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ドヴォルザークのイギリス [クラシック百物語]

といってピンとくる人はかなりのご年配だと思う。

例えば画像検索でやってみると
かなりそれらのものがヒットしてくるはず。

かつてはこのように、
どうしてそうなったかは分からないけど、
今では死滅したいろいろな謎の表題というか、
いわゆるサブタイトルが目についた。


これはマーラーも例外ではなく、

第四交響曲に
「大いなる喜びへの賛歌」
というのがかつてはごく日常につけられていた。

これは終楽章の歌詞の誤用という説があるらしいけど、
ただ1950年代の日本の音楽辞典には、
同曲にそのような表題はないので、
誰かが勝手に流布したのかもしれない。

第三交響曲にも
「夏の朝の夢」
というものがつけられていたけどそれはかなりレアで、
これは早々に目にしなくなった。

ただ上記したその音楽辞典にも、
不思議なそれがいくつか見受けられる。

例えばマーラーの第七交響曲「夜の歌」は
「ロマンティック」となっている。

そしてその「ロマンティック」とついている第四交響曲を作曲した、
ブルックナーの項をみていると、
00番と0番の両方に「リンツ」というタイトルがついている。

またボロディンの第二交響曲には「英雄」とついているが、
ショスタコーヴィチの第五交響曲に「革命」とはついていない。

ハイドンの交響曲をみると

一番「ルカベック」
十三番「ジュピター」
二十六番「クリスマス前夜」
(現在では二十六番は「ラメンチオーネ」[嘆き])

となっている。


こうしてみていると、
いろいろと情報不足の時代にはびこっていた、
不確定要素の大きな情報によってつけられたものや、
意味がないということで切り捨てられたタイトルが、
けっこうあったことが如実にわかる。

またかつてタイトルをつけることで、
多くの聴き手に興味を抱かせよう、
もしくは印象づけさせようとしたものが、
その役目を果たし看板をおろすことで、
本来の形に戻ったというものもあったように感じられた。

今後まだこれらの流れによって淘汰されるものがでてくるのか、
それともいったん終了かは分からないけど、
それだけ聴き手が内容勝負にこだわってきた、
もしくはネットでいろいろと聴くことができたり、
その曲の情報をいろいろと仕入れるようになったことで、
今後増えるということはないと思う。


ただ正直言うと、
あまりかえりみられていない日本の作曲家による交響曲等は、
ひょっとしてこういうものがまだ必要なのかもと、
そんな気もちょっとしたりしています。

もっとも「勝鬨と平和」のように、
今となっては内容的に、
むしろ誤解を生むかもしれないようなものは、
さすがにもうこりごりという気はしますが。

〆です。
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