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「薄暮」とその使われた音楽への雑感。 [劇場公開アニメ]

山本寛監督が、
原作、脚本、音響監督も手掛けた新作「薄暮」を観に行く。

薄暮.jpg
https://www.hakubo-movie.jp/index.html

公開からこれだけ観るのが遅くなったのは、
「どうせ横浜でも公開するだろう」
と油断していたため。

「ジャック&ベティ」あたりでやると思っていたのですが…。

作品はとてもシンプルで、
今の福島のある日常を描いたもので、
確かにそこには311が現在進行形として存在しているものの、
作品そのものは「学園もの」「青春もの」を、
ほとんどど真ん中になんの外連味もなく投げ込んだようなかんじ。

ただその作品の立ち位置からか、
ちょっと「この世界の片隅に」と重なる部分も感じられました。

シンプルでこれといったドラマはないものの、
見終わった後にとても前向きというか、
ひとつ先へと歩き出していける力をもらえたような、
そんな余韻をもった作品。

大作や超話題作というわけではないかもしれませんが、
ひじょうに心に残る美しい、
そして根底に強い力強さを感じさせる作品でした。

そしてラスト。

薄暮の時間が終わったことで、
満天の、
それこそ天から音符が降ってくるような星空があらわれたとき、
正直何とも言えない強い感動と感銘を自分は覚えました。


もっと早く観に行けばよかったと後悔しきり。


あとはこの作品をみて極私的に自分が好き勝手に感じたことを。

この作品でも山本監督のこだわりのある音楽が随所にしきつめられている。

主人公の友達と先輩によって奏でられるのが、
あのベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番。

連続した七楽章からなる、
ベートーヴェンの快心作といわれているだけでなく、
弦楽四重奏曲史上最高の傑作のひとつとまで絶賛されている、
ある意味究極の作品といわれているものだ。

正直これが出て来た時、
確かにシューベルトやシューマンからは絶賛されたけど、
そのあまりにも強烈な作風からか、
初演当時は相当否定的な意見も出たというこの難曲を、
今は一般高校生が学祭の発表でできるようになったのかと驚いてしまった。

日常的な作品で唯一非日常的なのがこのシーンといったら怒られるだろうか。

この映画に描かれている美しい自然の中、
何の変哲もない穏やかなストーリーの中、
この強烈な曲はかなり異彩を放っており、
それがこの作品の中で強いアクセントをつけているだけでなく、
人間のもつ生命力というものを描いているかのようで、
それはあたかも災害から立ち直り歩き出そうとしている人たちの姿、
もしくはその姿へのエールを作者がおくっているようにも感じられた。

そういえばこの曲が書かれた当時、
ヨーロッパはナポレオン戦争から十年程経ち、
戦禍から立ち直りゆく時代だった。

この映画の舞台も311からおそらく八年程後と考えると、
何かここに不思議な偶然みたいなものを感じてしまう。


それは作品全体が水彩画のような雰囲気で自然が描かれているのに、
祐介のスケッチブックの絵はなかなか色彩が強烈という、
対比ともまた重なって見えてくる。

この作品の素晴らしさはシンプルさの中に、
幾重にもそのようなシンプルな対比が織り込まれていることもあると思う。


水彩画で思い出したが、
佐智が口ずさんでいる曲は、
水彩画のような曲想が印象的な、
ディーリアスの「春初めてのカッコウの声を聴いて」の、
ヴァイオリンが奏でるメロディの一部。

じつはこの曲はディーリアスと親交をもち、
自身に強く影響を与えたグリーグが、
ディーリアスと親交を結んだ後の時期に作曲したピアノ曲、
「伝承によるノルウェー民謡」の第14曲、
「オーラの谷で、オーラの湖で」というものに使われている民謡からきている。

この民謡の歌詞はかなり悲劇的なもので、
子供が突然いなくなりそれをみつけるため教会の鐘を母が鳴らすが、
子供はついに帰ってこなかったというもの。

グリーグはそれをピアノに編曲するとき、
随所にその鐘の音を織り込んだという。

自分はその原曲民謡を聴いてないので分からないが、
あるサイトではそのグリーグの折り込んだ鐘の音の部分を、
ディーリアスは郭公の鳴き声に置き換えたのではと推察されていた。

もし山本監督がそこまで考え、
この曲のメロディを佐智に口ずさませていたとしたら、
この作品のもつ背後にある311というものが、
また違った形で作中に影をおとしているようにも感じられた。

このあたりはいったいどうなのだろう。


しかしディーリアスは本当に一般的になった。

昭和の頃、ディーリアスというか、
イギリス音楽はまだ一般的でなく、
知られているのは「惑星」「威風堂々」「グリンスリーヴス」、
そして「青少年のための管弦楽入門」くらいだったと思う。

それが1980年代前半にLPで、
「音の詩人ディーリアス1800」というシリーズが発売され、
そのあたりからじわじわと認知度が高まっていった。

あれからもう三十年以上が経ち、
今では高校生が口ずさむようになったかと、
佐智の口ずさむディーリアスを聴き、
イギリス音楽好きの自分にとっては感無量。


そして最後エンディングが流れ終了となるのですが、
何故か自分の頭の中には、
ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」の第五楽章が鳴り響いていた。

あの曲もじつはベートーヴェンにとってたいへんな時期に作られた曲で、
そのためあの第五楽章には、
ベートーヴェンのある種の渾身の思いの丈のようなものが、
張り裂けんばかりに詰まっているのですが、
それがとにかく何故か延々と、
それこそ劇場を出てもそれが鳴り響いていた。

確かに映画では自然が美しく描かれていたし、
ラストにみえた星空の高く澄んだ星空も心の底まで照らされるようで、
ほんとうに素晴らしいシーンがいくつもいくつもあったものの、
この作品の根底のテーマは、
ベートーヴェンの「田園」の第五楽章のような「人間賛歌」であり、
そして「不滅」というものではないのかと、
勝手にそう最後は強く感じさせられた。

これはもちろん自分勝手な思い込みもあるし、
自分語りのレベルの話だけど、
シンブルすぎる話なだけに、
観る人観る人によってこんな感じでいろいろな感想をもち、
そして考えさせられ感じさせられるのもありかなと、
そんなことも思った次第です。



というところで以上です。


素晴らしい作品をありがとうございました。



追伸

薄暮(はくぼ)は、日没後の黄昏を指す。一般的には、日没後の太陽が地平線より6度程度下にある時間帯である。屋外で物体の区別はできるが、屋外で活動するには光の量が十分ではない。
(ウィキペディアより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%84%E6%9A%AE

薄暮って、とても微妙で儚い時間帯。

それだけにかけがえのない時間帯。
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