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ファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団を聴く。(9/6) [演奏会いろいろ]

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2024年9月14日(土)
NHKホール 18:00開演 

曲目:
ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調(初稿)


何度もブルックナーの8番を演奏しているN響だけど初稿による演奏は初めて。

一方指揮者のルイージは2015年にフィルハーモニア・チューリッヒでブルックナーの8番を録音したとき、すでに初稿で録音しているようにこの曲は初稿と決めているようだ。

そのせいなのかとにかく指揮に迷いがない。

それはあたかもこの曲は生まれてから初稿しか聴いたことないというくらい、とにかくこの曲をこの稿で演奏することは当たり前、ひょっとして二稿の存在を知らないのではと思ってしまうくらい手慣れている。

そしてその音楽は先週聴いた高関さんがまるで儀式のような荘厳な演奏だったのに対し、祭祀のような輝かしさと劇的な語り口でじつに雄弁に歌われていく。

高関さんの特別感に対し、それは日常感というか、この曲は昔からこの初稿で演奏されてましたという感じで、聴いていて「これで当たり前」感がとにかく強い。

そのため何より一番に感じたのは、とにかくとても聴きやすかったということ。

これは自分が先週高関さんの演奏を聴いていたので、ある程度耳が慣れていたということもあるかもしれないけど、二稿に馴染んでいた人にもけっこう驚きはあっても、それほど強い違和感はなかったのではないかという気がした。

ただそれ以上に前述したように輝かしく劇的、しかも語り口も淀みなく手慣れていて、けっこう山あり谷ありで楽しめたような気がする。

ブルックナーは稿が最初のものになればなるほどノリと勢いが目立ち、即興演奏の大家といわれた演奏家ブルックナーの色合いが強く、逆に稿が後になればなるほど作曲家ブルックナーとしての冷静さが強くなってくるというのが自分の考えなのだけど、ルイージのそれはまさにそれを実践したかのようで、そのあたりも自分と相性が良かった。

終演後の拍手や歓声も、最後が高関さんの時同様見事に決まったせいかかなり盛大だった。

ただここでも高関さんの時同様、拍手が間髪入れず引きずられるように一部で起きた。この初稿の終わり方は、極めて拍手を誘発しやすい終わり方なのかもしれないけど、今回はルイージが誰にもはっきり見えるように構えを解かない状態で静止していたことを思うと、自分良ければすべて良し的なこういう拍手は、指揮者やオケに対してあまりにもリスペクトを欠いた行為という気がした。なんとも残念。

今回の演奏時間は楽章間のインターバルを入れ全体で約84分。
高関さんより5分ほど早い。

因みに前述したチューリヒ盤。こちらは93分もかかっている。実際N響のパンフもこれに倣って演奏時間が93分となっていた。

つまり9年前の録音時より10分近く早くなっているのだ。

録音では残響豊かなホールでそれを活かした落ち着いた演奏となっていて、今回のN響のそれとは印象がやや異なる。CDでは曲の魅力を伝えることにに重きを置いた曲に語らせる解説的なものだったものが、今回は一転自分の思いの丈を優先した「攻め」の姿勢に転じたといえるのかも。

また今回使用版がノヴァークとも何ともクレジットされてない。
前述したチューリヒ盤はノヴァーク版とのことなので、ふつうならそのまま記せばいいところだけど、ひょっとしてホークショー版あたりと使用版の選択に悩んでいたのかも。

ちょっとこのあたりが気になりました。
因みに自分は聴いただけでこの二つを聴き分ける能力も知識もありません。

それにしても8番の初稿を一か月に三度も在京のプロオケが演奏するなんて、かつてあっただろうか。

素晴らしい時代になったものです。

しかし繰り返しますがこの曲のこの稿をこんなに聴きやすくした演奏はそうそうないと思います。
今後この稿に対する考えに一石を投じるような演奏になったかもしれません。



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