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「アニメの社会学―アニメファンとアニメ制作者たちの文化産業論」を読んでのどうでもいい雑感。 [アニメ]

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最初に言いますが、これはただそれを読んでいて思ったことをつらつらと書きなぐった類のものなので、この本の内容を端的に表現した、書評とかそういう類のものではありません。

というか、書評をするためには、ここで編者や著者があげた参考書物を一読していなければはじまらず、自分はそのすべてが未読てあるため、そんなことがそもそもできるはずがないので、当然このようなつらつらものになるといった次第です。

さて、社会学。

『社会現象の実態や、現象の起こる原因に関するメカニズム(因果関係)を統計・データなどを用いて分析することで解明する学問である。その研究対象は、行為、行動、相互作用といった微視的レベルのものから、家族、コミュニティなどの集団、組織、さらには、社会構造やその変動(社会変動)など巨視的レベルに及ぶものまでさまざまである。思想史的に言えば、「同時代(史)を把握する認識・概念(コンセプト)」を作り出そうとする学問である』

とwikiに書いてある。

なので当然これに則した内容なのだろうけど、上の一文で社会学がどういうものかハッキリと自分がイメージできてるわけではない。

ただアニメというものに対する送り手と受け手、そしてその間を取り持つシステム全般に関わるものをいくつかに細分化し、それを二十人近くの方々か、それを論じていくという趣になっていることだけは分かった。

自分はこのうち全体の最初の1/4にあたるアニメとそのファンに対する部分を読んだ。

自分がかつて仕事上、この送り手と受け手の間に位置する部分に立ち位置を置いていたこともあったせいか、このファンについてのそれはとにかく興味深かった。

そこには当時自分が経験やそこからくる感覚的なものが、いろいろとつぶさに分析されていて、ああなるほどと思って唸らされた部分もあれば?と思う部分もありと、とにかくいろいろな意味でかなり立体的にこのあたりが見て取れた。

そんな中に「会話分析(Conversation Analysis)」通称CAというものがでてくる。

このあたりをやってる人には日常的なものかもしれないが、自分のように初めて見た人間にはかなりの驚きだった。

ちょっと例えとしてはあれかもしれないけど、楽譜が文字に置き換わった後期ロマン派のスコアみたいなものと言っていいのかもしれない。しかもそこにはかなり細かい表情や緩急も符号化されていて、まるでかつてのメンゲルベルクがそのスコアにビッシリと指示を書き込んだようなそれになっている。

さすがに目の動きや顔の紅潮みたいなものまでは、自分のみた例文では分からないけど、これだけでも、単純な文字の表記などよりははるかに状況が掌握しやすい。

これなどはその一例だけど、とにかくこういうものも駆使しながら、いろいろとじつに吟味し精査されていてなかなか読み応えがありました。


さてここからは、さらに本文内容との関係が薄くなります。

自分はアニメにせよ音楽にせよ、それについて語る時は、客観的事実はともかく、原則として、何かを語る行為は、結局自分自身を語ることに他ならないと思っている。

つまりいかに多くの資料を読もうと、それを選択し解釈し、そして判断するのは自分自身の過去の経験値や知識、そして性格等によってもたらされた価値観がすべてだと思っている。

どこまでいっても最後は自分語りということだ。

そのため、ここで語られている事もまた、ほとんど各々の自分語りに他ならないのですが、研究者がそれを論ずるレベルならともかく、自分などは自分と違う考えがそこに出てきた時、そこの差違というか、重なる事ができなかったことにより生じた影の部分に自分の姿がその影として浮かび上がるような、つまり自分の考えがより明確にみてとれる面白さというものにとても注目してしまう。

この本ではそういう部分が、おそらく書かれている人と自分の住んでいる世界の違いというものが大きいのだろうけど、それがあちこちに散見されていてとても刺激を与えられたし、今まで知らなかった考え方に触れる愉しさのようなものがとにかく感じられた。

またかつて数学者でもあった往年の名指揮者アンセルメが、音楽を語るのに数学は便利という言葉が何故かこの本を読んでいて想起させられたものでした。

あともうひとつ。

アニメを語る時、声優を蔑ろにして語ることは、オペラを語る時に、歌手について語る事を蔑ろにすることと同じくらいあり得ない事と自分は確信している。

この本において、水樹奈々さんとファンの事がとりあげられているが、それは声優というものに関してというのとはまた違うものだった。

ふつうならそれだけでもこの本に対し厳しい視線を向けてしまうところだが、これだけいろいろと深く精査していく姿勢を貫いた場合、声優に対してそれをやったら、おそらくこの本は、少なくとももう1.5倍は増量しないといけなくなってしまうし、さすがにそれはちょっと厳しいという気がした。

自分は声優を「能楽」に例えると、「狂言方」にあたると思っている。

能楽には「シテ」「ワキ」「囃子」そして「狂言」という四つの能楽師により成り立っている。

この中で狂言のみが、能の舞台だけでなく、独立した「本狂言」という公演でも行うことができるが、そのためか、「能」をあつかう書物や入門書では、狂言は簡単に扱うか、別扱いしているものもある。

つまり能楽にとってなくてはならない存在であるのと同時に、それそのものがひとつのジャンルとしてもかなり大きなものとして自立してしまった存在にもなってしまったため、そのような事がどうやら起きているらしい。

そのため声優もアニメ全般で扱うには、その質的変化もを年々大きくなる傾向が強くなり、結果巨大かつ自立した存在になりすぎたため、こういう精査を要する書物には、中に含め論じるのに手にあまるようになってしまっていることが、この本を読んでいてこれまた感じられてしまった。

はたして声優だけでこのレベルの書物を編纂執筆する方とか今後あらわれるのだろうか。

それを思うと、ここで扱われている多くの事柄に対し、ある種の羨望の念ももった次第。

と、最後はそんなことを思って以上で〆。

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