
子供たちが集まってくるのをみたとき、
これらのことを手掛けなければと感じたとのことでした。
またジブリの若手が作品を制作をした場合、
それらにはいかなる形でも手を出さないということと、
今後のジブリは今いるスタッフの中から、
これがやりたい、あれがやりたいといってこなけれはダメ、
ようするにジブリの将来は今やスタッフの方にあるということを、
かなり強い口調で明言されていました。
尚、ジブリスタッフには今回の件を8月5日に知らせたとのことです。
そして監督自身が児童文学の多くの作品に影響を受けたこともあり、
「子供たちにこの世は生きるに値するんだ」
ということを伝えることを根幹に抱いて、
すべての作品をつくりつづけたということも話されていました。
これを聞いたとき往年のドイツの名指揮者カール・シューリヒトが、
「人生は生きるだけのことはあるものだよ。」
といった言葉を思い出してしまいました。
そういえばシューリヒトは練習がたいへん細かく厳しく、
自らを「ロマンテイスト」と発言していたことも思い出てしまい、
シューリヒトと宮崎監督とがなんとなく重なって感じてしまいました。
あと他にも、
「もっとも思い出のある作品は?」と質問されたとき、
ちょっとうなって考えられた後、
「自分の中でトゲのように残っている作品」
として
「ハウルの動く城」をあげ、
「スタートが間違っていた」
と
意味深な発言をされていました。
このあたりまでみていたら途中で放送が終わってしまいましたが、
とにかく今後は長編アニメにとらわれない
「自由」な活動をしていきたいということでした。
ただその結果がジブリ美術館の
「自分が展示品になるかもしれない」
ということも笑いながら発言されていました。
その「ジブリ」も監督によると、
こんなに長いことやるとは思ってもみなかったということを思うと、
ある意味、未練もあるけど一応満足、
といったところなのかもしれません。
とにかく宮崎駿監督、ひとまずお疲れさまでした。
宮崎 駿
ぼくは、あと10年は仕事をしたいと考えています。自宅と仕事場を自分で運転して往復できる間は、仕事をつづけたいのです。その目安を一応“あと10年”としました。
もっと短くなるかもしれませんが、それは寿命が決めることなので、あくまでも目安の10年です。
ぼくは長編アニメーションを作りたいと願い、作って来た人間ですが、作品と作品の間がずんずん開いていくのをどうすることもできませんでした。要するにノロマになっていくばかりでした。
“風立ちぬ”は前作から5年かかっています。次は6年か、7年か……それではスタジオがもちませんし、ぼくの70代は、というより持ち時間は使い果されてしまいます。
長編アニメーションではなくとも、やってみたいことや試したいことがいろいろあります。やらなければと思っていること――例えばジブリ美術館の展示――も課題は山ほどあります。
これ等は、ほとんどがやってもやらなくてもスタジオに迷惑のかかることではないのです。ただ家族には今までと同じような迷惑をかけることにはなりますが。
それで、スタジオジブリのプログラムから、ぼくをはずしてもらうことにしました。
ぼくは自由です。といって、日常の生活は少しも変わらず、毎日同じ道をかようでしょう。土曜日を休めるようになるのが夢ですが、そうなるかどうかは、まぁ、やってみないと判りません。
ありがとうございました。
以上
2013,9,4
http://www.asahi.com/culture/update/0906/TKY201309060187.html?ref=com_top6_2nd
というものでした。
この様子をビデオで録画したものを見ましたが、
とにかく取材陣が多く、
監督が登場したときのカメラのシャッター音が凄かった。
そして質問者には、韓国、台湾、ロシア、イタリアの方々もいた。
だが何と言っても印象に残ったのは、
宮崎監督がなんかサバサバしたような、
それでいてまだまだ他にやりたいことがいっぱいあるという、
そういう表情をしていたことでしょうか。
まあ「やめる」=「はじめる」という気持ちが、
そういうところにあらわれていたのかもしれません。
引退の大きな理由としてはひとつは年齢的な問題。
つまり上にもあるように「ポニョ」から「風立ちぬ」まで5年かかった。
もし次をつくるとしたらそれ以上かかるかもしれない。
そうなると自分は80歳になっている。
…というあたりをかなり考えられていたようです。
おそらくその年齢で自分が作品にそこまでかかわっていられるのかという、
そのビジョンが想像がつかなかったし、自信もなかったということなのでしょう。
それからもうひとつとして自分の時代が終わったと感じたということ。
そして最後にいろいろとやりたいことがあるということでした。
そのなかのひとつがジブリ美術館の展示物のことで、
ずいぶんそれらの鮮度が落ちているということを気にされていて、
それらは自分自身がペンを入れなければならないものだとのこと。
かつてそれらに手を入れたらその部分だけ明るくなり、
子供たちが集まってくるのをみたとき、
これらのことを手掛けなければと感じたとのことでした。
またジブリの若手が作品を制作をした場合、
それらにはいかなる形でも手を出さないということと、
今後のジブリは今いるスタッフの中から、
これがやりたい、あれがやりたいといってこなけれはダメ、
ようするにジブリの将来は今やスタッフの方にあるということを、
かなり強い口調で明言されていました。
尚、ジブリスタッフには今回の件を8月5日に知らせたとのことです。
そして監督自身が児童文学の多くの作品に影響を受けたこともあり、
「子供たちにこの世は生きるに値するんだ」
ということを伝えることを根幹に抱いて、
すべての作品をつくりつづけたということも話されていました。
これを聞いたとき往年のドイツの名指揮者カール・シューリヒトが、
「人生は生きるだけのことはあるものだよ。」
といった言葉を思い出してしまいました。
そういえばシューリヒトは練習がたいへん細かく厳しく、
自らを「ロマンテイスト」と発言していたことも思い出てしまい、
シューリヒトと宮崎監督とがなんとなく重なって感じてしまいました。
あと他にも、
「もっとも思い出のある作品は?」と質問されたとき、
ちょっとうなって考えられた後、
「自分の中でトゲのように残っている作品」
として
「ハウルの動く城」をあげ、
「スタートが間違っていた」
と
意味深な発言をされていました。
このあたりまでみていたら途中で放送が終わってしまいましたが、
とにかく今後は長編アニメにとらわれない
「自由」な活動をしていきたいということでした。
ただその結果がジブリ美術館の
「自分が展示品になるかもしれない」
ということも笑いながら発言されていました。
その「ジブリ」も監督によると、
こんなに長いことやるとは思ってもみなかったということを思うと、
ある意味、未練もあるけど一応満足、
といったところなのかもしれません。
とにかく宮崎駿監督、ひとまずお疲れさまでした。
さびしいですがこれもしかたないことなのでしょうね。ゆきママ様、いつもnice! ありがとうございます。
by 阿伊沢萬 (2013-09-07 21:45)