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バーンスタインの「戦時のミサ」(1973) [クラシック百銘盤]

バーンスタインはCBS時代、
1958年から1979年に至るまで、
ハイドンの交響曲を19曲、
ミサを四曲とオラトリオ一曲を録音している。

それらはどれも名演だし、
ある意味マーラーと並んでこの時代のレニーを聴く上で、
欠かせないレパートリーといっていいのかもしれない。

その中で特に有名なのは、
1973年1月20日に、
ワシントン・ナショナル大聖堂で録音された、
「戦時のミサ」だろう。

haydn.jpg

パトリシア・ウェルズ(s)
グヴェンドリン・キルレブルー(ms)
アラン・ティトゥス(t)
マイケル・デヴリン(br)

ノーマン・スクリブナーの合唱団
レナード・バーンスタイン指揮の管弦楽団


この前日、あるドラマがあった。

それは手塚治虫の「雨のコンダクター」ても描かれているので、
けっこうご存知の方も多いと思う。
(ただし自分は未読)

1月19日。

ワシントンのケネディ・センターでは、
当時のニクソン大統領の、
二度目の大統領就任を記念したコンサートが行われた。

演奏はオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団で、
曲目はクライバーンとのグリーグのピアノ協奏曲と、
チャイコフスキーの1812年だった。

だがこのコンサートの前に、
団員からこれをキャンセルする人もあらわれた事を表すように、
決してすべての人から祝福されるとは言い難い空気が当時はあった。

これが当時のベトナム戦争に対するそれが大きく作用していたのは明らかで、
この時はまだパリ和平協定が交わされる前だった事もあった。

一方そこからそれほど離れていない、
同じワシントンのナショナル大聖堂では、
事前に新聞でも告知されていた、
バーンスタインの指揮によるハイドンの「戦時のミサ」が、
「平和のためのコンサート」と銘打たれ無料コンサートで演奏された。

教会の中に三千人、
そして外に入りきれなかった人たちが一万人以上も雨の中集まった。

125人の合唱団はみなポランティア、
オーケストラはワシントン・ナショナル響を中心とした、
地元ワシントンの音楽家によるこれまた臨時編成のオケだった。

そしてこの演奏会の翌日同じ場所同じメンバーで同曲が録音され、
その収益は全額寄付され、
後にグラミー賞にもノミネートされた。

この録音盤は日本でも同年夏には早々発売になり、
そこそこ話題になったように記憶しているが、
レコード・アカデミーに選定されることはなかった。


そんなこの演奏を今聴くと、
素晴らしいくらいの熱気と集中力が音楽から溢れている。

これが当時の時代によるものが大きかったのは確かで、
そういう意味ではひとつのドキュメントともいえるかもしれない。

そしてそれは同年夏にロンドンで録音された、
ロンドン響とのマーラーの復活にも通じるような思いの丈が感じられる。

因みにこの年の夏アメリカでは、
3月の爆弾証言によって一気に問題化したウォーターゲート事件により、
ニクソン大統領の周りがざわつき始めた時期でもあった。


などという事を書いていて、
肝心の演奏についてはほとんど何も書いていない事に今気づいた。

というか、
その時代を生きた自分には、
それだけでも充分言いきったような気がしてしまうのが不思議。

演奏時間は約43分。

現在この当時を知らない人には、
どうこのハイドンとしては大時代的な演奏が聴こえるのだろう。

因みに1984年にこの「戦時のミサ」を、
バーンスタインはバイエルン放送響と再録音している。

アメリカは再選を目指すレーガンとモンデールによる、
アメリカ大統領選挙の真っ只中だった。


(追加)

ひとつ疑問だったのは、
ニクソンの就任コンサートにフィラデルフィアが呼ばれた事。

本来ワシントンでの式典は、
地元ワシントン・ナショナル響の仕事だが、
今回は彼らはバーンスタインのコンサートに出演した。

彼らがニクソンのコンサートを固辞し、
それでフィラデルフィアに白羽の矢が立ったのか、
それとも前年中国に訪問したニクソンが、
この年の9月に中国公演をすることになっていた、
フィラデルフィアを招聘したことで、
ワシントン・ナショナルが空いていたのかは自分は知らない。


因みに「黄河」を録音したのは中国から帰国後の10月。


ただどちらにしても、
この二つの団体が当時の時代に翻弄されたことは間違いない。

あとこの件をもってオーマンディを俗物と蔑み、
バーンスタインをヒーローと賛辞するのはどうだろう。

事はそんなに単純ではないような気がする。

オーマンディが、
ショスタコーヴィチの4番、13番、14番、15番を、
1960年代から70年代の、
ソビエトとの冷戦下のアメリカで初演した事を考えると、
特に何かもやもやとこのあたりしてしまう。

またこういうことをしている指揮者を、
ニクソンが就任記念演奏会に呼んだ理由も、
いろいろと深読みできるけどそれはここでは避けます。

フルトヴェングラーが何故ベルリンに大戦中残ったかという事と同じく、
このあたり単純な図式では片づけられないのかもしれません。


(さらに追加)

最近またこの演奏を久しぶりに聴いた。

会場が教会ということで残響がそこそこあり、
ちょっと同じレニー指揮の1975年にパリのアンヴァリッド寺院で録音された、
ベルリオーズのレクイエムを思い出した。

そういえばあれが録音されたのはベトナム戦争が終結した年だった。

それとこのハイドンでの、
オケの小気味いいくらいの反応の良さも改めて強く感じた。

それはこのときの臨時編成オケの中核を、
当時ハイドンも得意としていた名匠アンタル・ドラティ率いる、
ワシントン・ナショナルが占めていたことも大きかったと思う。

バーンスタインが、
ドラティ時代のワシントンやデトロイトを指揮し、
録音をさらにいろいろと残してくれていたらと、
ちょっとそんなことも思ったりしました。

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阿伊沢萬

今考えると、ラインスドルフのケネディ大統領追悼のモーツァルトのレクイエムと並ぶ、これもまた貴重なアメリカの歴史の一部を録音したドキュメントなのかもしれません。

ただベトナム戦争が過去の歴史のひとつとしか感じられない今の時代に育った、しかもピリオドによる古典派に馴染んだ若い人たちにはどう感じられるでしょうか。

ちょっとそのあたり今だからこそとても気になっています。

soramoyouさま。nice! ありがとうございます。
by 阿伊沢萬 (2019-06-29 15:03) 

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