ロストロポーヴィチとボールトのドヴォルザーク [クラシック百銘盤]
ロストロポーヴィチがソロをとったドヴォルザークのチェロ協奏曲は、ラフリンから小澤までじつに七種類あるという。
特に有名なのはカラヤンとのもので、次いで小澤やターリヒのものがよく知られ、そして聴かれているようです。
そんな中で1957年4月にロストロポーヴィチが初めて西側で、しかもステレオで録音したのがこのエードリアン・ボールトとの共演のもの。
だがじつはこの録音、とても気になっている事がある。
それはオケがロイヤル・フィルハーモニーだということ。
自分は最初これがロンドンフィルだとばかり思っていたので、ロイヤルフィルと分かった時は正直かなり驚いた。
ボールトが指揮するオーケストラというと、まずは1924年に初代の首席指揮者となったBBC交響楽団、第二次大戦後はロンドンフィル、その後ロンドン響やニュー・フィルハーモニアと録音が増え、晩年はロンドンフィルとBBCがまた増えるというかんじだった。
それを考えるとこのドヴォルザーク録音時、ボールトが指揮をするのなら首席指揮者をしていたロンドンフィルと録音をするのがふつうなのだが、なぜかオケは前述したとおりロイヤルフィル。しかもその時のロイヤルフィルの指揮者は、ボールトと決して良好な関係ではなかったビーチャムだから猶更だ。
ここからは自分の勝手な想像だけど、おそらく当初は前年彼と共演し録音もしたマルコム・サージェントがこのセッションの指揮も担当するはずだったのが、何らかの理由で不可能となり、急遽ボールトにそれがまわってきたのではないかという気がした。
ロストロポーヴィチは当時まだ三十歳になったばかりだし、ソ連の当時の事を思うと指揮者に希望とかそういうものを言える立場にはなかったので、彼の希望によりボールトが登場したという可能性は低いが、彼がこの時それとなく誰だったらいいのかと聞かれ、前年ソ連にロンドンフィルととともに訪問し好評を博したボールトに好印象をもっていたとしたら、その名前を出したかもしれない。
とにかく最初からこの組み合わせありきで組まれたとはちょっと思えない気が自分にはしている。
ただそれにもかかわらずこの演奏はいい。
録音はステレオ初期のせいか弦の横の拡がりがあまりなかったり、ロイヤルフィルというあまり縁のない、それこそボールトにとってはある意味アウェイな状況であったにもかかわらず、彼らしい端正ながら瑞々しい響きと味わい深さが素晴らしく、しっかりとした聴き応えのあるものとなっているが、ドヴォルザークよりもブラームス風の佇まいをみせているのはボールトらしいというべきか。
ロストロポーヴィチもその響きの中、五年前のターリヒとの共演とまた違う、やや寛いだ感のある演奏を展開している。
演奏時間は、14:43、11:46、12:45。
かつてLP時代はEMIのセラフィムのシリーズから廉価盤として発売されていたこともあるけど、最近は国内盤ではみかけなくなってしまった。
これも時代かもしれないけど、もう少しだけ知られてほしい名盤のひとつ。
特に有名なのはカラヤンとのもので、次いで小澤やターリヒのものがよく知られ、そして聴かれているようです。
そんな中で1957年4月にロストロポーヴィチが初めて西側で、しかもステレオで録音したのがこのエードリアン・ボールトとの共演のもの。
だがじつはこの録音、とても気になっている事がある。
それはオケがロイヤル・フィルハーモニーだということ。
自分は最初これがロンドンフィルだとばかり思っていたので、ロイヤルフィルと分かった時は正直かなり驚いた。
ボールトが指揮するオーケストラというと、まずは1924年に初代の首席指揮者となったBBC交響楽団、第二次大戦後はロンドンフィル、その後ロンドン響やニュー・フィルハーモニアと録音が増え、晩年はロンドンフィルとBBCがまた増えるというかんじだった。
それを考えるとこのドヴォルザーク録音時、ボールトが指揮をするのなら首席指揮者をしていたロンドンフィルと録音をするのがふつうなのだが、なぜかオケは前述したとおりロイヤルフィル。しかもその時のロイヤルフィルの指揮者は、ボールトと決して良好な関係ではなかったビーチャムだから猶更だ。
ここからは自分の勝手な想像だけど、おそらく当初は前年彼と共演し録音もしたマルコム・サージェントがこのセッションの指揮も担当するはずだったのが、何らかの理由で不可能となり、急遽ボールトにそれがまわってきたのではないかという気がした。
ロストロポーヴィチは当時まだ三十歳になったばかりだし、ソ連の当時の事を思うと指揮者に希望とかそういうものを言える立場にはなかったので、彼の希望によりボールトが登場したという可能性は低いが、彼がこの時それとなく誰だったらいいのかと聞かれ、前年ソ連にロンドンフィルととともに訪問し好評を博したボールトに好印象をもっていたとしたら、その名前を出したかもしれない。
とにかく最初からこの組み合わせありきで組まれたとはちょっと思えない気が自分にはしている。
ただそれにもかかわらずこの演奏はいい。
録音はステレオ初期のせいか弦の横の拡がりがあまりなかったり、ロイヤルフィルというあまり縁のない、それこそボールトにとってはある意味アウェイな状況であったにもかかわらず、彼らしい端正ながら瑞々しい響きと味わい深さが素晴らしく、しっかりとした聴き応えのあるものとなっているが、ドヴォルザークよりもブラームス風の佇まいをみせているのはボールトらしいというべきか。
ロストロポーヴィチもその響きの中、五年前のターリヒとの共演とまた違う、やや寛いだ感のある演奏を展開している。
演奏時間は、14:43、11:46、12:45。
かつてLP時代はEMIのセラフィムのシリーズから廉価盤として発売されていたこともあるけど、最近は国内盤ではみかけなくなってしまった。
これも時代かもしれないけど、もう少しだけ知られてほしい名盤のひとつ。
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