SSブログ

アルトゥーロ・トスカニーニ指揮フィラデルフィア管弦楽団 [クラシック百銘盤]

トスカニーニが1941年の11月から翌年2月にかけてフィラデルフィア管弦楽団に客演し、その時演奏した曲目の多くがセッション録音されました。

トスカニーニが何故この時期フィラデルフィアに客演したかというと、トスカニーニとNBC上層部にオーケストラ団員にまつわるいくつかの事実が発覚、それを知ったトスカニーニが激怒し1941年秋からのNBCとの契約を拒否し楽団から去ってしまったことがそもそもの発端とか。

このためトスカニーニはその機会にNBC以外のオケに客演することになるのですが、彼にとって最大のハイライトとなったのがフィラデルフィアへの客演となりました。

当時このフィラデルフィアのトップに立っていたのはユージン・オーマンディで、フィラデルフィアはボストン響と並んで名実ともに全米最高の楽団といわれていました。

オーマンディは1936年からこのオケのトップにいましたが、1940年のシーズン迄は前任者ストコフスキーとの共同だっため、彼自身が単独でこのオケのトップとなったのは、この1941年のシーズンからでした。

オーマンディはトスカニーニを生涯深く尊敬していたこともあり、その最初のシーズンにこの報せはオーマンディにとって願ったり叶ったりだったかもしれません。

トスカニーニは11月中旬にまず、

・シューベルト:交響曲第9番ハ長調 D.944『グレイト』
・ドビュッシー:『イベリア』
・レスピーギ:交響詩『ローマの祭り』

を演奏し、その直後にこれらを録音。


翌年1月と2月にはニューヨークとワシントンで三回ずつ指揮台に立ち
1月に

・ハイドン:交響曲第99番変ホ長調 Hob.I:99
・バッハ(レスピーギ編) :パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582
・メンデルスゾーン:『真夏の夜の夢』より7曲[1942年1月11,12日]
・R.シュトラウス:交響詩『死と変容』 Op.24

2月に
・チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 Op.74『悲愴』
・ドビュッシー:交響詩『海』

を演奏し、これらも1月と2月にそれぞれ録音がされました。


ですがこれらの音盤の制作過程で事故が起き、不純物が制作時に混ざったことや、戦時中ということで、素材が良質のものではなかった等の理由により、音盤はノイズの激しいものとして仕上がってしまったようです。

トスカニーニはこれを聴き一部は破棄を命じたもの、残りは許可を出したり、再録音をするということでいったんは落ち着きました。

ところが1942年から 1944年にかけて全米音楽家ユニオンによるレコーディング禁止令のため再録音が出来ず、そうこうしているうちにフィラデルフィアがRCAからコロンビアに移籍したことから、RCAはこれらをすべて廃盤扱いにし、すべてNBCと再録音することに決定ということになったようです。

このときトスカニーニはそれを聞いてかなり激怒したようですが、じつはそれくらいトスカニーニはこの録音を高く評価していたようです。

結局この録音はトスカニーニの生前ついに日の目をみませんでしたが、1962年のトスカニーニの没後5年時に、この時の録音を何とか使えないかと当時のスタッフがシューベルトのグレイトのテープを修復したものの、原盤の状態がかなり劣悪で、最初の二つの楽章だけで、修復に750時間かかるという大苦戦を強いられたとか。

最終的に残り二つの楽章を含めた四つの楽章を復刻、翌年にはこれがLPになり、それは日本でも発売されました。

その後さらに7曲が修復され1977年にLPで発売されました。

さらにその後CDの時代になり1990年の晩秋に四枚組の紙製のボックス入りでこれら全8曲が発売されました。

a.jpg

自分はシューベルトのみかつて1970年代にFMで聴いたことはあるものの、それ以外はこの時初めて聴いたのですが、正直その音質の悪さ、特に盛大なノイズのそれにはかなり驚いてしまいました。また回転ムラによる音のふらつきも曲によっては散見され、正直いくらテープ録音以前とはいえ、これはいかがなものかという感じがしたものでした。

ですが、それでも演奏はかなりのものがあり捨てがたい魅力があり、手放すことはさすがにできませんでした。

ところが2006年。RCAがソニーに権利が移った事で、トスカニーニのこのセッションを再度最新の技術で復刻、さらにワルターやセルでも使用され音質向上に成果を上げたDSDも使用し、CD3枚に収めで発売されました。

71l-i+zRwxL._AC_SL1167_.jpg

トスカニーニ没後50年に合わせてのそれということですが、これが素晴らしかった。

確かにあいかわらずノイズや原盤の傷、また以前はノイズでマスクされていた原盤の切れ目の繋ぎなどがハッキリ聴きとれるようになったという痛し痒しの部分はあるものの、とにかく1990年のCDよりはるかにノイズが後退、音の立ち上がりや質感の向上、そして緯線より管もクリアに前面に出るようになりました。

最初はその分弦が引っ込んだように聴こえたものの、聴いているうちに前の録音同様の厚みも艶も確保された音質に仕上がっていることが確認され、ようやく年代相応にほぼ近い音質にまで改善され、おかげで繰り返し聴いてもまったく苦にならず、このセッションを愉しく聴くことができるようになりました。

