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マゼールのバッハ [クラシック百銘盤]

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マゼールは1960年代半ばにかなり集中してバロック音楽を録音している。

1964年にまずヘンデルの「水上の音楽」と「王宮の花火の音楽」。
1965年の9月にバッハの「ロ短調ミサ」、
その翌10月に「ブランデンブルク協奏曲」、
さらにその翌11月に「管弦楽組曲」、
1966年に「復活祭オラトリオ」を録音している。

演奏はすべてベルリン放送交響楽団(現ベルリン・ドイツ交響楽団)。

マゼールはフリッチャイの死後空席となっていたこのオケの首席指揮者に1964年から就任していることから、その直後からヘンデルとバッハに取り組んでいた事になる。

当時このオケは1962年に29歳で入団した豊田耕児氏がコンサートマスターに就任し、さらには1965年から25歳のゲルハルト・ヘッツェルが入団ということで、かなり若い力が台頭したオケという趣があった。

またバッハの三作品のソロを担当したほとんどが三十代前後で、ロ短調ミサの独唱者でもヘフリガー以外、やはり同世代の人たちが揃っている。

そのせいかこれらの演奏でマゼールはじつに他に気兼ねすることなく、思う存分自らの音楽を展開している。

特に特徴的なのは弦楽器の響きと表情。

節度とデフォルメが交錯しながらも、繊細かつ清澄な響きとリズムの良さが全編に感じられるだけでなく、それらがどの曲でも主導権を握っているのが面白い。

しかしこれほど弦が全面的に、しかも厚ぼったさや鈍さと無縁の響きをモダンオケから引き出したバロック音楽というのを、自分はあまり聴いたことがない。

なので、濃厚な表情をときおりみせながらも、とても爽やかな印象が強く残るのはそのためなのだろう。

因みにブランデンブルクの2番ではこれまた当時三十代のモーリス・アンドレが担当しているが、彼は同年イ・ムジチと、そして翌年にはシューリヒトとこの曲のソロをとり録音しているので、このあたりの聴き比べもまたなかなか面白いかも。


この当時、何故マゼールにこれほどバッハを録音させたのがちょっと不思議だったが、いろいろ調べていてなんとなくその理由の一端が分かったような気がしました。

当時これを録音したフィリップスはドイツ・グラモフォンと業務提携していたことで、マゼールの指揮がこのレーベルで実現したのだろう。

またバッハについてですが、1955年にグールドによる「ゴルトベルク変奏曲」、1958年にリヒターの「マタイ受難曲」やそれに続くバッハの名曲の数々、そしてバッハではないがイ・ムジチが1955年と1959年に録音した「四季」が、バロック音楽、そしてバッハを広め、そして「商い」になることを証明したことが大きく、フィリップスもその流れに乗ったとみるべきなのだろう。

じっさい1965年はマゼールの三作品だけでなく、イ・ムジチのブランデンブルク、ジャンドロンの無伴奏チェロ組曲、そしてヨッフムとコンセルトヘボウによる「マタイ受難曲」が録音されているし、翌年以降もマゼールの「復活祭オラトリオ」、ヨッフムの「ヨハネ受難曲」、シェリングとヴァルヒャによるヴァイオリン・ソナタ、アーヨの無伴奏ソナタとパルティータ、ヨッフムの「クリスマス・オラトリオ」等々が録音されていった。


このマゼールのバッハ。

今はほぼまったくといっていいほど省みられていない。

ただハイフェッツのバッハがシゲティのそれと聴き比べてみると

「天才はかならずしも求道者ではない」

という印象が強く残ると同じように、これらのバッハもたしかに「らしく」はないのかもしれないけど、マゼールという天才にしかできない、というかその語法を認めれば素晴らしく聴き応えがあり、そして聴いてもまるで疲れを感じさせない、じつに見事なバッハと言える。

あとマゼールのバッハ。ロ短調、ブランデンブルク、管弦楽組曲と、後に行けば行くほど、音楽がオケともども、よりこなれているのが面白い。

以上で〆

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