もしトスカニーニが生前このレベルの音を耳にしていたら随喜の涙を流したのではないかというくらい、とにかくようやくまともな音になってくれた。


ところでこの演奏。

聴いていて、なにかベーム指揮のウィーンフィルのセッション録音とどこか重なるような感じがした。


ベームというと初期はトレスデン、その後ウィーンフィルと録音したものの、ウィーン国立歌劇場の地位を去った頃からドイツのグラモフォンに移籍し、主にベルリンフィルと録音をするようになった。

この時期のベームを色気や柔軟性に乏しいという意見が多く、そのためウィーンとの共演は互いにかけている部分を補った演奏と、高く評価された。

このトスカニーニにとフィラデルフィアにも自分はどこかそれを強く感じる

確かにNBCのようなアタックの強さや、ティバニーの強靭な響きは感じられないものの、NBCの時の柔軟さや色彩感の不足がここでは払拭され、トスカニーニのNBCでは聴くことのできなかった、より自然な流動感、強弱のデリケートなコントロール、そして決して過度に刺激的にならない陰影の妙など、隠れた、もしくは彼本来の魅力のそれが表出されたように聴こえるように感じられた。

そしてひょっとして、もし戦後彼がウィーンフィルとこれらの曲を録音したらこんな感じに仕上がったのではないかとすら感じられたものでした。


ところで自分は最近このトスカニーニのフィラデルフィアセッションを録音された順に聴くようにしているが、それを聴いているとかつてセルの後を継いだマゼールが、クリーヴランドを指揮してその最初のシーズンの終盤に録音したプロコフィエフを思い出した。

それは最高の状態にある最高のヴィルトゥオーソオケを指揮した喜びといっていいのだろうか。無駄な練習に時間を割くことなく、自らの思う理想的な音楽を練習する以前からすでに奏でる事のできる団体と対峙することで、自分の音楽をより強くオケに投影できる満足感というのだろうか。

とにかくそういうものが、最初のシューベルトのグレイトからもすでにそれが溢れんばかりに伝わってくる。トスカニーニがこの録音を廃盤にされた怒りと嘆きがあらためて感じられるほど、とにかくトスカニーニの気持ちのノリが素晴らしい。

その軽やかな足取りと弾力性のあるリズム感、そして隅々まで瑞々しく歌いつくされたそれは、天性のメロディーメーカー、シューベルトの二十代の若々しい息吹すら感じさせるもので、これは間違いなく同曲屈指の超名演といっていいと思う。

(ただオケの方も決して通常運転でトスカニーニに対応できたというわけではなく、全団員が今迄にないほどかなり強い緊張感をもち、個人個人のレベルでもいつも以上の練習をした上でこのセッションにのぞんだようです)

この雰囲気は翌年のセッションでももちろん健在だけど、トスカニーニとフィラデルフィアが互いに手の内がつかめてきたのか、41年の11月のセッションの時のような他流試合的な緊張感よりも、共同作業的な雰囲気が若干強くなったように感じられる。

特に2月の「悲愴」はストコフスキーはもちろん、オーマンディもすでにフィラデルフィアと録音しているので。トスカニーニもフィラデルフィアの語法と伝統というものを尊重しているようなものが感じられる。ただそれは妥協とはまた違うものかと。


この時期がすぎると戦争の激化等の状況の変化もありトスカニーニは再びNBCに戻り指揮をするようになる。
(因みにあの有名なNBCとの「レニングラード」アメリカ初演はこのフィラデルフィアの「悲愴」の五か月後)

そしてトスカニーニはNBCと1954年までその関係を結び続けることになる。


もしというのはあれだけど、もしトスカニーニがNBCに戻らず、またフィラデルフィアもコロンビアに移籍しなかったら、トスカニーニとフィラデルフィアははたしてどうなっていただろう。

さらに十年以上その関係が続き、NBCとの録音されたその多くがフィラデルフィアと録音されたかもしれないし、その中にはベートーヴェンやブラームスの全集も含まれていたかもしれないし、そうなっていたら、トスカニーニのイメージは少なからず今とは違っていたかもしれない。

とにかくそんなことをふとこの一連の録音を聴いて思ったりしました。

トスカニーニとフィラデルフィア。

決して録音は多くありませんが、いろいろと考えさせられる珠玉のセッションといえると思います。


◎録音内容

① シューベルト:交響曲第9番ハ長調 D.944『グレイト』[1941年11月16日]
② ドビュッシー:『イベリア』[1941年11月18日]
③ レスピーギ:交響詩『ローマの祭り』[1941年11月19日]

④ メンデルスゾーン:『真夏の夜の夢』より7曲[1942年1月11,12日]
エドウィナ・エウスティス(ソプラノ)
フローレンス・カーク(ソプラノ)
ペンシルヴァニア大学グリークラブ女声合唱団

⑤ チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 Op.74『悲愴』[1942年2月8日]
⑥ ドビュッシー:交響詩『海』[1942年2月8、9日]
⑦ ベルリオーズ:『マブ女王のスケルツォ』[1942年2月9日]
⑧ R.シュトラウス:交響詩『死と変容』 Op.24[1942年2月11日]


アルトゥーロ・トスカニーニ指揮フィラデルフィア管弦楽団

録音場所:フィラデルフィア、アカデミー・オブ・ミュージック

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント